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ともだち|エッセイ

大学の課題で「友人について」をテーマに書いたエッセイです。
提出した内容から、再度推敲しています。
書いてみたら、私の自己紹介のようなものになっていたので、読んでもらいたいと思い、初めて投稿しました。


「ねぇ、みずたまちゃんて、なんなの?」

そう、唐突に言われた。姪が2人、20歳を過ぎた頃だった。この2人は兄と姉の長女で、いとこ同士だ。大きくなってからは、2人が一緒に遊ぶことはなく、連絡を取り合っている様子もない。一般的な叔母と姪よりも歳が近い私は、2人それぞれとよく遊んだ。

 叔母という立場は自由だ。PTAや保護者会のことを考える必要がないので、学校行事も純粋に楽しめた。授業参観では、教室の後方で遠慮するお母さん方をよそに、姪の席の真横まで進み、じっくりと参観した。そんな私を一瞥して、何事もなかったかのように、班の話し合いを進める強靭なメンタルの我が姪を、頼もしく感じた。当然、周りの同級生は「・・誰なんだ?」と身を固くして戸惑っていたのだが。これはこの場を借りてお詫びしたい。そんな姪に「また来たの?」と憎まれ口を叩かれても、私を見つけた瞬間に目を見開いて驚き、すぐさまにやけてしまう顔が見れただけで、十分満足だった。

 中学生になると、買い物やカラオケに行ったり、カフェで何時間もおしゃべりするようになった。店員さんにはいつも、どんな関係・・?と、不思議な表情で見られていたが、実際に聞いてくる人はほとんどいなかったし、逆にその表情を心地よく受け止めていた。実は叔母と姪なのよ、仲良いでしょう、フフフ、と。

 次第に叔母と姪という立場の境目を見失っていった私たちに、同級生の友だちが疑問を持ち始める。私は、会話にたびたび出てくる謎の人物のような扱いになっていった。叔母?叔母と遊ぶってなに?そうしてあの質問が生まれたのだろう。姪は自分の友だちに言われた言葉を、そのまま投げかけてきたのだ。ねぇ、みずたまちゃんて、なんなの?私は迷わず、こう答えた。

「保護者兼、友だちだよ。
でも20歳越えたから、もう、ただの友だちだよ!」

そう言うと、?(クエスチョン)マークを頭に乗せて固まり、そのまま「友だちね、分かった!」と叫んだ。言葉を咀嚼できないまま、身近な「友だち」という言葉だけをつかんだのだな、とすぐにわかって、たまらなく可笑しかった。

 同じ質問、同じリアクションにたどり着くいとこ同士。普段会わない2人が、私の存在で繋がっていることがわかって嬉しかった。周りから見ると、ちょっと変な叔母なのかもしれない。枠からはみ出した部分で、たまに怒られたりするけれど、楽しんでもくれているはずだ。十代で叔母になって27年、甥姪も5人になった。私は彼らと、友だちのように、姉のように、妹のように、親のように、関係を変化させながら共に過ごしてきた。今や5人は、私のアイデンティティそのものになっていた。

 あの時とっさに出た言葉に、相違はなかった。それきりになっていたこの話だが、数年後、兄の長女から言われた言葉をもって、私はこれからも、ちょっと変な叔母であり続けようと思う。

みずたまちゃんは、ずっと「みずたまちゃん」のままでいてね。
そしてあと20年、このまま遊んでよねー。

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