YOASOBIの『アンコール』について

今回はYOASOBIの『アンコール』について。原作は『世界の終わりと、さよならのうた』。『たぶん』と同じく『埃っぽい朝のこと』というテーマで募集され選ばれた作品。

この小説の世界観、概要をまずは軽く。舞台は『終末宣言』が出されて約1年。明日世界が滅ぶ、つまり今日は最後の日。その日出会い、最後の日を共に過ごす男女の話。物語は女性が目を覚ます所から始まる。

冒頭の『明日世界は終わるんだって』の歌詞は、まさに明日世界が滅びる事、自分の大切な人に会う猶予ももないという事。それならば好きな音楽を奏でて最後の時を迎えようと言うこの物語の主旨が端的に語られている。

1番の歌詞。『薄暗闇に包まれた』からの部分は女性が目を覚ましたシーン。見覚えのない薄暗い場所で目を覚ました女性。道で行き倒れていた所を男性に保護され、この男性の住処としている倉庫で横たわっていた。この倉庫には、この男性が集めてきた楽器がたくさん集められていた。真ん中にはグランドピアノ。歌詞にはその描写は存在しないが、MVでは原作のその情景を表現している。

『好きにしていいと』からの部分は、行き倒れで空腹の女性に、食料など好きに持ってっていいよ、ここから立ち去る事も好きにしてくれていいといった事の意味だ。食料を自由にしていいと言うのも、貯めてあっても明日世界が終わってしまう為もう必要ないからだ。そしてそれを言い残して男性は車で外に出かけていく。

サビの『ありふれた』からは、MVで補完されているが、女性の回想シーン。この女性は実は音大生で、ピアニストの母と作曲家の父のもと、幼少の頃からピアノの練習をさせられていた。コンクールで優勝させる為に無理やりやらされた事は彼女にとっての辛い過去や嫌な記憶だった。世界が終わる事でそこからようやく解放されるはずなのに、倉庫の真ん中に佇むピアノを見て、それでも最後の瞬間までピアノを弾く事を選んだ。私も子供の頃少しピアノを習っていて、ピアノのレッスンに楽しかった思いはなく、けれども音楽を嫌いになる事はなく、むしろ幼小の頃習っていたおかげで音楽が好きなので、この女性の気持ちが少し理解できる。

『ひとり車を走らせる』からは男性に視点が変わる。女性を倉庫において車で出掛けた際のシーンだ。『営みの消えた街』とは、終末宣言を受けて町から人の気配が消えたからだ。絶望して死を選ぶ者、テロや略奪などで治安が悪化して荒廃しているのだろう。この男性が車で出掛けた理由は、そんな住人の家から楽器を持ち出し住処としている倉庫に集める事だった。MVでは一瞬車の後部座席で揺れる楽器が見て取れる。平時であれば犯罪として逮捕される事だが、この世界には既にそれを咎める人もいなかった。

ここで出てくる『明日にはもう終わる今日に何を願う何を祈る』は実に興味深い歌詞だ。明日世界が終わるのが決まっているのに、それでもやっぱり願う事があるのだろうか。祈るのだろうか。大切な人が最後の瞬間まで幸せでいるようにとか願うのだろうか。あるいは世界が終わらないでくれと願うのだろうか。自分がもしこの立場になった時、どう考えるかはやはりわからない。そう思うとこの歌詞の問いかけはとても奥深い。

次に続く『どこからか不意に』の部分は男性が外出から戻ってくるシーン。倉庫から女性が弾いているピアノの音色が聞こえてくる。女性に促され、ギターを手に取りセッションを始める男性。それと同時に、男性が心に蓋をしていた過去の苦い記憶が自然と蘇ってきた。

この男性はキーボードを弾く親友と二人で活動していたミュージシャンだった。終末宣言の後にも、人に夢を与えると言って始めた路上ライブで暴漢に襲われる二人。この男性もギター片手に命からがら逃げ伸びたものの、親友の消息は不明。恐らくは亡くなったのであろう。その時からこの男性はギターを弾くのを辞めた。『いつしか蓋をして』からの歌詞はこの時の男性の回想シーンを描いたもの。ピアノとのセッションをした事で思い出され、思わず流す涙。女性も思わずピアノを弾く手を止め、男性にそのことを聞いたシーンだ。MVにも同じくそのシーンが再現されている。

ここからラストに向けては、お互いの辛い苦しい過去を吐き出して楽になった二人がただひたすらに好きな音楽を奏でる描写だ。残り少ない最後の時まで好きな音楽で過ごせる事は彼らにとっては最高の終末なのだろう。でも叶うならば明日世界が終わらなくて、再び明日がやってきて欲しいと願うのは、この世界に絶望した二人の最後のささやかな願い・祈りなのであろう。これは、途中にあった『明日にはもう終わる今日に何を願う何を祈る』に対する二人の答えなのだろう。そして、それをコンサートなどの『アンコール』になぞらえて、この曲のタイトルとなっているのだろう。

私がもしこの曲の世界に遭遇したらどう思うのだろうと考えてみた。きっと今の自分にはあまり何も感じないのだろう。それは今の自分が幸せとも感じていないし、今後幸せが訪れるとも感じていないから。世の中には不公平は存在し、今が幸せの絶頂の人もいれば、私のように不幸を感じている人もいる。でも世界が終わるのであれば、それは平等にみんなにやってくる。それならば、そんなに悪くはないなと思ってしまう自分がいる。きっとこの曲を聴いてこの世界の立場に自分がなったらと考えた時、今の自分によって感じる事は全く別のものになるのだろう。みなさんはこれと同じ立場になった時、『明日にはもう終わる今日に何を願い、何を祈り』ますか?

この曲のメロディーは、終末期を思わせるどこか物悲しく切ないメロディーだ。こういう曲に乗せて歌うikuraちゃんの歌声は本当に秀逸だ。サビの高音の部分の歌声は切なさを駆り立てる。そしてラストに向けての転調後はさらに迫った最後の時を思わせる。でも、最後の最後、少しだけスッキリとしたエンディングとなるのは、この二人に少しだけ芽生えた明日への希望を表しているような気がする。この二人にアンコールがある事を切望して止まない。

#YOASOBI #アンコール


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?