下野地域警備保障

 今日は何もない日だった。すっかり日が沈み街灯の明かりが灯る中、事務所への帰路を歩く男二人。

 一見平和に見えるありふれた町だが、その空気はどこか重苦しかった。約一年前、若い女性が通り魔に襲われ殺害される事件が起こった。それを皮切りに、強盗はもとより、放火、ひき逃げ、婦女暴行、児童誘拐未遂と、重大な事件が多発していた。

 警察も初めは熱心に捜査していたが、事件が多様化、複数化していく中で忙殺され、疲労困憊していった。さらに間の悪いことに、政府が地方公務員の給与体系の見直しを宣言したため、他の地方公務員組織と同じくストを敢行。治安維持体系は崩壊しつつあった。

「腹減りません?吉野家食っていきましょうよ。」
「吉野家はしょっぱいから好かん。おれは甘口派だ。」
「あー、甘いやつがいい派すか?それ卵と合います?合わないでしょ?」
「そんなことは無・・・」

不意に響いた悲鳴で会話は遮られた。
30m程先だろうか、初老の女性が路上に倒れており、顔を隠した男が女性の体を踏みつけながら手提げカバンを奪い取っているところだった。ひったくりだ!
「話は後だ!」
てこずりながらもひったくったカバンを小脇に抱えて、男が走り去る。それを黄色の中世風の衣装に黒い装甲板のついた独特なバトルドレスを着た男二人が追いかける。その二人の胸には『下野地域警備保障』のワッペンが貼られている。

彼らは警察に業務委託を受けた真っ当な警備員だ。治安維持機構が乱れ社会不安が増大しつつあることを重く見た日本国政府が法改正を含めた警察の業務改善を行い、警備会社に警察業務の一部を移行することで、マヒした治安維持体制を回復させようとしている。
これは、政府が進める『働き方改革』の大きな目玉で、高負荷労働に従事している警察構成員へアピールする狙いだ!

装備をカチャカチャいわせながら走って追う。あたりは街灯が灯り始めている。ひったくり犯との距離は街灯一個分だ。
「アンカー投げましょ!」
二人は腰のMOLLEベルトに固定されている樹脂筒からボールが三つ固まったものを取り出した。ボールのうち一個を握り、打ち振るうとそれぞれからワイヤーが伸びた。ワイヤーは均等な長さで中央で連結している。
「せーので投げますよ!?」
ボールのうち、一個を掴んだまま頭上で回す!回す!
ブンッ!ブンッ!!ブン!ブン!ブンブンブンブンブン!!!

「せーの!」
ふたりは前方を走る悪漢めがけて、奇妙な遠心体を投擲した!狙うは奴の足だ!
見事なY字をした投擲物は走っている男の足に絡みつく。すると当然・・・
「ああっ!」
悪漢の足はもつれ、逃走時の勢いのまま顔面から受け身を取ることになった・・・。

未開の地で使われているボーラーという狩り道具がある。三本のひも状のものを輪や直接結びつける等で連結し、それぞれの先端に重りがついている。これを振り回し、速度をのせて投げることで、それぞれの重りが遠心力で広がり、獲物の足や羽を絡め、時には急所を殴打し捕縛するのだ!黄色の二人組が使ったのはこれを現代的にアレンジしたもので、彼らの会社のオペレーターに広く装備されている。

「あ・・・が・・・」
悪漢は鼻と口から血を流しつつももがき逃れようとしている。折れた歯の間から声にならないうめき声をあげている。
「さあ、大人しくお縄につきましょうね~。」
黄色服の頭茶髪の方が、ポケットに手を突っ込みながら歩いて近づく。もう一人の黒髪の短髪はその後をさらにゆっくりと歩く。腕組みをし何かを考えているように。
「ほら放すんすよ!」
茶髪は悪漢の手の内の荷物を無造作に掴み、引っ張り上げる!だが、しぶとくも悪漢は放さない。
「なんすか?抵抗の意思ありすか?」
腰のMOLLEベルトの鞘から警棒を抜き、打ち据える!
「抵抗の意志あり!抵抗の意志あり!抵抗の意志あり!」
4度か5度警棒で叩いたところ、悪漢はあきらめたように手を放した。

その一部始終を見届けて、先ほどまでむっつりと押し黙っていた黒髪が口を開いた。腕組みを崩さないまま・・・。
「・・・右耳が欠けた男を知らないか?」
「エ・・・!?」
黒髪はひったくり犯に詰め寄る。
「右耳が欠けた男だ!」
その目は恐ろしい憤怒の炎で燃えていた。
気おされて言葉を失っている男の足を茶髪が警棒で殴りつけた。

「キリキリしゃべるんすよ!」
全身を満遍なく殴る!殴る!今度は黒髪も一緒になって殴る!殴る!
3分間ほど打ち続けると、ついに男は悲鳴を上げながら泣き出してしまった。
「知りません、知りません!ごめんなさい、ごめんなさい!」
彼らの警棒は、これも会社で支給されたもので、大部分をゴムで作られており、これで殴られる対象の安全に配慮したものとなっている。これでどれだけ殴られようと、悪漢たちを死に至らしめてしまうことは無いだろう。
少なくとも現時点ではいない!

ひとしきり殴った事からか、何も知らなかったためか、黒髪の憤怒の炎も静まったと見え、先ほどの落ち着きを取り戻した。
再び腕を組み、通りのブロック塀にもたれ掛かっている。
警察は専用アプリで呼んだ。後は待つだけだ。茶髪の黄色服はひったくり犯の両手の親指同士をインシュロックで括り付けて拘束した。足は最初に投げた彼らがアンカーと呼ぶ狩り具をきつく結んである。

20分後、こちらに追いついた被害者のご婦人と世間話をしながら待っているとサイレンを鳴らしながらパトカーが到着した。
「ご苦労様です!」
若い警官と、ベテラン然とした先輩警官がパトカーから降りてきた。
「大捕り物だったねえ。ご苦労さん。」
黒髪にねぎらいの言葉をかける。
「奥さんがひったくりに合われたという事で間違いありませんね?こちらでお話を聞かせて下さい!」
バインダーに挟んだ調書を確認しながら若い警官が促した。
被害届等の提出が終われば荷物を返却されることだろう。

「帰ったら特別ボーナスかい?」
「おかげさまでね。」
黒髪は皮肉を込めて言った。
「なにかご馳走になりたいところだよ。」
「あなた達は何もしてないでしょ?」
「そうでもないさ。こう見えて忙しいんだよ。これから書類の処理もある。」
笑顔を崩さず言う。こういう手合いは相手にしないに限る。使用後の装備を点検し、手早くMOLLEポーチに仕舞った。
「そうですか、後は任せました。カツヤ、帰るぞ。」
カツヤと呼ばれた茶髪の男は「ヘイ」とだけ返事してポケットに手を入れて歩き出した。

かすかに装備同士が擦れ合う音を出しながら、黒髪の男は街灯の明かりの外へ、事務所に続く薄暗い道へと進み始める。カツヤはすれ違いざまに、ご婦人と若い警官に笑顔で手を振って黒髪の後を追った。

「正一郎さん、待ってくださいよ!」
この二人組の黒髪の方、正一郎という名の男は、しかし歩調を緩めず歩いていく。追いつきざまにカツヤに言った。
「吉野家行くか。おごりだ。」
「マジっすか!ちょうど腹が減って死にそうだったんですよ!」

また、耳が欠けた男の情報は手に入らなかった。蛇の道は蛇。無法者を締め上げていけば掴めると思ってたが、そう甘くはないようだ・・・。
「装備を返却して退勤するのが先だ。どのみちこの格好じゃ店に入れん。」
「そうっすね!」
カツヤは上機嫌だ。いや、この男はだいたいいつもこの調子だ。

「トッピングもつけていいんすよね!?俺、卵とマヨネーズとキムチと納豆つーけよっと!」
「・・・うまいのか、それ・・・。」
「健康的でしょ!」
「健康的なのか、それ・・・」

二人の男たちは川沿いにある警備会社事務所に入っていった。


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特別給与支払明細
11月度
現行犯逮捕手当 ¥2、0000ー
残虐行為手当  ¥5、000-
警察協力手当  ¥5、000ー

合計      ¥3,0000-
今月も地域の見守りご苦労様です。来月も宜しくお願いします。

株式会社 下野地域警備保障
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つづく


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