心を閉ざす。
心を開くのってすんごく難しいよなぁ。
でも、友達とバカみたいな話をしてる時は、心を開くなんて概念もないくらい、ガラッガラに開けっ放しで。
ひょんなことから、友達みんなの写真を集めて、いろいろパソコンでいじってたんだけど、俺、この人たちといる時死ぬほど笑ってるもんね。おかげさまで。めっちゃ幸せだよ。
だから、そりゃ、心開いてる時のほうが楽しいよね。
でも、相手が誰彼構わず、心を開いてるわけにはいかない。
いやもちろん、だれにでも心を開ける人は本当に尊敬するし、凄いとは思うけれど、僕はそうじゃなくてもいいかなぁとは思ってるんす。
心を開くか開かないかは、自分の中で、一種のキュレーションな気がして。
心を開いてないうちは、この人と合うか合わないかを考える時間だと思ってまして。
勿論、こんな僕に近寄ってきてくれる人はみんな大切なんですが、やっぱりどうしても合わない人ってのはいるもんで、その人に間違えて心開いたところで、無駄に気遣いあって、馴れ合って、なんの意味も成さない気がするんすよね。
だから、僕は、やっぱり、心閉じっぱなし。鍵かけっぱなし。本当に本当に自分と楽しいことができる人にだけ心を開く。そんくらいの生き方でいいのかなって。
一見さんお断りみたいな、そんな乱暴なやり方はしないけれど、きちんと信頼を築きたいし、ある程度ちゃんとした人間関係を築きたいと思います。
「今」の一瞬一瞬だけでもいいから。永遠に続かなくていいから。信頼はやっぱほしいな。
だからもう、僕は、知恵の輪みたいに、複雑に、心に鍵かける。
時々いる、こじ開けてくれる人たちに死ぬほど感謝しながら。
あ、一個いっておきたいのは、別に俺だって、鍵がかけたくてかけてるわけじゃない。
開けっ放しにできるなら、そうしたいって気持ちもあるよ。
でも、もう二十年弱こんな感じで生きてきてしまって、こんな感じで楽しくやれてるもんだから、あんま変える気はないし、逆にこっちの方が性に合う気がするんだよな。
世間体なんか気にした正義よりも、性に合うかどうかのほうが、僕にとっては大事なんす。
無駄なことなんて一つもない。
今までのことが、ギュッてなって、今の感覚につながる。
僕は、心を閉じて閉じて、時々開いて、楽しくやってきます。
こんな心閉ざしっぱなしな僕でも、心を思い切り開く時はあるよ。
それが、僕が開く、イベントの時。ライブの時。
そんときは、心をガン開きにしていくよ。
来てくれるみんなの心も開かせたいから。
イベントは、ライブは、ナマモノだから、そこに来てくれるまで、それぞれの思いがあって、いろんなことがあって、でもそれを乗り越えて、時間を一個の軸で共有するもの。
だから、わざわざせっかく乗り越えてきた過去になんか縛られないほうがいい。
今、共有できる、この空間、この瞬間に幸せを感じたほうがいい。
みんなの心が開いて、みんなで弾けたほうが、楽しいに決まってるし、それこそがイベントの意義に決まってる。
悩みがある人も、ない人も、あった人も、苦しんでる人も、不幸な人も、幸せな人も、みんなみんなひっくるめて心を開いて、開かせて、せーので笑いたい。
それがイベント。
俺も心開いて待ってます。
ぜひ、心開きに来てください。
春に一緒に楽しいことやりましょう。
心を閉ざす=喋らない、暗い、ツマラナイとか、そんな古い解釈もうやめにしよーぜ。俺はやめた。
でも、心を開いたほうが楽しいのは確か(^-^)
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