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はっきりいって怒られたくない。

俺は絶対に人から怒られたくない。
典型的な末っ子わがまま気質。

人の指示を仰いぐのなんか本当に嫌いなのです。
考えるのがとにかく好きなので、できる限り自分で考えたい。脳を使いたい。
ロボットでも出来ることなんて御免だ。

でも、そんなわがままをいつまでも、「わがまま」のままにしてはいけない。
かといって、決して「怒られてもいい」性格には変われない。変わらない。

ということで、このわがままが自然と通るポジションを真っ先に目指す。

やり方はひとつ。

自ら動けばいい。自ら先頭にいけばいい。

自ら動けば、指示を仰ぐ上の人もいない。そうなると、必然的に怒る人がいない。つまり、怒られない。

ただし、先頭に立つということは、自分でゼロから考えて、動かなければいけないことになるけど。それはそれは怖くて大変。

でも、怒られるのなんかに比べたら、よっぽど楽しい。

自分はなによりも楽しさを優先したい。

だから、怒られたくない。いや、怒られない生き方、自ら進む生き方をしたい。

まぁ、ある意味怒ってくれる人がいないということはとても孤独なんだけれど、
突き抜けたいので、怒られてる暇なんてないし、孤独に浸ってる時間なんてない。

「怒られてもいいや」はある種の妥協だと思う。そこから生まれる緩みも絶対にあるはずだ。

「怒ってくれる人がいる」は、恐怖からすぐに安心へと変わってしまう。まぁ結局その安心が一番怖いんだけど。

とはいえ、上には上が必ずいるもんで、「怒ってくれる人」が否が応でも存在してしまうことがある。
学校に行けば先生がいる、部活に入れば先輩がいる、会社に入れば上司がいる、仕事に就けば客がいる。

そんな時でも、自らの行動力があれば、下手ではなく、上手に立てると思う。
常にその人たちに従わなければいけないという固定概念があるから、怒ってくれる人に対して下手に立ちがちだけど、そんな固定概念を捨てて、自ら動いていく勇気を持てば、いくらだって怒られるのを利用する生き方ができる。
怒られるのを単なる感情上で捉えず、アドバイスとして都合よく受け入れる。
そして、アドバイスにならないものは切り捨ててしまえばいい。
切り捨てて、その分を自分で動いて取り返せばいい。

そうしたら、いずれ怒られることはなくなる。

まぁ、理不尽に怒ってくるやつも世の中にいるから、そん時は得意の「知らんがな」を発動して無視するけどね。


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