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高校を1ヶ月で退学した話

私は高校を1ヶ月で退学しました。
自主退学です。

自分が高校を辞めるなんて思ってもなかったし、辞める人なんて本当に実在するんだなぐらいに思っていた。
現代っ子だなって思われるかもしれないですが、読んでくれたら幸いです。
世の中舐め腐った現代っ子と陰鬱な文章が嫌いな方はここらでお帰りください。

退学を考えていたのは入学の2週間ぐらい前だった気がする。
なにか違う。と漠然に思ったのは入学一ヶ月半前だった。勘みたいなものだったのかな、と今になっては思う。
行きたかった高専のこと(詳しくは前回のnoteにあります)なんかが重なって、今はそんな心境なのかもな、と流していた気がする。

合格通知を見た瞬間に、「あれ、なんか間違えた気がする」と明確ではなかったが、似たようなあやふやな思いがあった。
それに、入試の前日に高熱が出たし、その時点で縁がなかったとも思うし、拒否反応的なものがあったのかもしれない。

自分から選んだ進路なはずなのに、驚くほど楽しみじゃなかった。
中学校早く卒業したいけど、高校も行きたくない。この気持ちを約3週間ずっと抱えていた。
勉強自体は嫌いじゃないし、むしろ好きな方ではある。だから、勉強したくないから学校に行きたくないというわけじゃなかった。
高校の何が嫌なのかも分からなかったけど、大きな嫌な予感だけがずっとあった。

そして中学卒業。卒業式の日もまったく楽しみではなかった。中学卒業の悲しさなんて欠片もなかった。
詳しく書くつもりはないが、卒業間近に学校でいろいろトラブルがあって学校にも行ってなかった。それと、高校に行きたくないの気持ちが重なって人生自体に辟易していた。なにも楽しくなかったし、なんで生きてるのかわからなかった。そのままの気持ちが入学してからもずっと続いた。

今だって自分自身にうんざりはしているし、なんで生きてるのか、なんてのは分かってないし。
生きてる理由なんて死ぬまで分からないと思うけど。まあ、死んでも分かんないかな。

制服の採寸の日があった。
本当に憂鬱だった。普通の子たちは、新しく通う学校の制服の採寸が嫌だなんて気持ちにはならないはずなんだろう。
制服の採寸なんて死ぬほど行きたくなかった。
前日、父親に「明日の学校嫌やなあ」と言ったら「行きたくて選んだんやろ?嫌ってなんや」みたいなことを言われて「ああ、まあ」みたいなあやふやな返事をした。

高校に行き、教科書代、制服代、体操服代なんかをいろいろ支払った。
特待で授業料と入学金は免除してもらったから、通常の振り込む料金よりは断然安くなったけど、私立だからめちゃくちゃ高かった。
うちは裕福な家庭ではないので、父親にお金を払わせる姿を見てとてつもなく死にたくなった。申し訳なさで胸がいっぱいになって苦しくなった。
被害者は自分ではなく父親だ。
親に迷惑をかけたくなくて、いろいろ免除してもらえるから、って理由で選んだのもある。でもそれが1番のミスで、結果的に1番迷惑かける選択をしてしまった。本当に申し訳ないと思ってる。
この時点では辞める選択肢はなかった。

そこから、髪型に校則があるのも知った。
それに、環境が地獄なのも知った。自分の勉強はできないし、カリキュラムが国公立理系に行くためのカリキュラムだった。
いわゆる自称進学校ってやつだった。
自称進学校あるあるに出てくるすべてのトップの座に君臨しているレベルだろう。
結局自分はオープンスクールに騙されたカモに過ぎなかった。

髪型は自分が校則を変えたらいい、なんて微かな希望を信じていたけど、昔からの『伝統』みたいな馬鹿馬鹿しい昭和の『ルール』があったから、変えれるはずもなかった。変えれるのなら今頃変わってるはずなんだろうな、と今になって思う。
髪型の校則もカリキュラムも死ぬほど嫌だった。

入学1週間前、いろいろ調べた末、『高卒認定試験』を見つけた。もともと存在自体はなんとなく知ってたから、どんなものか詳しく調べた。
大学進学を目指してたから、高卒認定からの自分のペースで勉強するのが1番の近道なんだと思った。
それに環境から抜け出して、自分が納得できる結果を得られるのがこの選択なんだと思った。
誰かに影響されたわけではないと思ってるけど、高校を辞めて東大受験する、みたいな人たちにも影響されたのかな。
辞めた人たちの話なんかを聴いて、そんな選択もあるんだなと思った。

そして、母親には『高校を辞める"かも"』と話した。
黙々と話を聞いてくれた。
なんか違うと思っているから。もしかしたら辞めるかも。高卒認定というものがあって、それを取ってから大学を目指そうと思う。
と話した。他にもたくさん話した。
母親は、まだ通ってもないからとりあえず通わないとわからないし、辞めたいってなったらまた相談してくれ。と言われた。
でも、分かってはくれなかったけど、分かろうとはしてくれた。
今は、衝突が起こる度度に『高校辞めさせなければよかった』と言われてしまう。仕方ない。

もう『辞める』という選択は決まっていた。どうしても心の向きは変わらないし揺るがなかった。
辞めて後悔している人の話だって聴いたし、デメリットだってたくさん調べた。でも、結局は『辞める』って結論に至るだけだった。
死にたい人がなにをどうしても『自殺したい』って結論に至る、みたいな感じに近いのかな。

そして入学前に、中学校3年間担任してくれた先生、父さんの友達(現教師)の人に相談をした。
教師としてのアドバイスだったり、どう思うのか、なんかを聞きたかった。
多分学校辞めるかもしれない。自分の考える選択の方が人生後悔しない気がする。と伝えた。
2人とも否定はしてこなかった。だけど、とりあえず通うまでは分からないでしょ。って言われた。自分が相談される立場だったら絶対にそう言う。
中学の先生は『教師として言うのはよくないと思うけど、それが本当にしたいことで、周りからの同意があれは辞めてもいいんじゃないかな』と、言ってくれたし、『君らしくていいんじゃない』とも言ってくれた。
父さんの友達からは、とりあえず1年通ってみてそこから決めればいいと思う。けど、楽な道ではないと思う。でも自分で考えて行動するのが1番だよ。と。

それと、1番の友達にも言ったら『入学前から何言ってんねん、とりあえず楽しむつもりで通え』と叱られた。すごく大人な人間だと感心した。
ちなみにその友達の今の髪型は真っ赤なコーンロウ。


入学前オリエンテーション的なやつは終わったら『今日で辞めることを決意した』と心の中で呟いた。

そして入学式。
多分、入学生の晴れやかな顔じゃなかったと思う。全てに絶望していた。
いつになったら辞めれるのかな。いつまで続くんだ。なんでここに来たんだ。とひたすら考えていた。

気持ちはずっと変わらず同じだったので特にこれ以上書くことがありません。

担任の人は当たりの部類だと思った。授業が始まる日まではすごく優しい先生だった。だったはず。
でも違った。

授業が始まって、担任が変貌した。人が変わったみたいだ。
生徒の勉強時間、勉強に対する姿勢なんかに呆れるほどに口出ししてきた。所詮自称進学校にしかいけなかった落ちこぼれのあつまりなんだから、そんなに言う必要ないだろ。と思っていた。
辞めた原因は担任にも大きくある。
常に人を見下したような態度で、当たり前の基準が自分で、これはできて当然と言った発言も何度もしていて、それがものすごくストレスだった。
数学も入学1ヶ月以内で数Iが終わったから、誰も理解できていなかった。
だから、担任にわからないところを質問しに行っても、人を見下したような(これは分かって当然で、なんで分からないの?などと言った、教師とは思えない)態度で教えてきて、もう諦めた。
最初は勉強面でサポートしっかりします。みたいなことを学校規模で言っていたのにそんなことなかった。
テスト前にも何か疑問などを解消する補習的なものをしてくれると思っていたら、勉強したい子は勝手に残って自分で頑張ってください。みたいな感じだった。
これはできる子に育てる機関じゃなくて、元々にできてる子を育てる機関なんだと気付いた。

だけど、周りの人間的な環境はとてもよかった。
みんな頑張る姿勢があったし、高い目標を持っていたから、友達同士で頑張れた。
つまり、上に行きたかったけど行けなかった子の集まりだった。
担任が最悪だったこともあり、クラスのみんな、仲が良かった。共通の敵を持つと団結できる。を体現した。人間関係自体はすごく楽しかったし、今でもみんなに会いたいと思う。違う高校でこのクラスで出会えてたらよかったな、なんて思ってしまう。
クラスの人の8割が、高校ミスった。高校辞めたい。と言っていて本当に面白い。みんな不満を抱えていた。
大体の人が、第一志望じゃなかった。
公立落ち(それと私立の併願先をミスった子)、理由があって公立を受けさせてもらえなかった子、親の転勤で大阪に来て高校あまり分からずに来てしまった子だったり、いろんな事情を抱えた人たちで溢れてて暗いけど温かい空気感だった。
現状を受け入れて頑張ろうとしている子たちも多く、本当に凄いなと思った。自分は辞めることしか考えてなかった。

(もっといろいろ書きたいですが、嫌すぎて思い出せません。もっと酷いことはたくさんあるのに。)

入学してから1ヶ月後。
母親と父親に辞めることを相談した。
母親には入学前に言ってたこともあり、仕方ないねと了承を得た。
話す前に懇談があり、担任の態度が悪く学歴厨の片鱗も見せてきたこともあってそれが母親を納得させれる材料にもなった。
母親に、なんで了承してくれたのか聞くと、切実に辞めたそうだったし、もう仕方ないと思ったから。呆れたとかでないし、勝手に後悔しろとかいうわけじゃない。と言われた。

そして父親にもやっとの思いで相談できた。
父親は学歴などに厳しい人だと思ってたし、昭和の考えをする人だと思っていたし、お金を払わせたから殺されるんだろうと思った。
だけど、違った。

父親とは、夜中にドライブに誘って話をした。
父親はプレゼンみたいなものをしないと納得しない人だと知っていたから、自分なりにプレゼンを作った。

なぜやめたいに至ったのか。
なぜ辞めないといけないのか。
入学前はこう思っていて、実際はこうだった。
辞めた後はどうするのか。
を全てきっちり説明した。

なぜ辞めたいのか。
大学に行きたいから。
学校は効率が悪い。
3年間お金をかけてもらっても浪人生になる未来しか見えないから。
カリキュラムが自分に合ってないから。
授業が長すぎて、自分の勉強ができない。

なぜ辞めないといけないのか。
学校のカリキュラムじゃ自分の行きたいところにいけないから。
自分のペースで勉強した方が、結果が悪くても納得できる気がするから。
今よりもっと環境(授業量、課題量)が酷くなるから。

入学前はこう思っていて、こう違っていた。
進路に真摯に向き合ってくれるんだろうと思っていて、しっかりひとりひとりのことを考えたようなことをしてくれると思っていた。
受験のために効率の良い勉強ができて、授業をしてくれると思っていたけど、
こう違っていた。
国立の理系に行く前提。個々に寄り添ってくれるわけもなく、できる人にしか向けて作られていない授業、質問しても人を下に見たような態度をする教師。意味のない、質の悪い授業が多く、ちゃんとした授業をしてくれない教師がいる。

辞めた後は
高卒認定を取って、自分のペースで勉強しようと思う。
と細かく今考えていること、思っていることを全て言った。

親の言う通りに生きて、失敗しても後悔しても親は責任を取ってくれない。やめて後悔してもそれはもちろん自分のせい。だから自分で考えて行動したい。だからこういう結論に至った。
結果が決まっているのなら、早いほうがいいと思った。
勉強から逃げるわけではないので、そこは理解してほしい。
そして、入学にかかったお金は全て返します。
と伝えた。

辞めることに反対はされなかった。驚いた。学歴厨だと思っていたから。昭和の考えをしている人だと思っていたから。
反対しないのか?と聞いたら、こんな昭和生まれのおっさんの考え方を押し付けても意味ない。と言っていた。
父親は、高校は友達と楽しむ場所で勉強するとこじゃないし、教養を身につけるところだ。と言っていた。
そこで、楽しめないのならそれは仕方ないし、お前が後悔しないならそれでいいんじゃないか。と言われた。泣きかけた。
父親は高校が相当楽しかったらしく、友達と楽しんでほしかったらしい。

正直、自分は甘い人間だと痛感してるし、両親の優しさに甘えすぎてると自覚してる。
でも、もう甘えるしかなかった。甘えないと人として生きていける気がしなかった。

本当に死にたかった。4月からは死んだような顔をしていた。通学路を歩く時に吐き気が止まなかった。
起きて最初にすることは呼吸じゃなくて、死にたいと考えることだった。
学校のストレスから、寝るのが怖かったし、帰りにコンビニで甘いものを買って食べるといった生活もしてて肌が酷かった。

今はだいぶマシになってきた。

本気で死ぬか考えていた。まあ死ねないんだけどね、なんて言える精神状態じゃなかった。退学する行動力を自殺に移してたかもしれない。ベクトルは違うけど、どうしてたのか分からないほど参っていた。
でも、どれだけ辛くても自殺する勇気はないんだろうな。塀を飛び越えるだけですぐそこに死はあったのに。

そこからは淡々と事が進み辞めることになった。
担任に辞めるのを止められることもなかった。
普通の学校で普通の教師なら一言ぐらい止めるような言葉をかけてくれたのかな。
それとも、どこの高校の先生も意外とあっさりしてるのかな。


人生で初めて退学届を見た。まさかの自分のための退学届。映画の主人公の気分だった。
『普通』じゃなくなるのに気分は高揚していた。
名前を丁寧に書いた。本当に終わるんだなと思い書いた。

所詮は紙を出せば辞めれるところに過ぎなかった。

5月20日。社会のレールから外れた。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
これで自分語りをする回は最後にしたいなと思ってます。絶対またどっかですると思いますが。書きたいことはいっぱいありますが。
今回の内容は前より面白いはずなのに、前作の方が面白いのではと思う内容になってるかなって感じです。
どの構成にすればいいのかわかんないし、どれが面白く読めるのか考えたけどどうにもできなかったです。
大学行きたいから、とか書いてますが、行きたい大学は慶應の文学部です。
父親が早慶目指して2浪したってもあるけど、文学系勉強したいし、ブランドが欲しいからですね。
父親には3年間勉強しないと入られへん大学なら、そこまで行く必要はないと思うし、大学行く必要なんて無いとすら思ってる。所詮文系やからショボいぞ。と言われてしまいました。
本当は精神科医とかになりたいけど、自分の学力的に3年間勉強しても医学科にはいけないだろうな、ともう諦めてしまってます。

それから
自分は高校を辞めたことを後悔していません。
だから、辞めたからには高校通ってたらできなかったことなんかをしようと思ってます。
毎日が楽しいか、と聞かれると自信を持ってはい!と答えられる毎日ではないですが、高校を通ってた毎日よりは楽しいです。
今、姉に4月の時なんかの話を聞くと朝から顔が終わってた。と言われました。

後悔しない人生を生きたいなと思うけど、どうせ人間だから絶対後悔するじゃないですか。
だからこれからは後悔しないような人生じゃなくて、後悔の少ないように生きようと思います。
ほぼ同じかな。とりあえず自分の思う、後悔しないと思う方を選択して生きたいものです。
それに、明日死ぬかもしれないし。
だって、今日、明日、車に撥ねられて死ぬ確率だって絶対0じゃないし。だからもう辞めることにしました。やりたいことやろうって。
所詮人間なんて生まれて死ぬだけの生物なんだし、『人生』ってカッコつけて大層な名前ついてるだけだし、そんな気負わずに生きなくていいなって思ってます。
この選択を後悔したとしても、それは自分のせいだ。自分で深く深く考えたことに意味があるんだと思いたい。
過去のことをどうこう言ったって微塵も変わってくれないし、どれだけ死ぬ気で頑張っても変わらないし、もう本当に今を生きるしか選択肢はないんだなって泣きそうになるぐらい思います。

どうしようもない人間なのは分かってるけど、人を1人ぐらいは幸せにできるような人間になりたいと思います。
要は人のためになりたいってだけですね。

ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
今回ちょっとへたくそですね。
次は本の紹介とかなんかできたらいいなって感じです。
あ、ちなみに今は現役のニートですね。バイトとかしたいものですけど、学歴嘘つくしかなさそうです。

人生案外大丈夫です。なんとかなりますよ。
だって、なんとかなってるから今こうして生きてるし。

みんな幸せになって下さい。


おまけ
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