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割り切って進む。

物事を相対的に考えられない人とは、一緒になにをやっても面白くない。

瞬発的には面白いと感じても、そこに相対性が感じられなくなった瞬間、つまらなくなるので、長続きしない。

アレはアレ、コレはコレとやたらと区別して考え、相対化を蔑ろにする人は、「恩」の回し方を間違える。
無意識にやっちゃってる人は余計に。

恩の回し方を間違えると互いにしこりができていく。そして、だんだんその人への興味が薄れる。だって、つまらないんだもん。それは当たり前のこと。つまらなければ人は離れていく。誰だって。

今一番面白いのは「恩」である。
ゲラゲラ笑える面白さがなくったって、「恩」さえあれば、興味という意味での面白さは必ず存在する。

恩が今最も面白いものであるという説は、ホームレス小谷という一人の人間を通して裏付けされる。

彼はお金ではなく、恩を回して生活している。SNSを利用して。

恩がなければ信頼はない。
一番の信頼の証はお金でも努力でもなくて、恩なのだ。

つまるところ、恩を雑に扱うと、面白さも信頼もなくなるんだよね。

恩を雑に扱うっていうのは、感謝するしないとかいうそんな単純な領域じゃなくて、最初に記したようにキチンと相対的に考えられてるかというところに繋がってくる。

たとえ、どんなことであれ、なにかを人に頼むくせに、いざ頼まれた時に断るのは明らかに恩を雑に扱っている。

頼むことと頼まれたことになんの関連性がなかったとしても、「恩」という意味では深く関わりあっている。

そこをいかに理解して行動に移していくか。

それができないとわかった瞬間、その人とはなにも面白いことができなくなる。

とはいえ、生きてく上で、別に俺と面白いことやるのが全てではないことはわかっているから、そこでは周りに迷惑をかけないように、なるべく頭の中からそういった人の存在を消していくようにしていく。

そこで怒ったって仕方がないし、絶句して仕方がない。そもそも、相対的に考えてない人に対して、そういったものは無意味である。

だから、心の中で整理をつけるのが一番。

悲しいけれど、ある種の諦めだ。

おもしろい人に出会いたい。
おもしろいことをしたい。

そのために、こういった淘汰は、あくまで自然なこと。

これをやらないと、いずれクソつまらない人間になって、クソつまらない人生を歩むことになりそうなので、ここはしっかりと。

ただ、時々こういった理屈は抜きにして面白い人もいて、その人とは一生一緒になんとしてでも笑いたいと思うのです。

そして、面白いことにはいろんな種類がある。
ときに、その種類によって、こういった理屈は無い方がいい場合だってある。
そのときは、いくらでも割り切る。

それが、面白いことを必死でやると決めたときに持った覚悟。

あくまで、面白いことをやるための理屈なので。
理屈のための面白いことではないので。

理屈を貫きたいんじゃなくて、面白いことをしたい。

これは、プライドとかにもいえる。

覚悟はできてるよ。

さて、踏ん張ろう。



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