「古希」の出典

人の年齢70歳の別名を「古希」といいますが、この「古希」という言葉の出典について、調べたことをメモします。

まず論語から。我十有五にして学に志しに始まる一連の(誰でも知る
ところの)言葉を書いて見ると、15歳志学、30歳而立、40歳不惑、
50歳知天命、60歳耳順、70歳不踰矩(矩を踰えず)。

当たり前ですが「古希」は論語には出てこない。還暦も論語でないのと同様。

だったら、古希の出典は、というと。まず「人生七十古来稀なり」というので70歳を古希と呼んでいる。だったら「人生七十古来稀なり」の出典は何だ?と、ふと思って、検索すると(すぐ検索できますが...)。

これは「閑吟集」で参照されたところの、元々の杜甫の詩「曲江詩」らしい。「閑吟集」という題名からして、世捨て人の詩集のようです。杜甫の詩をサラッと引用するあたり、昔の人らしく、カッコいいです。

日本国語大辞典によると。【人生七十古来稀なり】(中略)歌謡・閑吟集(1518)「なにともなやなう、なにともなやなう、人生七十古来まれなり」 〔杜甫‐曲江詩〕
出典:https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%B8%83%E5%8D%81%E5%8F%A4%E6%9D%A5%E7%A8%80%E3%81%AA%E3%82%8A-538036



「閑吟集」というのは1518年の詩集(あるいは歌謡集成)だそうだ。ここには、室町時代の日本人の「話し言葉」が出てくるらしい。意味がわかって面白い。曰く。
「な見さいそ,な見さいそ,人の推する,な見さいそ。思ふ方へこそ,目も行き,顔もふらるれ」
「何せうぞ,くすんで,一期(いちご)は夢よ,ただ狂へ」
(水野註)今と、まるで変わらない感じがする「肉声」でした。
出典:「閑吟集」(ジャパンナレッジ(有料オンライン辞書事典集))



そして最後に、杜甫の詩「曲江」とは。

曲江 杜甫
朝回日日典春衣
毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有
人生七十古来稀
穿花蛺蝶深深見
点水蜻點款款飛
伝語風光共流転
暫時相賞莫相違

読み下し:
曲江(きょくこう) 杜甫
朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(にちにち)に春衣(しゅんい)を典(てん)し
毎日(まいにち)江頭(こうとう)に酔(よい)を尽(つ)くして帰(かえ)る
酒債(しゅさい)は尋常(じんじょう) 行(ゆ)く処(ところ)に有(あ)り
人生七十(じんせいしちじゅう) 古来稀(こらいまれ)なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう) 深深(しんしん)として見え
水に点(てん)ずる蜻點(せいてい) 款款(かんかん)として飛ぶ
伝語(でんご)す 風光(ふうこう)共に流転(るてん)す
暫時(ざんじ) 相賞(あいしょう)して相違(あいたが)う莫(なか)れと

現代語訳:
毎日朝廷の仕事が終わると春着を質屋に入れ、その金で曲江のほとりで酩酊するまで飲んで、帰ってくる。
飲み代のツケはほうぼうにあるが、かまうものか。どうせ七十歳まで生きられることは稀なのだ。
花の蜜を吸うアゲハチョウが花々の奥深くに見え、トンボは水に尾を点々と触れながらゆるやかに飛んでいく。
この素晴らしい景色に対し、言いたい。すべて自然は移り変わっていく。
だからほんのしばらくでもいい。お互いに賞して、背きあうことがないようにしよう。
出典:

「人生七十古来稀」が出てくる杜甫の詩「曲江」。その内容は、途中で大丈夫かと思わせますが、しかし結論は同感でした。


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