平和主義者、刺激が欲しい

刺激が欲しいなあ!!!

刺激。

平和主義者が平和に大学生活を送ろうとすると平和に大学生活を送ってしまう。20年平和主義者として生きてきただけあって平和に生きるのが上手すぎる。自分の上手さにびっくりする。世の中で一番平和顔の藤井聡太八冠でもこんなに平和に生きれないと思う。

なんとなく話せる大学の人と話して、家でゆっくりネトフリ見て、今日の野球の結果と家の近所の話を親として、アメトークを見て、YouTube見て布団に入る。翌日は11時に起きれば良い。なんですか。これは。平和すぎやしないか。定年退職して何かを成し遂げたことで資産だけはある爺か?俺は?大学っていうものは玉手箱だったのか?

人間というものは不便なものだ。いつだって不安を抱えてしまう。これが爺だったら、老いと死の不安がこの生活の中にうっすらと匂っていたと思うし、実際は大学生の俺にとっては何事も成し遂げていない俺がこんな生活して良いわけないという焦りが生じる。

なんなんだろうか。この嵐が来る前の静けさみたいな感覚。ハンターが追ってこないから物陰に隠れてカメラマンと「カメラマンさんも大変ですよね、逃走中の収録が決まったらやっぱりちょっと意識してジムに行ったりするんですか?」とか言っている芸人の感覚。この芸人はそんな会話をしている間にハンターに見つかってしまい、カメラマンと話していたシーンなんか放送で使われる訳ないから、今回は逃げ切らないと捕まるシーンがダイジェストになってしまうかもしれないという不安から全速力で逃げるが、その逃げている時に、でももしこれ逃げ切っても結局カメラマンさんと話しているシーンが使われることないんだからこの逃げてるシーンすらカットされるのか、じゃあ俺は一体なんでこんな全速力で逃げてるんだとか考えながら逃げる羽目になってしまう。

惨めだな。スマホの充電が5%になってモバイルバッテリーの充電も切れてるから、レンタル充電器を探すんだけど都心の駅の周辺全部借りられてしまっているから、山手線から中央線に乗り換えする東京駅の改札外にわざわざ出て、レンタル充電器まで結構歩いてたどり着いたけど、QRコードを読み込む瞬間に充電が切れて万事休すとなったあの時の俺みたいに惨めだ。

なんの話だ。平和すぎる話だ。

平和主義者の私でもここまで凪が続くと、シケを味わいたくなるのだ。シケは波乱を生む。波乱は平和主義者にとって不倶戴天の敵だ。それでいて仲間と書いてルビで”ライバル”と呼んだりする。ダサすぎる。

波乱はワクワクの源だ。ハラハラの源でもある。何か僕の人生にとって要となる爆発が起きる可能性が高い。もちろん平和主義者の俺だってその意識を持って全ての行動にあたっているが、実際そんな爆発に出くわす可能性はこの凪の生活では低すぎる。どうやってこの凪の生活の中で、ガッキーとお芝居してその続編が数年後に作られることになり再会して付き合うことができるって言うんだ!!

凪にイラつく。この自分に対して、実際シケの中に入った時の自分は猛烈に腹が立っていることだろう。凪が一番じゃないかと。全くその通りだ。なんでこうも人は今ないものにばっかり夢見るのか。
人間が人間として生きるには日々の生活というものは不便すぎる。

凪に怒っているのなら自分で嵐を作れば良いのだ。全くその通りだ。
「新しいサークルにでも入らんよ!新しいバイトでも始めんよ!自分で行動してから言えや!!何、家でなんもしねえのにうじうじ文句ばっか言ってんだ!この惰性生活マシンがよ!!!」
俺の中の正論マシンがこう叫んでいる。さすが正論マシン。正論だ。そしてドSだ。

ただな、正論マシン。これだけは理解して欲しい。俺はどうしたって平和主義者なんだよ。新しいものを始めるっていうのはどうしたって怖いんよ。そしてめんどくさいんよ。だってこの凪が俺にとって一番楽な生活だってのはわかってんだから。この楽の生活がポッキーのあのチョコかかってない持つところくらい短い間しかないってのはわかってるんだけど、世界が反転してポッキーにチョコレートがかかってない世界線が誕生しないかなとか、そういう妄想しちゃうんだって!!そうやって”明日から”を繰り返してるのが今の生活なんだって!!

あっけなく俺の中の正論マシンは分解されて跡形もなく解体されてしまった。プラスドライバーで回せるようなネジで止めてるからいけないのだ。
「もっと解体されないように、特別な工具でしか回せないようなネジで止めておけ!この正論しか言えないコメンテーターもどきがよ!ほんとにテレビに出るコメンテーターっていうのは自分に都合のいいことしか言わないんだよっ!!」
結局、惰性生活マシンもドSらしい。

だから俺は、俺を救う救世主を、家でゆっくり待ってる状態なのだ。非常に情けない話だが、あと一歩を踏み出せるようなそんな背中をポンと押す人がいればいいなと思ったり。でも結局は自分の力でその一歩を踏み出さねばならないのだ。やっぱりもう一回正論マシンを組み立てて直してあげよう。話し合って平和的解決をしていこうじゃないか。

それでこそ、真の平和主義者だ。



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