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【交換日記70日目】本気の失敗には価値がある

てんてんくんの前回の日記はこちらです。

以前お話したことがあったかと思いますが、交換日記は以下のような構成で書かれています。
①前回メンバーの日記に対するコメント・感想
②交換日記のお題
③お題に対する回答
④次回交換日記のお題

これは一種の様式美であるとお伝えいたしましたが、KCくんのようにこの構成にとらわれることなく自由な構成で交換日記を展開するプレイヤーもいます。
彼は、何らかの制約を与えられる環境であると感じると、あえてその制約を打ち壊すような試みに挑む傾向があります。
交換日記の構成は決してプレイヤーの日記の書き方や内容を束縛するものではありませんので、こうした試みは歓迎するというほどのものではないにしても、否定されるべきものではないでしょう。
しかしそんなKCくんもまた、「制約を打ち壊す挑戦」をするという様式にとらわれてしまっていることもまた皮肉なものであります。

前回のてんてんくんの日記は、そうした「制約」に対して新しいアプローチで新しい様式を生み出そうとしています。
「①前回メンバーの日記に対するコメント・感想」の部分で一切改行していません。
一切改行の無い文章ですので、とても読みにくいように思える反面、読み手に息つく暇を与えずに一気に結論まで伝えてしまおうという勢いが感じられます。読めば内容がズシシ△に向けられているものであるとわかります。ズシシ△の交換日記を読んで、「大切なことをとにかく伝えたい」としている前のめりな姿勢がうかがえる良い文章です。

ズシシ△も様式に対する試みがうかがえる日記です。
ズシシ△の前回の日記はこちらです。

お気付きになった方も多かろうと思いますが、こちらの部分。

わーーーわーーーーわーーーーわーーーーわーーー

特にこれについて目的やこうした意図の類は読み取りにくいのですが、そもそものところで、そうした目的や意図が無いにもかかわらずアレンジを加えようとするこの姿勢が「特攻隊長」としての性質を表しているように思えます。
ただし、「特攻隊長」としての性質を表す必要があるタイミングだったのか、日記の内容だったのか、心境だったのかは量りかねます。

このようにプレイヤーは様々な立場、考えから交換日記の様式にアレンジを加えようとしています。
こうしたアレンジの試みは意識的に行っているケース(KC)と無意識的に行っているケースがあります。
ズシシ△の試みは意識的に行っているものではありますが、KCくんの試みとは決定的に違うところがあります。

それはプレイヤーからのツッコミを計算しているかどうかという点です。

KCくんの試みは、次の交換日記の書き手がケイタであるから成り立つ試みです。
「ケイタならこの制約に対する試みに気付いてくれるだろう」
「それを面白く突っ込んでくれるだろう」
という計算ですね。
一方でズシシ△の試みは、次の交換日記の書き手がてんてんくんのタイミングで試みるのは挑戦的ですが、成果は期待しにくいところがあるでしょう。
実際てんてんくんは日記の中で
わーーーわーーーーわーーーーわーーーーわーーー
については全く触れられていません。

せっかくの試みであるのに対し、これでは少しもったいないですね。
まぁ何か失ったわけでは無いですし、したがってこの試みに対して何かリスクがあったというわけでもないでしょう。
しかし次の読み手がてんてんくんであると分かった上でのこころみであれば、そもそもそこからの展開に期待は持てないところであったのも事実でしょう。てんてんくんのアドバイスをしっかり読んで今後の取り組みに活かしてください。
てんてんくんがしっかり書いてくれているので私からは特にありませんが、若かりし高校時代の出来事とは言え、すね毛を剃られミニスカサンタのコスプレをしてリレーをさせられた記憶はまだ消えません。
一方でお化粧をしてもらって衆人環視の中女装して走り回るという経験もまた、その後の人生では他にありません。
ミナツドはプレイヤーにとってそういう場所です。

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【てんてんからMくんにバトンタッチ】
プロジェクトM
~Mくんからみた地球~
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時は2021年。人類は産業革命後、凄まじい勢いで文明を築き上げ、そして現在。飽食の時代と言われ、社会問題、環境問題、自ら創り上げてきた文明により、人類は苦しめられていた。その時立ち上がったのがMくん。彼はこの地球を救うべく、自分の思想を語りだしたのだった。

プロジェクトM(えむえむぇむ、、、

誰にでもあることですが、何かに熱中しすぎてしまってそれが楽しくて仕方なくなってようやく、少し名残惜しい気持ちで終わった仕事の結果を後から自分で見て「何がおもしろくてこんなことやっていたんだろう」と思ってしまうほどの仕上がりのものだったことってありますよね。
恐らくてんてんくんもこの質問を考えていた時は楽しくて仕方なかったんでしょうね。

「Mくんというキャラクターの魅力を引き出すにはどんな質問がいいだろう。Mくんって何事にもこだわりとか、一家言がありそうだよな。それを語らせたら面白いだろうな!そうだ!」という気持ちで書いたことは分かります。
そして、それはとてもありがたいことです。一生懸命考えてくれたことは事実でしょうから。
前回のケイタからの交換日記のお題も「Mくんの幸福論」でした。
きっとケイタもてんてんくんと同じような「Mくん観」を抱き、お題を考えてくれたわけですから、その気持ちはとてもうれしいです。
てんてんくんも同様に、「Mくんの人生観」や「Mくんの哲学」、「死生観」などについて語らせるのが良かろうという心持で私へのお題を考えてくださったわけですから、私がズシシ△に出したお題「好きな図形は?」に比べて800倍くらいしっかり考えて出したお題です。
てんてんくんに至っては、私の思想を引き出すためにそれを語らせるべき経緯や状況説明まで「プロジェクトX」風に書いてくれています。もはやトモロヲの声が聞こえてくる…。

しかし、そこまでされるとかえって話をしたがらなくなってしまうのがMくんのキャラクターでもあります。少なくとも私はそう思います。
水を向けると話そうとしないのに、誰も求めていないタイミングでベラベラと語り始める厄介な存在がMくんです。
私自身が言うんだから間違いありませんが、私は私みたいな人と仲良くなれそうもないですね。同族嫌悪の極みです

ただお題に対し全くなにも返さないのもそれはそれで失礼なお話ですので手短に書かせていただくと、てんてんくんのお題にある「自ら創り上げてきた文明により、人類は苦しめられていた」の部分について。
人間の作ったものには必ず欠点や欠陥があると考えています。
つまり、欠陥がなく、未来永劫問題なく使用し続けることのできる道具や思想、制度は人間に作ることができないと考えています。

生物学の分類は科>属>種という3段階に分類をします。実際には属の上には「目」とか「界」とかがありますが、人間に置き換えると分かりにくいですが、ライオンはネコ科ヒョウ属ライオン種に分類されます。すべての動物がそうではないそうですが、属が同じ生物同士は交尾して子孫を残すものがあります。
ライオンも同じヒョウ属のトラやヒョウと子孫を残すことができますし、有名なのはラバです。ラバは同じウマ属のウマとロバの子供です。ちなみにこれは豆知識ですが、ラバは親であるウマやロバよりも丈夫でお利口さんなので家畜向きですが、子孫を残せません。ラバからラバが産まれることはないので、ラバが欲しければウマとロバを飼わねばならないそうです。

我々はホモ・サピエンスというヒト科ヒト属の種です。科:ヒト、属:ヒト、種:サピエンスです。ヒト属はホモ・サピエンスしか存在しません。そのほかの種は有名な「ネアンデルタール人」などがありますが、それらは絶滅してしまいました。
ネアンデルタール人と私たちホモ・サピエンスは同じ属ですので、先ほどのラバの例のように交配することがあったのかどうかについて気になるところですが、ホモ・サピエンスである我々現代人の遺伝子の一部にはネアンデルタール人の遺伝子が残されているという話もあります。交配していた可能性がありますが、まだ結論が出ていません。
私たちホモ・サピエンスは何年くらい前に誕生したかと言うと、おおよそ25万年ほど前とされています。
25万年前に誕生した人類ですが、ネアンデルタール人が絶滅したのは今から3万年前。少なくとも20万年ほどは共存していたわけですから、確かに交配しても不思議がないほどの時間、一緒だったわけです。

そもそものところでこうした科>属>種という段階ですが、共通の祖先を持つ段階がどこの段階で同じかどうかを示すものです。
ライオンはネコ科ヒョウ属ライオン種 というお話をしましたが、同じヒョウ属のライオン、ヒョウ、トラは何代も遡ると一頭のメスのヒョウ属のお母さんにたどり着き、少なくとも2人の子供がいて、その片方がヒョウに、片方がトラになったということです。

ホモ・サピエンスが登場したのは25万年前、しかし学校で習う日本史や世界史の大部分は古くてもせいぜい紀元前4,000年ほどです。
紀元前4,000年というと今からざっと6,000年ほど前です。残りの24万4,000年はどこに行ってしまったのか。

歴史は「有史時代」と「先史時代」に大きく分けられます。
有史とはつまり文献が確認できる範囲の時代、先史はその時代よりも前(先)の時代ということです。

人類の歴史は長いようですが、実はその大半が文字として残されていない時代のものです。文字が残されていないころの人類は、髪も髭もボーボーですが、私たちとDNA的にはほぼ100%同じで、交配することも可能です。
であれば当然、小さい子供たちは木の棒か何かを振り回したり、かくれんぼのようなことをして遊んでいたでしょうし、もうちょっと大きくなると恋愛をしたり失恋をしたり、子育てのことで悩んだり親や旦那さんと喧嘩したりしていたんでしょうね。

自分が産まれてからどのように生きてきたかとか、何かについてどのように感じているかとかそうした考えを誰かに伝えたいという思いを持った人もいるでしょう。
しかし文字がなかった。というよりも、文字は記号ですから、読み方のルールをそろえなければ記号として認識することもできません。何が書かれているか認識するための「読み方」を共通化しなければ文字としての機能は成立しません。

10人、20人程度であれば1つの家族として何とかまとまりができるかもしれませんが、これを超えてくる人数の集団となると複数の家族がくっつかねばなりません。そして、今の人間も学校の1クラス、つまり40人程度の人数までであれば1人の人間でコントロールすることができますが、これ以上の人数になると複数の人間でコントロールしなければ集団は共通のルールで動けなくなります。
文字のルールも同じで、50~100人程度の読み手(コミュニケーションの受け取り手)を想定するのであれば、口で言う方が簡単です。
文字が必要とされるのは数百の人が所属する大きな集団や、遠くに離れた集団同士のコミュニケーションなどに限定されます。
ということは、当然集団の規模からして、大きい集団をコントロールするための小さい集団がいることになります。つまり、生産活動に直接携わらない人も養うことができる食糧生産力を持った集団で、言ったことを従えるだけの力も持っています。

そうした規模の集団ができてようやく、「文字」の必要性が出始めるわけですから、今の私たちはとても恵まれていますね。
さて、どうしてこういう話をしているかというと、てんてんくんのお話の通り今の社会には様々な問題があることは確かでしょうが、人間の歴史というものは、そもそも私たちホモ・サピエンスという種の歴史全体からすれば極々最近の出来事です。25万年の歴史の中でたくさんの失敗もあったことでしょうから、あまり他人の失敗や欠点は意識せずに、ゆったりと構える気持ちを持つことが大切だということです。

我ながら何となくうまい着地をすることができたのでこれでおしまいにします。

なかなか順番が周ってこないと言っていたので次の交換日記はズシシ△にお願いします
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【Mくんからズシシ△へ質問】
15歳に戻ったらどうする?
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