着眼点を間違えちゃダメ

遠い遠いイスラム国のコトなんてざっくり言うと知ったこっちゃねー。

今の自分を生きるコトで精一杯なんだけど、端的にただ一つ真実なのは、一番の悪は、安倍首相をはじめとする日本政府でもなく、死刑囚の解放を遅らせたヨルダンでもなく、発言が賛否両論となっている後藤さんの家族でもなく、はたまた自己責任論で度々悪とされる湯川さん後藤さんのご本人でもなく、残虐な行為を正義と勘違いしている過激派イスラムの人々だ。

ここを履き違えてはいけない。

確かに、日本もヨルダンも完璧な対応だったとは言い切れないかもしれないけれど、もはやそこは好みの概念の問題であって、一概に最悪の判断であったとは言い難い。むしろ、自分たちの立場客観視した賢明な判断だったのかもしれない。

後藤さんの家族の方の発言も、ところどころあれ?って思うところはある。
少し無責任じゃねーかと。
まず、謝罪が真っ先に来るべきではないのかと。
真っ先に政府に『助けてください!』ではなくて、一人の人の行動でここまで世界を動かせてしまうコトに対する恥じらいからではないのか、と。

それでも、これは、あくまで、拘束されてしまってからのその後の受け取り方の問題であり、元を突き詰めれば、何よりも拘束して、そのような利用をしてしまうイスラム国が悪いに決まってる。

自己責任論だってそう。
『自分の意思で取材にいったんだから仕方ない』という意見だってわかるんだけど、その意思の先には思いやりがあったのかもしれないし、そもそも、たとえ自己責任で、自決という道が正しかったとしても、なんとか動くのが政府の役目だし、それを妨げるのがイスラム国。

妨げる方が悪いに決まってる。

ここを錯乱して考えては絶対にいけない。

ニュースはいつだって残酷さをショーにする。

イスラム国全てを批判するのもまた違うんだけれども、やはり間違っている人がいるコトは確か。

人の命なんていくらでも軽くなるし、いくらでも重くなる。

捉え方次第。


今日も愛知は天気がいい。

世界がどれだけ残酷でも、地球は温かい。

過去をどう理解して、その先に進めていくか。
そこで、仕組まれてようがそうでなかろうが、着眼点を惑わされてはいけない。

今日俺は、地球は温かいというコトに着眼点を当てていく。

外に出ると思ったより寒かったりする。
もう一枚着てこればよかったという後悔。

俺の目に映るものは至って平和だ。

悪をやっつけるなんて簡単ではないけれど、悪が少しでもなくなればいい。

でも悪なんて結果的に価値観だから、向こうからしたらこっちが悪。
難しい。

全部を一つにまとめるコトなんでできないけれど、せめて僕の目に映るものくらいは幸せなものにしたい。




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