見出し画像

600年前はどうしてた?

こんにちは。

きのこです。

ご訪問いただきありがとうございます^^

運命盤

こちちらの本を参考に運命盤なるものも書いてみた


こんな感じ


何かの呪いでは無い

上のごちゃごちゃした数字は無視していただいて、◎の中にごちゃごちゃ書いてあるのが運命盤。ごちゃごちゃやな。


これを見ると私という癸の人がどういう運の中を生きていくのかが分かる。

縦に表で書かれたものよりビジュアルでつかみやすくていいなと思った。ごちゃごちゃだけど。

12時の方向から時計回りに10年ごと、運のステージが移り変わっていく。

細かい通変星は置いておいて、十二運だけざっくり見るだけでも、どうやら私は気の状態で産声をあげ、一旦んでから這い出てきた鬼太郎のような人生を歩む、ということが分かる。(いや書き方。)

つまり私のここまでの人生、元気100%!!みたいなノリではなかった、ということ。

どちらかというと夜型、墓場で運動会系の人生だった、といった感じだろうか。もしくは前世の残りを生きていたのかもしれない。

そしてまさに今、児となり新たな人生が始まろうとしているが胎児なので誰かに助けてもらわなければ成長できない。

次の43歳からも生まれたての赤ちゃんだから誰かにってもらう予定だし、集団活動の第一歩として長生幼稚園に入園しても送り迎えしてもらわなければいけない、が、そろそろ自分で!という自我が強くなるし外にお友達もでき始めるだろう。

やっとこの辺から昼型の人間らしい人生が始まる、といった感じだろうか。

思春期の沐浴をへて、やっと一人前社会人デビュー!の勢いの頃は73歳である。

王となる帝旺の頃は93歳。


大 器 晩 成

とは私のためにあるような言葉だな? ん?
帝旺で比肩で癸亥。婆ちゃん全然じっとしてなさそう。

もちろん、帝旺の景色を見るまで生きているつもりである。

大運で巡る干支

大運は10年毎、その人だけに巡る運のステージである。毎年世界共通の干支が誰もに巡る年運とは、同じ流年でも毛色が違う。

干支は60個。

10年毎大運でぐるぐると干支が巡るとして、今私がいる偏官、胎の運は次同じ並びでくるのは600年後である。つまり600年前も私は偏官、胎の運にいた。

何してたのかしらね、600年前の私。

きのこ

世は室町時代。
600年前の癸卯の今頃、将軍が変わった模様。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?