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Mくんの私に書かせなさい #2 "To write, or not to write, that is the question".

ファンブック創刊というイベントもありますので、noteで「私に書かせなさい」の連載を開始することになりました。

「なりました」という表現は適切ではありませんね。私が書きたくて書いているのですから、もう少し能動的で積極的な表現のほうが良いかと思います。「開始することに致しました」のほうが良いでしょう。

「私に書かせなさい」というタイトルは、ファンブックを発刊するにあたってのコンテンツ決めのミーティングの際に、誰かが「そんなにたくさんのページを埋められるだけ書けることがないのではないか」との趣旨の発言に対し「そんなことはないよ、それだったら私に書かせなさい」と言った私の発言がそのままページ構成案資料に「Mくんの私に書かせなさい」と記載されたのが元になっています。

恐らくはKCくんが資料に記載したのだとは思いますが、個人的にこのタイトルは気に入っています。「文章を書くだけの能力のない雑魚に書かせる機会をやるくらいなら、私に書かせた方がよほどいいでしょう?」というMくんっぽいマウントを感じさせるタイトルです。同時に、「幅広い知見をもとにした独自の見識を披露する」雰囲気すら感じさせるような気がして、関わるとめんどくさそうな人柄を感じさせるのがMくんっぽくていいですね。

そんなMくんのコンテンツをお読みになる読者の皆様に対しては敬意と感謝の念を禁じえません。ありがとうございます。

さて、vol. 1 である本稿ではまず、noteで継続している「交換日記」と「私に書かせなさい」との違いについて明確にしておく必要があろうかと思います。私が今後執筆していく上での基準にもなりますので。

「交換日記」は、あくまでリレー形式の記事ですから、前の人から受け取るバトン(テーマ)に準じたものになります。したがって、必ずしも私が書きたいことを書くというわけではありません。一方で「私に書かせなさい」は、私自身がその時々で「書きたい」と思ったことを書いていく連載にしたいと思っています。

私が「書きたい」と思うものは、ミナツドの活動に関する裏話やケイタの悪口、ケイタに対する馬事雑言、ケイタに対する呪詛の念であったりすることが多かろうと思いますが、そのほかにも書評であったり、使っている商品であったり、私が仕事で収集した知識である会計や経営論であったり、ケイタが皆様に知られては困るような秘密であったりと、特にテーマを決めずに書いていこうと思います。

さて、新しいことを始めるに当たっては、「すること」を決めるのと同じくらい、「しないこと」を決めることが重要です。これは様々な経営論の場で出てくるキーワードです。私もこれを大切にしていきたいと思います。

「しないこと、やってはいけないこと」を事前に決めずに先へ進んでいくと、自らの立場を弱くしてしまうことがあります。

例えば「いきなりステーキ」ですが、立食によって回転率を高めることで成り立つビジネスモデルでした。つまり「着席をしない」ことを根幹としていたはずでしたが、出店ペースを速めすぎた結果、「着席してステーキを食べたい」客層を取り込んで売上を確保しなければ事業として成立しなくならない経営状況に陥ってしまいました。

この時にビジネスモデルの根幹である「着席しない」ことを継続していけば、郊外や駅から遠い地域への出店は見送ることができたかもしれません(お客さんが来ないと高回転率は維持できませんし、時間の無いお客さんを相手にしなければ立食スタイルは評価されにくいでしょう)。

「しないことを決める」ことのメリットは、自分の土俵で勝負をすることができるようになるだけではありません。多角化することは相手を裏切る結果に繋がるリスクでもあります。

例えば、この記事の読者の皆様は、私のミナミノツドイとしての活動の中での立ち振る舞いや話の内容などから私に興味を持っていただいてくださっているわけです。ですから、ミナミノツドイとしての活動から大きく外れてしまい、かつ、Mくんというキャラクターに対する見方が大きく変化してしまうようなコンテンツは避けるべきでしょう。

これらを踏まえ、「私に書かせなさい」で「やらないこと」は次のものといたします。
・政治的な意見や見解
・宗教的な意見や見解
・ケイタ以外のミナミノツドイメンバーに対する悪口
・社会、地域的な差別に関する見解

こうしたことをどうしても発信したいという強い思いがMくん(というよりはMくんの中の人)に生じた場合は、それはミナミノツドイのMくんとして、ではない形で発信すべきものと考えます。これらは今後追記、修整されることが想定されます。
今の時点でも、KCやTつぐなど、ランキング上位メンバーに対する悪口は書いても良いのではないかという葛藤がありますので。ケイタの件についても、今後の彼の出方次第では除外を検討してやる可能性もあります。

否、やらないことは一度決めたら絶対にやらないべきでしょう。これでいきましょう。
KCやTつぐは命拾いしましたね。

ここまでの約2,000字が「私に書かせなさい」の序文かつ、ルールになります。

さて、ここからが本題です。今回はお勧めの小説をご紹介します。

デュ・モーリア著 『レベッカ』
1938年に発刊されたイギリスの小説で、作者のお名前は”Dame Daphne du Maurier” です。
“Dame”とは叙勲を受けた女性に対する敬称で、つまりこの方は勲章をもらっています。
”Dame”という名前もありますが、その場合は苗字ですから、名前の後に来ます。
この”Dame”は、男性につける”Sir”に相当します。

そうすると、この方のお名前は”Daphne”ですね。
私と同じくギリシア神話好きの方ならDaphneという名前を「ダフネ」と読んでしまっているかと思います。英語読みでは[dˈæfni] 。カタカナにすれば「ダフニ」です。
発音記号の読み方については、いつか取り上げようと思います。何となく読んでいるか、これが発音の仕方を表記していると知らない方が多かろうと思いますので。発音記号が読めるようになると、外国語と日本語の発音の違いがよく分かるようになります。

さて、ギリシア神話の「ダフネ」が分からない方でも、ローマ神話の「キューピッド」はご存知かと思います。
ローマ神話の「キューピッド」はギリシア神話の「エロス」と同じ神様です。
ローマ神話はギリシア神話を基に作られた(部分が多い)神話なので、神様の名前が違っても指している神様は同じである(ことが多い)のです。

もう一人、ギリシア神話の「アポロン」も名前を聞いたことがある方が多いかと思います。

ちょっと画像検索で「アポロン」を調べてみてください。
アポロンはよく見ると、頭に葉っぱを巻いています。あの葉っぱは「月桂樹」という木の葉っぱで、この葉っぱを乾燥させたものが「ローリエ」です。料理好きな方なら家にあるかもしれませんね。

ギリシア神話の有名なお話の一つが、アポロン、エロス、そしてダフネの3人が登場するお話です。
エロスは2つの矢を持っています。1つは射られた人を恋焦がれさせる金の矢、もう1つは、射られた人が恋愛を嫌悪させる力を持つ鉛の矢です。アポロンはエロスの持つこの矢を馬鹿にしてしまい、エロスを怒らせてしまいます。
怒ったエロスは金の矢をアポロンに、鉛の矢をダフネに放ってしまいました。

その結果、アポロンはダフネを強く恋慕し、逆にダフネは自分に恋い慕うアポロンのことが気持ち悪くてたまりません。居ても立ってもいられなくなったアポロンはついにダフネに近づこうとしますが、ダフネは走って逃げ出してしまいます。

ダフネは必死に逃げながら父である川の神ペーネイオスに「姿形が変わってしまっても、清らかな身体でいたい」と祈り、父ペーネイオスはその願いを叶え、ダフネを月桂樹に変えました。傷心のアポロンは月桂樹の枝を手折り、冠にすることでダフネと共に生きることにしました。めでたしめでたし、というお話です。

決してめでたいお話ではありませんが、このお話からダフネは「清らかな女性」の象徴として女性の名前に使われるようになりました。
今の時代の価値観では「女性には清らかでいてほしい」という価値観は受け入れられない場面もあろうかと思います。しかし、価値観とは文化の上に成り立つ感性そのものと言うことができますから、時代が違ったとしても価値観を否定することは相手の文化を否定することになりかねません。
自身の価値観をもとに相手の価値観の優劣や良否を説くことは簡単ですが、少なくとも神話に対してそのような議論を持ち出すのは無意味でしょう。議論をする相手はとうの昔に亡くなっていますから。

一方でこうした価値観を、まだ自分自身の価値観を身に着けていない子供に押し付けてしまうのは問題だとする議論は、ある程度意義があろうかと思います(これも今の時代の価値観ではありますが)。

話は少し変わりますが、日本では馴染みの無い方が多い宗教教育は、特に欧米では、子供が教会に行って聖書の教えを教わることは当然とされています。「道徳」と「教義」が密接に関わっている文化圏は多く、日本のような国は少数派です。

道徳の究極的な規範は「自分がされて嫌なことを相手にしないこと」であると思って〇〇年生きてきました。
この規範を無視した行動を取ってしまうのは、ミナツドを例に出すならば、ケイタくらいです。つまり世の中のだいたい8人に1人は、「自分がされて嫌なことを相手にしようとする」タイプなのかもしれません。

なんの話でしたっけ?
レベッカの作者、”Dame Daphne du Maurier”のお名前でしたね。
“Dame”と”Daphne”まで終わりました。

“du” 「デュ」はフランス語を勉強したことがある方は分かるかもしれませんが、”du”は”de”(「ドゥ」)と”le”(「ル」)が合わさったものです。「ドゥ ル」が濁って「ドュ」になったんですね。

”le”は男性名詞(単数形)に繋がる定冠詞、英語で言うところの”the”に当たります。

”de”は日本語で言うところの助詞の「の」に当たります。日本語の「の」にはいろいろな意味がありますが、特に英語で言うところの”of”と”from”に相当するのが”de”です。

以前なにかの機会に英語の意味を調べるには英英辞典を使うといいですよ、というお話をしたことがありますが、特に欧州言語を習う時、英語に置き換えて理解するとわかりやすい場面があります。

「前置詞」、つまり「助詞」は日本語に置き換えて理解するといろいろ混同してしまうものですが、英語に置き換えるとわかりやすいものです。
それもそのはずで、日本語の助詞は英語の助詞に比べて数が少ないのです。

例として挙げるならば、
英         :  和
over the~ :~の上
under the~:~の下
in the~      :~の中 
といった具合です。英語の助詞は違うのに、日本語の助詞はすべて「の」です。

ちなみに、日本語の助詞は「後置詞」に分類されます。英語などの助詞は名詞の前に来るので「前置詞」です。

さて話を元に戻して、作者の”Dame Daphne du Maurier”の”du”ですが、フランス語?

気になったので調べてみたら、やはりこの方の父方のルーツはフランスにあるようです。
”Maurier”の意味はよく分かりません。地名なのでしょうか。

地名だとしたらこの方のお名前の意味は「Maurierというところ のDaphne」 (”du”を”of the”とした場合)もしくは「Maurier から来たDaphne」(”du を”from the”とした場合)ということになります。まぁ、どちらも同じことですね。

ルネサンス期の有名な芸術家の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の名前は「ヴィンチ村のレオナルド」という意味だと知っている方は多いかと思いますが、イタリア語の”da”はフランス語の”de”と同じような意味なのでしょうね。”da”を”from the”と訳すと「ヴィンチから来たレオナルド」とすることができますので。

閑話休題。大分話がわき道にそれましたね。
この『レベッカ』という作品ですが、1938年発表と戦前の作品でありながら、2008年に新潮社から新訳版が出ています。私はこの新訳版しか読んだことがありませんのでその日本語訳の良し悪しはともかく、上品な情景の中に時折うっすら浮き上がる不気味な影を感じられる感覚は、他の作品ではなかなか味わうことができません。

ざっくりストーリーをお伝えすると、主人公の「わたし」はモナコ公国のホテルでイギリス人の貴族であるマキシムと恋に落ちる。マキシムは海難事故で妻を亡くしており、その後妻に迎えられた「わたし」は彼の美しい邸宅「マンダレー」に移り住むが、慣れない貴族の生活とマンダレーを包む前妻「レベッカ」の名残から生活は徐々に息苦しくなっていく。それでもマキシムへの変わらない愛を持ち続ける私だったが、マキシムには「わたし」には教えられない秘密があった・・・。

という感じのサスペンス調のゴシックロマンス物語です。

流行になりやすい漫画やアニメ、映画などの共通点は「伏線回収」であると思っています。この『レベッカ』もたくさんの伏線(秘密)を後半で一気に回収していくストーリーですから、流行にならないわけがない。発表から80年以上経過した今でも、『レベッカ』のファンは多いのではないでしょうか。上・下の2巻ですが、もし気になった方はだまされたと思って上の100ページくらいまでは読んでいただきたいと思います。最初から読者をぐっと引き付けるような作品ではないかもしれません。特に第一章は意味不明な美しい雰囲気を伝えるだけの文章に思えてしまうかもしれませんが、これは全部読み終わった後に読み返すことで、その「夢」の意味するところが分かるのです。第二章から読んでもいいかもしれないですね。

こんな感じで今回は『レベッカ』をご紹介いたしました。

勉強とは体系的に教わるのが最も効率よく理解し、知識として習得することができますが、関心のないことを勉強しなければならないことほど、つまらないものはありません。

関心はインスピレーションのようなものですから、派生的に発展していきます。

派生的に行き着いた先で関心を持ったものを調べて体系的に知り、理解することが教養になるのかもしれないですね。

良い感じなので終わりにします。

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