ボクノセイブン
嫌いな人はやっぱりどうしても嫌いです。
嫌いな人なんて正直殆どいないのですが、どうしても「偽善」のような立ち振る舞いをする人が苦手です。
嫌われないように生きている人だったり、言ってるコトとやってるコトが全く違ったり、名誉やお金やエゴに縛られていたり。
アホならアホで、それはそれで楽しいし。
不器用でも頼りなくても別いいんですよ、
「優しさ」さえあればカバーできる。
けっきょく、どこまでも「優しさ」があるかないかに尽きる。
優しさだけでは生きてはいけないけど、優しさはたりないコトを補うコトならできる。
「偽善」は優しくないから、もうどうにもカバーできないんです。
嫌なコトはやっぱり嫌です。
もうずっと言ってるけど、所謂体育会系のノリなんか大嫌いだし、下品な行動も大嫌いです。
根性論とか努力論とかクソ食らえ。
意味のないどんちゃん騒ぎとかもニガテです。
そんなコトやってる暇と体力があるなら、じっくり次の戦略を練りたいし、とことん夢を実現するために行動したいし、そういう話をしっぽりして友だちと笑いたいです。
楽しいコトが大好きです。
楽しくないコトが大嫌いです。
こういった、自分自身を構成する「成分」達ともっと向き合っていくべきだなと思うのです。
きっと、それぞれ、みんなあるはず。
そこを無視して生きちゃダメだね。
それは、「正直に生きること」とは少し違うけれど。
自分に嘘をつき続けるのはダメだ。
何でもかんでも正直に生きればいいってもんじゃない。
でも、何でもかんでも嘘をつけばいいってもんじゃない。
少しの嘘を、大きな優しさで補っていくのが、きっと一番素敵じゃない?
まだ絶賛「ビルエンナーレ」というイベント中なので、ふりかえるには到底早いけど、今年は本当に動き回った。
またいろいろひと段落したら、まとめるけど。
その上で、思うコトも沢山あった。
いや、現在まさにその真っ只中。
やっぱり、人に審査されるような立場は向いてないんだな。
もっともっと考えたいし、もっともっと動きたい。他者からのバルブは抜きで。
そんなことを思う中来年のコトを少し考えてみる。
僕は来年20歳になる。
20歳になる1年くらいは、自分自身への嘘は少なく生きたいな。
そのために、一番やりたいコトを純粋にやってみるコトにした。
ただただ「楽しい」だけのお祭りをなんとしてでもやりたい。
今やってる「ビルエンナーレ」とは何もかも間反対のものになると思う。
反動です。完全に。
僕は僕のやり方で幸せを探さないと、幸せなんてあるわけねーよなと思うのです。
とりあえずは、やれるところまで引き続き頑張ります。
葛藤と行動と疲労と、それでも幸せを見つめ続ける毎日はまだまだ続きます。
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