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準備した上で当たって砕けろ。ーどんなイベントでも台本があったほうがいい理由

よく、やってみなきゃわかんないとか、
当たって砕ければいいとか、
そんな言葉を耳にします。

確かにその通りだと思います。

机上の空論では必ず限界がある。

でも、闇雲になんでもやって見りゃいいってわけではない。

特に準備を何もせずに、
やってみて失敗したとき、

なんで失敗したか明確にわからないと思います。

きちんと準備した上で、失敗したときは、
何が失敗の原因か一発で明確になります。

「ここの準備が足りなかった」って議論ができないと、
「わからないことがわからない」という最悪の状態になりかねないです。

これじゃ失敗も次に活かせづらい。

逆に成功したとて、

準備をしていないと、
なんで成功したかを明確に体系的に理解することができないので
それはもはや、まぐれの領域でしかない。

再現がめちゃくちゃ難しい。

そんな一回こっきりばっかのことを繰り返して、一体何につながる?

どうせ当たってみるなら、
徹底的に準備してから、
砕けたほうが、

最低でも、
完全破壊でなく、
部分破壊で砕けることができるので、
修復しやすいですよって話です。

ここまではすべてのことに当てはまる話だと思うのですが、
ここでちょっと僕が向き合ってるイベントの話をさせてください。

僕はイベントをやるとき、
これまで全ての企画で必ず台本を書き起こしています。

僕と一緒にイベントをやったことある人はわかると思うのですが、
台本だけでなく、その他の準備も僕は徹底にて行います。

人が集まったとき、集まらなかったとき。
時間が巻いたとき、押したとき、

書き上げた台本を元に、
とにかくいろんなパターンを推測して、
いろんなリスク管理をします。

もちろん台本がなくてもイベントは成立させることはできます。

準備が多少、少なくてもできます。

でも、それだと、さっき書いたように、
次回へ活かせる部分は少なくなるし、
未然に防げることすら防げないままに、
当日の失敗を生んでしまう可能性もあるので、

クオリティは格段に下がります。

さらに、未然に防げる程度のミスは、
大概、大きなミスにつながりやすいので、

そっちに気を取られて、

細やかな繊細なところまで、
目を配ることができなくなってしまいます。

そこまで目を配れてないイベントで、
僕は人様からお金をいただく気には全くなれません。

そこまで目を配って、
それでもなおの失敗がたくさんある世界です。

イベントはナマモノなので。

そこまでやっての失敗なら、
多分お客さんは許してくれるでしょう。

(これでもまだ甘い感覚なのかもしれないですが)

でもこれが仮に、そこまでやっていなくての失敗だったら。

さらに、それを繰り返そうもんなら、
お客さんは徐々気がついて離れていくでしょう。

イベントなんて、いっちゃあ、なくて困る生活必需品的なものではないので。

そんなこんなで、

イベントには絶対台本があったほうがいい!

という考えです。

台本の書き方わからないという方は、僕に仕事の依頼をくださいな!笑

https://kikakukousei.thebase.in/

もしくは、僕のイベントに来て、学んでみてください。
イベントやりたい人必ず何かしらの学びがあることをお約束しまーす!


ただ、台本通りに何でもかんでも進行させたいかと言われれば、
そうではなくて、
台本は当日の保険と目安でオッケー。

台本の役割の八割は、準備のためのものだと思っています。

当日は、もし、脱線しすぎて、どうにもならなければ、台本に帰ってこればいいって感覚で大丈夫です。

でも、その感覚があるだけで、かなり楽に当日進めることができるので、まじで台本あったほうがいいです。

別に僕な台本書く仕事依頼を受け付けてるとか、そういうの関係なしにしても。

まぁ、まとめると、
イベントがいい例ですが、
その他全ての挑戦系の物事は、
台本的な「準備」を怠らないほうが絶対にいいよって話ですね。

間違っても、
「やってみなきゃわからん」とか
「なんとかなる」って言葉をやたらと使っていいほど、僕にはカリスマ性がないです。

そういう言葉を使っていいのは、
ある程度即席で作り上げることができる、
その道の職人やカリスマだけだと思います。

僕は、まだまだそういう人間じゃないので、
多少ダサくても、「準備の人」として、
精進します。

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