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反省文(1年ぶり2回目)

最近noteをまったく動かせておりませんでしたので、これもいい機会ととらえ、今年一年を振り返りつつ、来年に向けて考えていることなどを、とりとめもなくまとめて書き連ねて3,000字を満たそうと思います。
ミナツドの企画といえば今まで「カラダ探し」、「ケイドロ」の2本が主でした。昨年末から「カラダ探し」は大型なアップデートを行い、新マップ・新ルールにてゲームが行われるようになりました。我々の母校ではなく「カラダ探し」原作に登場する高校をできる限り忠実に再現しようという取り組みで制作されたマップですので、母校とは違う校内のつくりに、当初はかなり戸惑いました。未だに工業棟の場所がよくわかりません。しかし、かなりアナログチックなところがあった旧・カラダ探しからは大きく進化し、ゲーム性がかなり高められたということは言うまでもありません。そういえば今年はケイドロがほとんどありませんでした。Modなどを駆使して新要素が随時加えられてきたケイドロですが、私は今年1回もプレイしておりませんでした。最近のミナツドでは、「ゾンビ島」などにみられるようにModを多用したゲームが増えてきました。Modを使うことで、ゲーム自体Minecraftであるにも関わらず、内容としてはまったく別のゲームにすることが可能であるというのは一昔前のゲームからは考えられない拡張性です。ミナツドも、特にTつぐが主体となってコマンド、リソースパックを使用したゲーム、企画に取り組んでいます。プレイヤーからすればゲーム性が高まって、より楽しむことができるようになるのでとても良いツールです。反面、これは個人的に感じていることなのですが、ミナツドで考えたゲームを視聴者さんが友人と一緒に遊ぶようなことがしにくくなってしまっているようにも思います。元々そうした「模倣プレイ」を意識して動画化している我々ではありませんが、コロナ禍で子供たちの遊びの仕方も変化している昨今、子供達でも真似しやすい企画というものに取り組んでみたいという気持ちがあります。Minecraftは、純粋にバニラ状態のサバイバルワールドで冒険を楽しむだけでも十分おもしろいものではありますが、特に子供が複数集まって仲良く遊ぶためには一定のルールが必要になります。サバイバル状態は本質的にルールがないため、子供は無秩序に遊ぶことになってしまいます。それであればゲームの下にルールを敷くことで、子供たちが仲良く遊ぶ機会を提供することができるかもしれません。
ここまででおおよそ1,000字です。これをあと2回書くことになるわけですね。
今年1年は本業が割と忙しい1年でした。特にこの年末年始は、年明けに本業の昇格試験を受けることになったため、論文作りにいそしんでおります。ちなみにそちらの論文は2,000字です。なんで身内ネタで始まった作文が3,000字で、会社に提出する論文が2,000字なんでしょうね。反省文が長すぎると思います。以前から申し上げておりますが、私は文章を書くことが苦ではありません。このように、意味もなく頭に浮かぶことをただただ書き連ねることは得意なほうです。私は温かい上司に恵まれていますので、会社に提出する論文は事前に何度でも上司が確認してくれます。先日も、朝一で論文を上司に渡し、昼前に「全文書き直し」を命じられたのですが、昼過ぎには全文書き直して再提出しました。上司には再提出を見越して事前に用意していたと疑われたのですが、本当に2,000字を30分程度で書き上げました。結局、その書き直した論文も全文書き直しを命じられてしまいましたが。これは誰でもそうだと思うのですが、最初の一歩を踏み出してしまえば、何となくなし崩し的に事は進められることが多いです。文章を書くのであれば、「書くことがなにも浮かばない」と悩むのではなく、まず1文目を書いてみることが重要です。ジム通いなんかその典型的な事例ですが、家を出るまでが面倒なのです。家を出てしまえばそこまで苦痛はありません。ただ、大人ってその辺がズルいもので、「そもそも面倒なことは最低限にしてしまおう」という発想になってしまうものなんですね。面倒なのは「仕事」、「家の掃除」、「髪を乾かす」。この3つだけにしてしまっている方も多いのではないでしょうか。私に至っては、「髪を乾かすこと」すら面倒なので髪を短くしてしまっています。どうしようもないめんどくさがりです。気づけば「家の掃除」も面倒なので、ロボット掃除機を買って床に物を置かない生活にして掃除から逃れようとしています。おかげさまで私は掃除をほとんどしないのですが、家の中は割ときれいに維持できています。ロボット掃除機、結構おすすめです。いまは中華製の安いものも多く出回っていますので、ぜひ家の掃除のわずらわしさにお悩みの方はご検討ください。床に物を置かないようにする習慣も同時に手に入りますし。
ここまでで約2,000字です。「百里を行くものは九十を半ばとす」。まだ90%とは言えませんが、大分進みました。
「百里を行くものは九十を半ばとす」というのは慢心すること、甘く見ることの危険性を説くとても良いことわざですが、実際の人生において、何を以て「百里」とするかはとても難しいところがあります。人間というのはいい加減なもので、一度手に入れてしまうと、手に入れてしまう前に感じていた切望の気持ちは薄れていってしまいます。常に次の「百里」を求めてしまう生き物なんですね。これが人間を「万物の霊長」とするゆえんではあるのですが、ひと一人の人生に置き換えた場合、これほど恐ろしいものはありません。人間は自分の人生について、どこかで「ここが百里」もしくは「あそこが百里」と決めてしまったほうが楽に人生を過ごせるように思うようになりました。仮にあと少し先に行ったところに素敵な街があったとしても、「まぁ、俺はこの街で暮らしていこう」と考えることも大切です。いろんな街をめぐる人生も、それはそれで良いのかもしれませんが、次に行く街が今の街よりも居心地がいいものとは限りません。その街で一生を過ごしてみなければ分からない、その街の良さというものもあるでしょう。特に今の街に居心地の悪さを感じなければ、次の街を夢見る必要もないでしょう。むしろ、今の街を居心地よいものに変えていこうとすることもまた、人生の醍醐味と言えるかもしれません。
なんとなくですが、とても良いことを言った気がします。
とても良いことを言ったので、3,000字には届いていませんが許されるような気すらしています。しかし、いまだいたい2,700字です。ちょうど九十里まで来たことになります。もう少し頑張ってみようと思います。
来年どうしようかというと、とりあえずこの投稿を以て、えむらじの質問フォームは閉じようと思います。理由は簡単で、質問を全て返し終わったのと、私自身もえむらじを以前のように開催できなくなってしまっているからです。質問を放置してしまうことを避けるための処置ですので、この点はご理解いただきたく。この場合の「ご理解いただきたい」のは「残念だけど納得してね」ではなくて「変に勘ぐらなくていいです」という意味ですので、この点もご理解いただきたく。
ミナツドの活動にも「百里」を定めることが必要な時が来るかもしれません。私自身は同級生と楽しくゲームする習慣がほしいだけではありますが、せっかくたくさんの視聴者さんとの出会いや応援を頂いてきた活動ですし、貴重な経験もたくさんさせていただいています。こればっかりは、少しでも百里を遠くに持っていくことができたらと願っております。
さて、いろいろお話させていただきましたが、2022年もたくさんの応援を頂き、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。2023年がどんな年になるのかはだれも分かりませんが、引き続き皆様の応援を頂ける一年になれば本当にうれしく思います。どうぞ来年も一年、よろしくお願いいたします。(3,285字)


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