YOASOBIの『たぶん』について

YOASOBIの歌の考察4作目。今回は『たぶん』について。

『たぶん』の原作はタイトルも同じく『たぶん』。YOASOBI側から新曲作成に当たって募集された『埃っぽい朝のこと』というテーマでの応募作品から選ばれたもの。小説の内容は、何か明確な理由はないけれど、どこかですれ違って別れた別れた二人の話。

同棲していた二人の片方(原作では明確な描写はないものの、家を出たのは女性側を思わせるようには感じられる。歌詞ではサビで『僕らは』と言っているので部屋の住人の主人公は男性なのだろう。)が家を出て別れた二人。ところがある朝、部屋の住人が物音に気付く事で話が始まる。一人暮らしになったはずの家に入ってこられるのは元同居人しかいないだろうと確信しつつも、泥棒や強盗などの可能性も考え確認するのを躊躇う。ようやく音が静まり意を決して目を見開くとそこには元同居人の姿が。ヨリを戻す訳ではなく、合鍵を返しがてら二人で過ごした痕跡を消す為に模様替えをしていたのが冒頭の物音だった。そんな感じの話だ。

付き合う二人が別れる原因として、浮気などの明確な理由がある場合ももちろんあるが、特に明確な理由がある訳でもなく、なんとなく生じたすれ違いにより別れに発展するケースもよくある話。そんなよくある話なだけに共感する人も多いのではないか。また、それを2番の歌詞で『大衆的恋愛』と表現しているのは実に的確だと思う。そして、どちらに明確な原因がある訳でもなく、逆にどちらにも何らかの原因があったからこそ、『たぶん』という言葉に表れているのだと思う。嫌いになったわけでもないのに別れを選ぶケースもまたよくある話。

主人公が目を開けて彼女と対面した後に思わず口から出た『おかえり』の言葉。もちろんもう戻らない事はわかっていた上でそれでも出てしまった言葉。これはまだ彼女が出て行ってまだそれほど日数が経っていない事を思わせる。そして、テーマである『埃っぽい朝のこと』は彼女が模様替えをした事で埃っぽいという事はもちろんだが、彼女が出て行った事で掃除する気持ちもなくなって埃がたまったのではと私は推察する。また、歌詞の方では『あんなに輝いていた日々にすら埃は積もっていくんだ』と、二人の変わっていく関係性に焦点を当てているのも興味深い。一般的な別れを描く歌では、二人で過ごした形跡に触れて感傷に浸る描写は多いのだが、この曲はそれすら綺麗サッパリなくなってしまうのも面白い。

そしてサビの部分、『僕らは何回だってきっとそう何年だってきっと』のフレーズは、何度経験してもまた同じことを繰り返してしまう未熟な自分を言われているようで胸にグサッと刺さる。ラストで『始まりに戻ることが出来たなら』とあるが、始まりに戻れたとしても結局は同じ道を選んでしまうのだろう。終わってしまってたら、またやっちゃったと思う人は私を含めたくさんいる事と思う。何かに夢中な間は客観的に物事を見る事はなかなか難しい。

この曲のメロディーに目を向けてみると、冒頭から終始淡々とメロディーが流れていく印象。『大衆的恋愛』の言葉に象徴される通り、日常にありふれた話だからその分メロディーにも大きな抑揚はないのだろう。あっさりと訪れた別れ。淡々と二人の痕跡を消す彼女。ただそれを受け入れるしかない主人公。そんな気持ちが表れているように感じる。ikuraちゃんの歌う『わかんないよ』が、ちょっと不機嫌な感じが出ていて可愛くて結構好きなポイントだったりする。

#YOASOBI #たぶん

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