ケアのあれこれ6 多分、ただ受け取ることができていなかったんだと思う

最近、ラッキーだなぁ、ありがたいなぁ、と思うことが増えて、少々理不尽なことがあってもその場を離れれば忘れる、みたいな感じなのですが、これはいったいどういうことなんだろうなぁと考えてみる機会がありました。

若かりし頃は、理不尽だ・・・と心がすり減ることが多かったけれど、今はそうでもないんだろうか。

いや、そうでもなくない、というか、昔より理不尽な場面は多いかもしれない。

では、なぜに。忘れっぽくなったからか・・・。

そんなことを考えているうちに、ふと思いついたのが、多分、自分の器が影響していたんだろうなぁということでした。

同じ出来事や同じ状況があったとして、それをどのように受け取るかはその人の器次第、ということで、昔の私は器が小さく、かつ、その小さな器に理不尽から生じる大変な部分ばかりを入れ、器に入れた大変な部分を見て湧き上がる感情を感じていたのでは、と思ったわけです。

もしそうなら、それはそれは大変なことだったと思います。若かりし頃の自分よ、そんな状況でよく生きてこれました。でも、生き残ったからこそ今があるわけなので、それはそれでよしとしたいと思います。

さて、今は、と言いますと。状況はいろいろ厳しいのですが、あまり焦りがありません。いえ、状況が厳しく決して良いことばかりではないことは理解しているのですが、それよりも、優しくしてもらえたこととか、助けてもらえたこととか、よく働いたこととか、何事もなく一日を終えられることとか、夜空がきれいなこととか、食事が美味しいこととか・・・そういうことも印象に残るので、結果としてあまり理不尽な出来事やどす黒い感情ばかり目立つことがないということなのです。喜怒哀楽も、より明確に感じた後はそれほど停滞せずに通り過ぎていってくれている気がします。

多分、昔も優しくしてもらったり、助けてもらったり、よく働いて満足感を感じたりとか、そういうことはあったと思うのですが、それを自分の器に入れて感じ取ることが十分できていなかったんですね。そして、小さな器にかろうじて入っている苦しい出来事や波立つ感情ばかりを受け取り、感じ取っていたんでしょう。それは落ち着かず、喜怒哀楽も停滞するというものです。

心地よいものばかりを受け取ったり、心地よい感情ばかりを感じたりしようとすると、それはそれでバランスが良くない気がしますし、状況は状況としてニュートラルに受け取り、湧き上がった感情はただ通り過ぎるのを眺めていたら、わりといいことも存在していると気付いたということなのかなぁと思います。

要は、自分が受け取って器に入れるもののバランスが前よりもとれてきた、ということなんだろうなと。

最後に、そうなったのはなぜか・・・ということについて少し書いておきますと、夜勤をすることがなくなった、というのが大きいような気がします。

夜勤を含むシフト制で働くと、神経系やホルモンのバランスが崩れ、それだけで身体の感覚としては心地よくない状況になります。それをなんとかしようと思ったら心地よくないものを感じないように自分を鈍らせることが必要です。しかし、鈍らせていると仕事に支障が出たりもするので、注意を集中すると今度はつらさも一緒に感じてしまう、みたいなことが起こったりします。うまくバランスをとるのが大変です。

夜寝て、朝起きて、身体のリズムを整えると、こころのバランスも整えやすくなり、いろいろなものを受け取り、味わい、手放しやすくなるのかもしれません(もちろん、夜勤をしていてもそれがうまくできる人もいらっしゃると思います)。

バランス良く受け取り、自然に手放すことが容易になれば、それだけで心地よくいられるのかもしれないなぁと思います。

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