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踏ん張るよ。

ここでカッコつけて隠してても仕方がないので、正直に言います。

この数日、新境地に足を踏み入れたり、友達に事件があったりで、精神的に大打撃を受けまして、特にこの2日は近年稀に見る高熱と、吐き気に魘されてておりました。

意外と私、繊細なんですよ。

ただ、だからと言ってグータラ休むわけにもいかず、前々から取り付けていた約束が幾つかあった上に、その序でに、自分の立場的に、今回の事件の説明をしなければならなかったので、重たい腰を上げてえんやこら。

意外と私、真面目なんですよ。

まぁ、説明も何も、事情と状況が全くわからないので、代わりの謝罪と自分の想いとお願いをして回るだけ。
少しでもお互いに、いい方向に進めるよう。
一人でも苦しむ人が少なくなるように。
自分の怒りや哀しさなんて二の次で。

そういった行動をする人に憧れるので、できる限りそうしたつもりです。
できたかどうかはわからないけど。

とはいえ、今回の謝罪といい、一方的な行動を毎度毎度してしまう私ですが、その都度、優しく受け入れてくれる仲間に感謝です。

いつも迷惑ばかりかけて申し訳ない。

正直、死ぬより辛いことがある。
自分のことでも、人のことでも。

極論になってしまうけれど、例えばもし仮に友達が死んでしまえば、それは悲劇になり、いずれ美化される。

自らもそう。
辛いあまり、中途半端に耐えてしまうから、泥臭い話になるわけで、もしその辛さから転じて自殺してしまえば、ある種の神格化をされるのだろう。

そこに怒りはない。

残るのは、悲しみと尊さと、少しの後悔だ。

いっそそっちの方が楽なんじゃないかって思うことがそりゃあ、ある。
むしろそうなって仕舞えばいいのにと、縁起でもなく思ってしまったりもする。

でも、本当の本当は絶対にそうじゃなくて、


耐えまくってなんぼ、踏ん張りまくってなんぼ、生きて生きて生きて生きまくってなんぼの世界。

こうやって言うと全く楽しくないような世の中に感じてしまうけれど、楽しさなんてそうしてるうちにいくらでも自然に広がっていく。

ファンタジーは耐えていればいつだって作れる。

耐えるということはスクリーンを降ろしっぱなしにすること。

スクリーンを降ろし続ければ、自然と映像は投射されるし、いつだって、いろんな楽しい豊かな世界を広げることができる。

だから、まず踏ん張ること。

これは泥臭いことでも、つまんないことでもなんでもなくって、ましてや辛いことなんかじゃなくて、楽しみへの架け橋になるんだよ。きっと。

だから、この二日間、高熱にうなされながら、ぼんやり考え続けて、そして、仲間と会っていろんな事を話すうちに、たどり着いた結論。

俺は、とにかく耐える。踏ん張る。死ぬほど生きてやる。
その先に絶対に楽しいはついてくる。

そこで、何人も俺を優しく包み込んでくれる友達や仲間がいることが本当に支えだ。

その人たちも思い切り巻き込んで、超素敵なファンタジーを目指します。

きっとそれを続ければ、いつかまた新たな答えが出てくるはず。
その前に新たな問いが見つかるだろうけど。

ここから頑張るよ。
また一からのつもりで。

いや、毎日一からのつもりで。



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