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見失イナガラ進ム(メ)

世の中わからないコトだらけっす。

そのとき誰がどう思ってるかなんてわからない。

わかろうとしても、せいぜいわかった気になるくらい。

どうせその程度なら、自分の考えとか思いとかを貫こうとする。

でも、貫いたら貫いたで、その分相手の心はぽっかり空いてしまう。

つくづく難しいっす。

ようやく最近になって分かったコト。

「射る」とか「貫く」って、一見カッコいいけど、普通に射抜かれた側は、何かを失っているというコト。

そればっかりやってたって、穴しか開かないコト。

そこにどれだけ探しても、優しさはないコト。

何度も失敗して、何度もダレカに迷惑かけて、ようやく。

優しさは、そこではない全く別のところにあって、その優しさがあるところを無視した瞬間に、人付き合いはすべておしまい。

正論を通したり、
自分のコトを守ったり、
誰かのせいにしたり。

結局は自分がぶれてるとそうなるっすよね

ぶれてなけりゃ、正論よりも自論。
自分のコトより。自分の夢。
誰かのせいより、自戒。

自然とそうなる。

だから、正論(っぽいコト)を振りかざして、
ぶつけ合ってるときって、
互いにぶれてるときで。
その物自体のゴールが定まってないときで。

そんな時間には、興味ないなぁ。

優しさを見失ってるよね。完全に。

だから、反省会とか超嫌いっす。

反省会=ぶれではないっすけど、
反省会って、ぶれる要因になり兼ねない。

きちんと軸をもたねーとな。
何事においても。
本気でやるなら余計に。

正論と正論より、軸も軸をぶつけ合えたら楽しいだろうな。

でも、多分、軸と軸は、ぶつけようとするものじゃなくて、あくまで自然にぶつかるんだろうな。

そうなったときが本当の「向上」な気がします。

軸を見失ったときは、優しさを見失ったときは、そっと足りないところを補い合える仲間と出会いたいです。

そのために、少し軸をなくしても、優しさが欠けていても、僕は前に進み続けます。

なくなってるという自覚と恥はきちんと持って。

あと、この状態でどこまで進めるかは、忍耐と頑張りでしかないっす。

頑張ります。

自分の話。
自分のせい。




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