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初めての100mileレースで救急搬送されてDNFした話

2019年、年代別で表彰台に立つことのできた記憶に残る100mileレース『Grand Raid Reunion』。
2017年に挑戦し、ゴールをすることができなかったのもこのレース。
対極の結果となったレースの2017年の振り返り。

レースにトラブルは付きもの、レユニオン島は2017年も遠かった

準備万端、心残りなくレースに望めたことって何回あるんだろう?自分の場合は、どんなレースでもだいたい何かしらの不安を抱えた状態でスタートすることが多い。そしてスタートする前にも何かしらのトラブルを抱えることがある。
レユニオン島のレースに出たのは2回。2017年と2019年。2019年は超大型台風に阻まれ、移動日程の変更があり、レース前日に島にたどり着くというギリギリなスケジュールとなった。
2017年は、予約したチケットの名前がパスポートの表記と違っていることが移動3週間前に発覚し、ありとあらゆる手段を使って交渉するもチケットの名前変更はできず。もう1度チケットを買ってレユニオン島へ移動することになった。
つまり、2回中2回、打率100%でチケットの再購入をしている。レユニオン島は遠いなと本気で感じている。

『Grand Raid Reunion』ってどんなレース?

Grand Raid Réunion (グラン・レイド・レユニオン)
レースカテゴリは4つあり、私が参加したのは『The Diagonale des Fous』(愚かなる者の対角線)と呼ばれるその名の通り島を縦断するコース設定。
▼レース詳細
距離/163km(2017年)
累積/9,920m(2017年)
制限時間/63時間
UTMBの制限時間が45時間に対して、こちらは63時間。距離や累積だけではない『なにか』が潜むレース。(噂によると山賊がでるとか)

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夢と希望を胸にスタートをした2017年。スタート前は泥水すすってでも完走してやると意気込んでいた。

レースプラン

この時の自分を殴りたい。レースプランなんてものはなかったのだ。なんとなく、40時間以内くらいでゴールする。そんなことだけを考えていた。

2019年は同じ轍を踏まないよう、プランは緻密に。
↓2019年のタイムチャート

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過去1年、自分のレース結果を拾い、どういうコースでCTの何パーセントで進んでいるのか。などなど。思ったよりも精度高くて、後半のアキレス腱の痛みが出るところまでは±10分程度だった。(その後は遅れたけど…)

ここからはレース内容を2019年の振り返りと併せて記載する
(2019年のレースは↓)

■St Pierre(スタート)~ Cilaos (第1ドロップバックエイド)

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↑スタート前はギリギリまでパンとかジュースとか補給ができる
スタート位置は控えめに中後方。

初めての100マイル、海外レースだし、ゴールすることが目標だから最初から突っ込むなんてことはしないぞ!そんな考えからこの位置につけた。
2019年振り返りでも書いているが、これが大失敗。スタート後は15km弱ロード(途中林道を含む)を進むのだが、ロード区間が終わると少し狭いトレイル。事前に集めていた情報だけではここで大渋滞にハマることを知らず、ゆっくり入ったために渋滞にハマってしまった。
国内のレースであれば、ある程度のポジションで走るので、これまで渋滞と呼べる渋滞にハマったことがなかった。そのため、気持ちも落ち着かないし、なぜか足が重くなるしで、焦ってしまった。
やっと渋滞を抜けたと思っても、すでに40kmほど進んでいて、さらにその先は激しいアップダウンの続くトレイル。一行に落ち着かない気持ちのまま進むことになった。
また2019年とは違い、初日は夜も気温が高かった。動かなくても汗が出てくる。湿度も高いからか水分を奪われ、まだまだ序盤なのに足攣りが始まり、こんなところで…という気持ちになっていた。
1つ目のドロップバックエイドについたのはお昼頃。炎天下の下、荷物の詰め替えをする。この時使っていたライトはPETZLのNAO。電池を入れ替えて2度目の夜に備えた。
暑いけど、この時はまだまだ行ける、そう思って疑わなかった。

■Cilaos ~ Savannah (第2ドロップバックエイド)

いよいよこのレースの核心部へ足を踏み入れる。5、6kmの間に800m登って、500m下るなど、登り下りがぎゅっと詰まっているエリアを抜け、100km辺りで2,000mほどの峠を一気に登る。
一気登り手前には救護所(エイドではない)があり、夜10時ごろにここに到着。この時とにかく具合いが悪く、大げさかもしれないけど1歩歩くごとにゲロってるくらい(言い過ぎだけどねw)の状態だった。ここまでもわりとスリリングな崖沿いの道を足元おぼつかない感じで進んできて、ここで本格的に進めなくなった。
この時の気持ちを思い出すと前に進めなくなった理由の1つは、この先の登りだった。天まで登っているのでは?と思うほど高くに小さくヘッドライトが光っている。あれを登るのかぁ…この状態でかぁ…と気持ちは折れた。そこで、この救護所で少し寝させてもらって、回復したらスタートしよう!と考えた。
レスキューのお兄さんと少し会話するも英語はほぼ通じず。「寝たい」と訴えると、簡易ベッドに通され、金ピカシートと毛布に包まれ、意識を手放した。
そして小鳥のさえずりで目を覚ました。そう、朝になっていた…
ん?あれ?ここに着いたのって夜だったよね?朝?どうして?頭の中はパニック。気持ちを落ち着かせながらリスタートする準備をしているところに、レスキューのお兄さんからの一言。
『Your Race is over』
まてまて。時間はまだあるし、みんなまだ進んでいるじゃないか。なんでここで辞めなきゃならんのだ。タクシーに乗って帰れって言われたけど、タクシーに乗るにもかなりの距離を歩かなきゃならない。それならスタートさせてほしい。どうしてこんなこと言われているんだろうと理解に苦しんでいると、寝ているときも嘔吐し続けていたらしく(意識ははっきりとしていなかった)レスキュー班の判断でゼッケンタグを外されていたのだった。
しかし、一晩寝てスッキリしている。なんとか交渉を続けるも、英語が通じないためどうにもならない。ここで終わりなのか。そんな諦めが入った時。
日本から参加の弥生さんとその友人のフレデリックさんに声をかけられる。フレデリックさんがレスキューのお兄さんに交渉してくれて、なんとゼッケンタグを返してもらえた。
レスキューのお兄さんからは『ただし絶対にゴールすること』と約束をさせられ、再び旅を始めることができた。
普段から人との繋がりを大切にしようと心がけているけど、この時ほどそう思ったことはない。
みんなにお礼を言って、リスタート。

朝と言えど気温は高く、そして2,000mも登る。はっきり言って、1晩寝たくらいじゃ、回復はしきっていなかった。それでも先に進ませてくれたみんなへの感謝と、泥水すすってでもゴールするという気持ちで登りきり、せっかく登ったけどそのまままた2,000mほど一気に下った。
↓2000mアップする峠の写真w

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そして2つ目のドロップバックエイドに入っていった。

あの音は一生忘れない

エイドに入るとすぐに救護スタッフに捕まえられる。ちょっと気持ち悪いけど、どこも痛くないし、元気なのに。
血圧を測られ、血液検査、尿検査まで受ける。そして再び『Your Race is over』これ以上は先に進められないと告げられる。いわゆるドクターストップってやつ。ここまで120km。累積7,500mくらいは登ったのではないだろうか。そんな距離を進んできて、バイタルチェック受けて正常な人っているの?いないだろ。そう思い、何度も何度も交渉をする。その度に『No』と答えられ、振り切って出発してやろうかと思った時に、本物のレスキュー隊員にストレッチャーに乗せられ、救急車で病院まで運ばれた。
みなさん知ってます?海外の(レユニオン島だけなのかもしれないけど)救急車のサイレンの音ってなんか間抜けなんだよ。
今でもすぐに思い出せる。耳にこびりついて忘れられないあのサイレンの音。遠くで聞くんじゃなくて、救急車の中から聞いているからずっと一緒なんだよね。
病院につくと、先に搬送されていた選手で廊下が埋まっていた。そして、問診と点滴を受け、その日は入院だと言われた。
いやいや。こんなところで入院なんてしてられん。こんな形でレースは終わってしまったけど、ホテルには帰りたい。
明日の便で帰国するから今日中にホテルに帰れないと困る。と嘘をついて(ごめんなさい)なんとか脱出。その後もタクシーを探すも拾えず、病院からホテルまでの道を彷徨った。この時も助けてくれた方がいて、道を聞こうと思ってたまたま入ったタコス屋さんの店長さんが、そのホテルなら近いから車で送ってあげると言ってくれた。道さえわかれば、自力で行けると伝えたが、ジュースまで差し出してくれるので、甘えることにした。

なぜ、自分の名前が載っていないのか…

翌朝、ホテルで朝食を摂っていると、旅行代理店の人が新聞を広げて、完走者の名前が載っていると言う。当然だけどそこに自分の名前は載っていない。
悔しいな、あの先はどんな未知が続いていたのかな、そんな気持ちが大きくなって、泣きそうになった。レース翌日。なんなら昨日よりは体が痛い。でも、お金も時間もまだある。そして決意する。
よし、行けるところまで戻って、勝手にレユニオン再開しよう。

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旅の続きで見た景色

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旅行代理店の人は100マイル走った翌日にも関わらず、予想外の終わり方をした自分の旅の続きに付き合ってくれた。
自分がやめたところまでは戻れなかったけど、ゴールまで20kmくらいのところから旅を再開。
1歩1歩を大切に歩いて、67時間かけてちょっと短いレユニオンの旅が終わった。

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↑完走してないけど、オーガナイザーが完走Tシャツをくれた。感動のあまり涙。2019年はまさかあの時の子が表彰台にのぼるなんて!と表彰式のときに声をかけてもらえた。

今だから言える『甘かったポイント』

1番は経験不足。100マイルなんてよゆーよゆー、と言う甘い気持ちがあった。そのため、ちゃんとした準備もせずに100マイルレースに突っ込んでいった。

この時事前にやっておけば良かったなと思ったこと
1)昼夜を通して動く練習
 何時間寝たら、何時間動けるのか。長いレースだと、寝ることを考えなければならない場合もある。しかしこの時は1晩くらい。と甘く考えていたのが悪かった。
2)熱中症対策
 暑い時、どういう対策をすればよいのか。単純に首を冷やすとかそれくらいはわかっていたが、自分がどういう状況でどういう行動をすれば解消されるのかを学んでいなかった。
3)補給食
 「自分はレース中にあまり食べ物食べられない人」今は自分はこういうタイプだと把握していて、食べれなくても動けるような体作りをしている。
この当時はもっと短いレースしか出ていなかったから、胃腸トラブルを抱えたことがなく、食べられなくなったらどうするかというのを考えていなかった。ここをちゃんと考えていれば、もう少しまともに進めたのかも。
だいたいこの3つ。これ以上は企業秘密w
こんな経験不足の状態で100マイル行けるって思っていたなんて。バカだなー。

成功とまでは言えないけど、ラッキーゴールで表彰台に立てた2019年。それとは裏腹に、悲劇なのか喜劇なのかわからないレースになった2017年。
失敗してたくさん学んで。2017年はそれまでに経験した失敗の数が少なく、自分の引き出しが空っぽだったんだと思う。
この時のたくさんの失敗が今に活きていると思えば、いい経験だったのかな。悔しい気持ちは次に繋がる。そんな話。

後日談だけど、大休止してしまった救護所のお兄さんは2019年も救護所にいて、あの時はありがとうございました。今年は完走します!と伝えることができた。

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