神の業が起きると受け入れず反対する人も出てくる

 主・イエスが弟子たちとガリラヤ湖を渡りガダラ人の地にゆかれた時、悪霊に憑かれた二人がいて主は悪霊を追い出されました。

 悪霊を共が豚の群に追いやってくれと主に願ったので主が許されると悪霊達は豚の群に入り崖から海になだれ落ちてしまいました。すると、豚飼い達が皆に知らせ街中の人が主にその地方から出ていって欲しいと願ったのです。

 主は失われた人を探して救うために、病んでる者を癒やすために、罪のために苦しんでいる人を救うためにを癒やすために、この世に来られたのです。ですから、主にとっては苦しんでいる魂を救うことがより優先すべき事であり、豚飼いの財産であった豚が溺れ死ぬ事より大切だったのです。しかしそれ故、悪霊から開放された人のことより自分たちの財産を失わせたことの方が重要であった人にとっては主イエスは、受け入れられず、そこにいる事自体反対したのです。

 キリストの弟子である私達も痛み苦しむ魂を救い開放してあげても喜ぶ人ばかりでなく、怒り反対する人が出てくることを覚えて置かなければならないのです。だからといって主の業を辞めるのではなくいよいよ推し進めていくのです。それこそ私のたちの使命であり、願いだからです。

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