理屈や論を立てるのは当たり前。
論よりまず行動。
理屈ばっか並べて結局動かないやつ。
いや、動かなくていい理屈、辞める理由ばかり探して結局何もしないやつ。
そんなやつらを見てると面白さの欠片もなくって、一発で「この人に時間を割くのはやめよう」と思う。
論を立てるのなんか、サルでもチンパンジーでもニシローランドゴリラでもできて、そんなの当たり前中の当たり前。
それを立てた上でどう行動してくかが、スタートラインであり、そこで生まれたものだけが結果だ。
スタートラインのことをピーチクパーチクいってるやつが、ゴールできるとは到底思わない。
当たり前すぎてわざわざ取り上げないだけで、論とか理屈とかはもうみんな頭の中で立ててるんだよ。
それがある上での行動なんだよ。
理屈を魅せてもそこに面白さはなくて、リスクがあっても行動を魅せたほうが、目の前の人を楽しませられるから、みんなそうしてるだけ。
だから、理屈とか理由とかいらない!なんてことではないけれど、それをわざわざ見せる必要はないんじゃね?って話。
だって、当たり前すぎんだもん。
「今朝俺、歯磨いたよ」って話を永遠聞かされる感じ?
いやそんなの当たり前だろっていう。
オチも何もねぇじゃねぇか。
その話をされた側は一体何を思えばいい?
そのレベルのこと。
わざわざ言わなくていい。
努力しかり。
圧倒的な行動をして、トンデモナイ景色を見て笑いあうか、大爆笑の大失敗をしてズッコケるか、どっちかでいい。
...なんていう理屈を今日もつらつらと書きましたよ。
理屈抜きで一言で言うと
「うるせーばか」
だ。
ただ、これだけじゃ真意は伝わんないから、やっぱり、理屈や理由の説明は必要なのかもしれないね。
でも、行動してくれないと、その理屈や理由はまったく生きないね。
死んだ理屈を表現されても知らねーよってところだよなぁ。
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