次はもっと大きいハンバーガーを

「人前に立てる奴は変わった奴」


小さい頃から卑屈な考え方をしていたから、幼稚園での学芸会では主役級の登場人物を避けたカメラマンE役、小学校での発表会では寿限無が泣かせてしまった男の子を見守るだけの子どもB役。できるだけ「客席から離れた位置」に立てる配役を演じていました。

今はどうでしょう。自ら「変わった奴」側に進んでいるじゃないの。人を笑わせるという仕事をしようとしているじゃないの。なんならその前に声優を目指していた過去もあるじゃないの。当時カメラマンE改め、卑屈泣き虫少年中野がこんな未来を一瞬でも予期していたでしょうか。

中学の頃、社会科の授業で「好きな都道府県」についてプレゼンテーションをする単元があったのですが、どういう訳か僕の発表が好評だったようで、プレゼン大会の決勝戦まで進出しました。「やべえ、同級生全員の前で発表させられるのだけは勘弁してくれ」しかし案の定、学年一のプレゼン王を決める大会なので、やはり約100人の同級生の前で発表する事になりました。うわあ。

優勝しました。
受験で入学した中学なのでハイスペックな同級生達の中でも全く目立たなかった自分が、仲間に入れて貰えたような気がしたのです。気がしただけですが。

この日から自分が変わりました。
人前で何かをする事に全く抵抗を感じなくなりました。声変わりが終わって見た目と年齢に全く合わない声になりました。その声を褒められることが増えました。
でも僕は根っからのイン。ここをキッカケに友達を増やしたり、周りを引っ張っていける統率能力までは備わりませんでした。今もそうですが…

結局キラキラした学生生活を送るという経験をしないまま気づけば高校3年。友達が少ないおかげで損する事も多くなり、尚且つ彼女も全くできず、これと言った青春を謳歌できなかった「反動」がこの時期から出てきます。
今まで出汁しか入っていなかったお椀に致死量の味噌を入れ始めるのです。

「1軍、体験版をプレイ」

目立ちたい。受験期真っ只中に良くない承認欲求が追い上げた高校生活ラストスパート。
この時期に深夜アニメを観るようになり、唯一褒められていた自分の声と擦り合わせて鑑賞する事が趣味になりました。あ、これだ。

声優への道。

今まで将来の夢なんてものは思い浮かぶことも無かった自分が、初めて自らの意思で目指したいと思った職業だったのです。こういった意思を初めて親に話したという事もあり、驚かれましたが反対も無く声優の専門学校に入学しました。所詮専門学校です。受験勉強をせずとも誰でも簡単に入学できるので、やる気のある人間などほんの一握り。
僕は辛うじて特待生で入学できたので比較的良いスタートダッシュを切れました。
18歳とは思えない声を出せていた自負もあったのか、同期、先輩、講師からも注目を浴びるようになり、遅めの1軍生活が始まりました。

2年生になり、学内でも充分すぎる程の地位を築き上げた僕は、代々続く劇団を引き継ぎ、僕が脚本・演出・出演を務めた50分尺の演劇を制作しました。後述しますが、この経験が今のネタ作りにも活かされていると思います。そして次席で専門学校を卒業し、全額免除(学費無し)特待生で東京の声優養成所に入所しました。

いやもうここまでエリートの声優志望ルートじゃん!!もうデビュー秒読みじゃん!!
その謎の余裕、とある1日で跡形も無いレベルで崩されたのです。

養成所に通って2年目のある日、事務所の社長がレッスンに直接顔を出し、「声優のお仕事は芝居ありきです。もっと芝居に関する書物を読んで勉強しなさい。」と言葉を残し、アントン・チェーホフの“桜の園”というロシア文学本を渡していきました。
ロシア文学は、本読み素人からするとかなりの高難易度ジャンルであり
・登場人物全員の名前が似ている
・登場人物一人あたり二つぐらいのあだ名がある
・「ロシアンジョーク」という知らない冗談の言い回しがある
・日本人には理解できない常軌を逸した行動を取る人物達
これらの要因で家で読書をしていた僕は、心の中の何かが爆発しそうになったのか
今までやった事のないレベルの貧乏ゆすりをしていました。YOSHIKIが紅を叩いている時の足の動きです。そのまま僕は“桜の園”を壁に投げ付け、その日のうちに事務所に電話をかけました。
「辞めさせてください。何がとかじゃないんですけど、もうなんかダメです。」
『急にそんな事言わないでくれ。流石に辞めたい理由を聞きたい。』
「わかってたら最初からそう言うてますわ。僕もようわかりません。」
『そんな変な辞め方するな。』
めっちゃ怒られました。

やり場のない怒りが自分にも込み上げてくる。レッスンで講師に言われた事を思い出しました。
『君は若手として売れる声じゃない。最初の20年は売れないが、その後からは強い。それまで待てるなら続けろ。』
待てる訳がないだろ。待ちたくないから行きたかった大学も行かずにこの道に進んだんだよ。


今後は人に迷惑をかけずに生きてくださいと言われました。ただ辞退は通ったのでもう東京での用事が無くなり、子供の頃からずっと観ていたお笑い番組を見返したり、M-1を予選から追ってみたり、お笑い鑑賞という趣味に没頭しました。

「ハンバーガーと将来の合致」

東京でただお笑いの知識をつけただけの男は、関西に戻る事にしました。関西で小劇場の演劇に三枚目役者としてフリーで出演する道も考えましたが、自分が専門学生の頃に立ち上げた劇団の事を思い出したのです。
先述した50分尺のオムニバス演劇、その名も「HAMBURGER」は、丁度コロナが始まった頃の時代を風刺した、自分の性格を極限までぶつけた卑屈な内容だったのにも関わらず、講師からの評判も悪くなかった。僕にお芝居のいろはを全て教えてくれた師匠である先生も「お前は声優を辞めてもずっと本だけは書き続けろ」と背中を押してくれた。
僕は先生の言葉を信じて、どこにも提出・披露する予定のない演劇の台本やコントを黙々と書き続けました。
多分僕は、決められた台本で動くよりは、自らで台本を考えて舞台で動くべき気質なんだと感じるようになり、ようやくそこにお笑いの道が見えて今に至ります。

2020年のM-1グランプリ、ウエストランド井口さんは「お笑いは、いままで何もいいことがなかったヤツの復讐劇なんだよ」という言葉を残しています。
学生時代に同級生を先頭で引っ張っていたあいつも、とっても面白い要素を沢山持っていたあいつも、今はお笑いの道に進んでいません。それは学生時代に周囲に「認められた、いいことがあった」人間だからです。その時点で満足できているんだから、今後これ以上人前に立ちたい欲望が出ない。
一方、僕は今から「認められた」人間を目指すために彼らの背中を追っています。「認められなかった」空白の部分を無理やり埋めに。

ようやく認められた人間になれた頃には、前回よりもう少し規模を大きくした「HAMBURGER 2(仮題)」を開催したいと密かに計画している所です。


長々とお話ししましたが、これからはもうちょいと短めのお話しを書いていけたらと思います。
こんな人間ですがよろしくお願いします。

中野ミズオ

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