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今日大学で、スカイ・クロラを観ました。

過ぎた出来事を思い返すのが苦手で、やはりエピソードトークも苦手なので、文章を読んで想像する事実と僕が実際経験した景色は大幅に違うでしょうが、それは仕方ありませんね。なんでもそうかもしれません。

今日は授業の初日だったので、3時間ある授業が30分で終わってしまって、次の授業までの時間を予想外に持て余して外の休憩スペースにエアテトリスでもしつつ座っていました。そうしたら同じクラスだった人がやってきて、私に、声をかけてきました。

クラスでは既にまとまったグループができていて、(醜くて恐ろしい)僕はそのうちの一つのグループにいつのまにか取り込まれており、自己紹介をしたりされたりしたのだが、僕は誰の名前も、その5秒後にはニュアンスすら思い出すことができなかったのでした。(自分の名前はしっかり覚えているので、問題ない。)
しかしその人はたしか、どのグループにも取り込まれず、壁際にクールに立っていた気がしないでもない。

そんな彼と、(彼女だったかも)少し話をしました。なにを話したかは全く覚えていないけど、あとから同じく時間を持て余した知り合いもきて、誰かが、これから映画を見ようと言い出しました。(多分僕が。)

図書館へ行き複数人で映像資料を見られるという部屋をとり、僕(たち)はそこで、「スカイ・クロラ」を観たのでした。
3人ともほぼ初対面で何を選ぶべきかわからずぼんやりアニメーションコーナーを見ていたら、僕が今よりやや憂を帯びていたときに原作にハマり、映画があると知って調べるもそれを観る手段がないとわかり半分諦めていたスカイクロラのタイトルが、突然目の前に現れて、光っていました。

このシチュエーションでなにを観るのが一番自然だったのかは、経験値不足なのか全く思い浮かばないのですが、「スカイ・クロラ」を観るときのシチュエーションという側面から考えると、この選択はやはり不自然だったと思います。

ここまで前置きと気づきショックを受けています。よろしくお願いします。( ͡° ͜ʖ ͡°)
 (実はこれを書き始めてから5日くらい経っており、その日の記憶がどんどん薄く広がっています。)(でもがんばって書きます。)(よろしくお願いします。)

スカイクロラシリーズは、毎日の移動時間や寝るまえに少しずつ読み進めていたのですが、この読み方のいいところは、自分の生きる時間の進み方と物語の中の時間の進み方が近くなることです。

そしてこの作品自体、読んでも読んでもずっとその時点での「過去(未来)」を事実として思い出すことが難しく、経験というよりその感覚だけがぼんやりと自分の中にあるような、まさに曖昧な記憶と一緒に今起こっていることだけを見せられているような、そんな体験をあたえてくるものでした。

ずっと一人称視点で描かれているところも、その「今」を変に生々しくさせていて、(脳内で流れる言葉にならない思考のようなものが、美しく言語化されている)まるでそれが自分の言葉、思考であるかのように感じてしまいます。

キルドレたちは他者、というより世界に対して、客観的な主観を持っている。全てを認めて、あるいは諦めていて、本当はなにもなくていいこと、大人のくだらなさ、空と子供の美しさを、知っている。この本をおもしろいと楽しんで(?)読んでいるうちは、真っ黒な俗人。

映画では、その彼らの客観的な主観が、「瞳」で表現されていたかもしれないです。

ちなみに僕の友達は、「むずかしかったー」と言いました。たしかに僕たちにはわからないことだ、と思うと、悲しかった

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