ケアのあれこれ2 緊張をゆるめる話

緊張感というものは、活動状況に応じて適度にあった方がよく、なくても過剰でもいまいちなものです。

緊張感がありすぎるとものすごいエネルギーはみなぎるのですが、そのエネルギーが状況と比較して過剰であった場合、外に発揮されればやや攻撃的、内に溜め込めば自分の身体を居心地のわるいところにしてしまう可能性があります。かくいう私も緊張しすぎて、自分を守るエネルギーがどんどん産生されたにもかかわらず、それを適切に使うことができず、無駄に疲れた上、手足は冷え冷えという状態になってしまうことがあったりします。『これはエネルギーの無駄遣いというものだよなぁ』と、しみじみ思います。

緊張感がなさすぎるというのも考えものです。寝たり休んだりしているときには緩んでいた方が都合がよいですが、何か生産的な活動をするときには適度にキビキビしていた方がはかどりますし、質のよいものができあがるように思います。

適度、というのはとても大切ですが、ピンポイントで適度なラインを求めようとすると、なかなか難易度が高く、それにこだわりすぎるとつらくなってくるので、おおむね適度かなー、くらいの幅をもたせた感じが私にとっては心地よいです。

さて、私の場合、激しい緊張のまっただ中にいると、緊張していることに気付かないことがあります。そして、緊張のまっただ中から一歩外に出たときに緊張が少しゆるんで、実は緊張感ありありな状況だったことにようやく気付いたりするわけです。

呼吸に気付いてみたり、背骨を1つ1つ積み直すように姿勢を整えてみたり、身体の軸を整えてみたりなどなど・・・、これまでnoteに書いてきたようなことは日々しているわけで、普段はこれでまあまあな日々を過ごせていたんですね。今回は、これでなんとかならないようなときにはどうしたらよいか、というお話です。

私がしたことですが、まず「いやー、いろいろ工夫しながらやってたことが、全然足りてなかったんだなー」と笑っちゃいました。やれてるつもりで全然やれてなかった自分に気がついて、笑えてきちゃったんですね。そうしたらふと楽になって、あちこちゆるめていろいろすっきりさせる流れに乗りやすくなったように思います。

ふと思い立って、少しの間、シンプルなものを見たり味わったりしたのもよかったです。おかずをわざと1種類の食材で作って味付けも塩だけにしたり、味噌汁の具を1種類にしたり、そんな風にしていたら食べることがとても楽になりました。複雑怪奇で予測しにくい状況に脳のメモリーをたくさん使っていたのかもしれません。味覚に入力される情報量が減るだけでこんなに楽になるんだなぁと思いました。

それから、自然界の法則について思いをはせることも役立ちました。寒くなってきて紅葉している木々を見ながら、『自然の法則に無理なく従うと越冬の準備ができる上にこんなに美しいのよねー』と思っているうちになんとなくゆるんでくる、みたいなことがありました。

こうして文字にしてみると、自分の身体感覚を使ってバランスをとろうとしたけど、難しかったので自分以外のシンプルでバランスのよいものに頼った、みたいな感じかもしれません。こういうときは、自然の法則に沿ったものが強い味方になってくれるんですね。助かりました。

そんなこんなでゆるんでくると、自分の状況をもう一人の自分が斜め上から見てる、みたいな感じになってきて、冷静さを取り戻せるようになってきました。自分のことを第三者的な視点で見てみる、みたいなことは大切ですが、それを無理のないようにするとしたら準備体操みたいな、下準備みたいなものが必要で、私にとってはそれが、笑ったり、食事を簡素にしたり、自然のありように思いをはせたりすることだったんだろうなぁと思います。

心と身体を整えるときには、いろいろな方法があって、それぞれ自分に合ったものを選ぶのが正解だと思いますが、私の場合は生活の中で自然にできること、短時間でお金をかけずに気軽に手軽にできることを、少しだけ、適当に、何かのついでくらいの感じでやってみるというのが合っているのかもなぁと思う今日この頃です。

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