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ヒダには何があるだろう?って話。

新しいものを作る時、必要なものは[素材]と[人]、この2つだと思う。

起業するなんて話もそうで、誰が何で起業するかってのは誰もが考える所。何をやるかより誰とやるかが大事って話もあるけど、それも人が何人だろうが、その人達がいて扱う素材がある。

僕が起業しようとした2005年、何も考えずに会社をやめたものだから、素材が見つからずにほんとうに困った。いや、あるにはあるけど興味ない素材を扱う気にはならなかった。

東京に出てきて4ヶ月、刺激しかない街で僕は素材を求めて外を出歩いた。3ヶ月くらいかかって気づいたのは、

”外に答えなんてなかった”

って事だった。起業したいならしたいなりにその理由、その原体験は、全て自分の中にしかない。外の世界は映し鏡と言われることがあるけどほんとその通りで、自分の中にあるものが姿カタチを変えてこの世界になってるだけ。

だってどこに行こうがそれを見ているのは自分。外には他者もいるけど、他者の視点を解釈するのは結局自分だから、いってる言葉をホントだと思うか、嘘だと思うかなんてのも結局全部自分次第。

そんな事に気づいてから、「僕には何ができるだろうか・・・」って中に答えを求めはじめた。そして、2012年までの7年間やってきた。

素材のない人はいないので、そういう意味では人と素材はだれでも揃うと思う。やろうと思えばだれでもなんでもできるのがこの世界。

じゃー飛騨には何があるだろう?

そんな事を思いながら僕は最初の数日を飛騨で過ごしました。

ずっと飛騨に住み続けている人の話。
東京から飛騨に移住して住んでいる人の話。
旅行で来た人の話。
行ったことない人の印象の話。
実際に見て感じた僕の感覚。

日本には森林に関する問題が色々あるようで、そんなのは表面上は知ってたけど中身は何もしらない。話を聞いてなるほどーと思う事だらけ。

飛騨市は93%が森らしい。日本全体だと60%くらいが森だったかな?

広葉樹とか針葉樹の話をしだすと長くなるけど、とにかく飛騨には木がある。特に広葉樹がいっぱいある。家具の生産量も凄く多い。匠の技術と言われる技術があり、飛騨には腕のある職人さんがたくさんいる。

高山市ほど観光地化されておらず、街はすごく静か。過ごしやすいしゆっくりできる。夜の静けさなんて、雪が積もった時のあの音がない感じと一緒だった。

あのなんとも言えない空気を雪がないときに感じたは初めてだった。

街は凄くコンパクト。河合町は何もないけど、何でもある贅沢な感じ。「お金稼がなくても暮らしていけそう」ってiターンした人が言ってたみたいだけど、なんかその感じわかるかも。

雪中酒ってのを飲んでみたい。何あのオシャレ日本酒。桃の木を添えてる意味がまだわからないけどそれがすごい惹かれる。

「観光地にはしたくない、仕事人向けのサードプレイス、新しいものづくりの場所、クリエイターが集まる場所」

そんなのができそうな気がする。HIDAという名前は海外の観光客にも知られているし海外からだってビジネスマン呼べそう。

何もない所では何でもできるからラッキーだと思う。でも問題なのは何もなさすぎて全部一人で始めないといけないって所。

つまり、素材が見えづらい。あるにはあっても扱いづらい。持て余す。地方だと特にスケールのでかい素材はあるけど、それが何もない状態になっちゃってて、ひとりのやる気じゃなかなか難しい。

飛騨は違う。

木がある。
職人がいる。
技術がある。
街がある。
生活がある。
過去が生きている。

何より今、熱い人たちがいる。

日本が誇れる世界のHIDAになれると思うんだなぁ。

特に漬物ステーキやばい。

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