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死を受け入れるということ

14歳の時に、1匹の子犬と出会った。

名前はムック。
ミニチュアダックスフンドの男の子。
とても食いしん坊で優しい性格のわんちゃんだった。

10代の私はまだまだ子どもで、自分の振る舞いが理由で孤独を感じた時期もたくさんあった。
そんな感情がぐらついた難しい時期に、いつも心の支えになっていたのがムックだった。

ムックと一緒にいる生活が当たり前になっていた23歳の時に、彼は天国へと旅立った。
虫の鳴き声が秋の訪れを感じさせる、9月のことだった。
その日は1年前から日本中が注目していた安室奈美恵の引退ライブや大物女優である樹木希林が亡くなったニュースばかりがテレビで流れていた。
普段の私であれば感情が揺らぐであろうニュースを、何も考えることなくただ無心に見つめていたのを覚えている。

ムックの死は何の前ぶりもなく、とても急な出来事だった。
危篤状態になってから息を引き取るまでに、半日もの時間があったのだが、現状を呑み込めるほど頭が追いつかず、気持ちの整理ができなかった。
8歳半という若さで亡くなった遺体はとても綺麗で、火葬されるまで「まだ本当は生きているのではないか」と何度も疑ってしまうほどだった。


私はムックの死を通して初めて、周りの大切な存在が死ぬという経験をした。
この経験は、大きく2つの感情を生み出していた。

1つは、「もうムックはいない」という事実を受け入れたくても受け入れられない葛藤だった。
今まで家に帰ったらワン!と吠えてくれてたのに何も聞こえない。
朝起きたら階段の下で待っててくれていたのに、誰もいない。
そんな小さな積み重ねが、残酷なほどにムックが死んだという事実を私に突きつけていた。
"思い出"という幻想を持てば持つほどに私はその事実に苦しめられ、段々と家に帰ることが怖くなっていた。
「ムックとの過去の記憶を辿って生きていても何も変わらない。ムックの死を受け入れて前に進まなければいけない。そうは思いつつも、受け入れることでムックを忘れてしまう気がして怖い」そんなネガティブなことばかりを考えていた。

もう1つは、「他のワンちゃんと比較して、ムックは幸せだったのか」という、自分以外の人生の幸福度を決めようとする複雑な感情だった。
というのも、ムックは平均寿命よりもずっと若い、8歳半とい年齢で亡くなってしまったからだ。
父からは「ムックは寿命がきたんだよ」と言われたが、"平均"という言葉が存在する以上、寿命がきたと簡単に受け入れることはできなかった。
寧ろ、何かの病気であったと捉えた方が受け入れやすかった。
特に長生きしている他のワンちゃんのお話を聞くときにこの感情は強くなり、「他のワンちゃんは長生きなのに、なんでムックはこんなに若くで亡くなってしまったんだろう。何かしてあげられたのかもしれないのに、何で気付けなかったんだろう」と思ってしまうことが何度かあった。
逆に、「"老いる"という苦しみを感じずに、家族全員に看取られて息を引取れたのは幸せかもしれない」と考える時もあった。
私はムックの人生に対して是非を問うような考えをする自分が好きではなく、何度もやめようとしたのだが、他のワンちゃんを見るたびにどうしても止めることはできなかった。

この2つの感情は、考えても考えても答えがないもので、私を"ムックとの思い出"という過去に引きづり込んでは抜け出せないようにしていた。
そうとは分かっていても考えてしまうのは、ムックと長く過ごしすぎてしまったからだろうか。
ムックを愛しすぎてしまったからだろうか。
自分のためにも、ムックのためにも、ムックの死を受け入れて前に進まなければいけないのに、器用に自分の感情と折り合いをつけることは難しかった。


そんな私がムックの死を受け入れる覚悟ができたのは、新しい子犬を飼うことが決まった時である。
ムックの死から3ヶ月後の12月に、ミニチュアシュナウザーの男の子を飼おうと両親から提案を受けたのだ。

最初は「新しい家族ができる」という喜びでいっぱいだったのだが、その子犬を通してムックとの記憶を追いかけてしまうのではないかという不安が募った。
けれども、それはムックにも新しく家族になる子犬にも失礼であることや、過去ではなく現在を生きるしかないことをどこか頭の中では理解していた。
なので、「ムックはもういない」という事実を受け入れて、ムックとの思い出は大切にしつつも、新しく家族になる子犬との思い出づくりを思い切り楽しむことに決めた。

未だにムックの大好物の蒸し鶏が晩御飯でも誰も足元には寄ってこないし、ムックより長生きしているワンちゃんなんてたくさんいる。
けれど、「ムックはもういない」という事実を受け入れられた今は何かを考え込んだりすることなく、気持ちがずっと軽くなった気がした。

そして1月1日。新しい家族がやってきた。
名前はリッケ。北欧の言葉で"幸せ"という意味らしい。
好奇心旺盛でちょっとずる賢い男の子だ。

リッケにムックとの思い出を重ねようとしてしまうところはあるけれど、意識的ではあるもののリッケ自身と向き合えている自分がいる。
まだ片手で持てるほどに小さいけれど、一丁前に吠えてみせるリッケを見て、リッケはリッケなりに生きているんだなと感じた。

14歳から23歳という"私"が形成される時期に一緒にいてくれたムックはかけがえのない存在だ。
そして、24歳という大人になろうとしている私と一緒にいてくれるリッケも、かけがえのない存在になれるように、これからたくさん思い出をつくっていきたい。

過去の思い出を大切に、未来に向かって歩み続けること。
それが死を受け入れるということなのかもしれない。

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