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わたしのイチオシきらら投稿作品「私にはごちうさが宝箱に見える」

この世に漫画は数あれど、表紙を見た瞬間に思わず目を奪われてしまう作品はわずかです。アニメの公式フォロワー数は40万の大台を超え、原作の方は10年の長い連載期間を経てもなお、多くのファンから愛され続けている「ご注文はうさぎですか?」(通称:ごちうさ)。ごちうさもそうした作品の一つであり、私もKoi先生のイラストの可愛さに惹かれた者の一人です。

ですが、ごちうさがただ可愛いだけの作品かと言われれば、それは違います。なぜなら、私にとってのごちうさは「読む」よりも、「開ける」漫画だからです。

私が初めてごちうさを買ったのは、今からおよそ6年前。劇場版「Dear My Sister」の宣伝が秋葉原を賑わせていた時期でした。当時の私はごちうさといえばアニメを数話観たくらいで、登場人物やストーリーに関して、ほとんど何も知りませんでした。何となく流行ってるのは知ってる。けれど、それ以上のことは知らない。よくある日常系作品の一つという認識だったのです。

そんな認識で、ごちうさの原作単行本を買いました。友人が推していたとか、気になるキャラクターがいたとかではなく、表紙を見て、ただ何となく良さそうと思っただけの、気まぐれです。ところが読み進めるうちに、それがただの日常系4コマ漫画でないことが分かると、私は本から目が離せなくなりました。気まぐれに買った1巻と2巻だけではとても満足できず、帰宅後にまた本屋へ行く羽目に。原作を揃え、ニコニコ動画でアニメを1期から見直して、タイミングよく公開された劇場版を観に行く頃には、私はすっかりごちうさ沼に全身が浸かっていました。

ごちうさはまず何と言っても、キャラクターがすごく可愛い!天真爛漫なココアにしっかり者のチノ、幼なじみコンビの千夜シャロに軍人気質のリゼと、個性豊かなキャラクターが魅力の一つであるのは間違いありません。Koi先生の画力がまたこの可愛さに拍車をかけていて、扉絵はまるで絵画のような美しさを見せておきながら、本編では漫画らしく、コミカルなイラスト表現を使いこなす。ココア達の様々な一面を引き出す効果のある技術です。

舞台はフランスにある木組みの街がモデルとなっています。コルマールは景観が良く、観光名所としても名高い街で、色とりどりの花壇はまるでおとぎ話のよう。実際、ココア達は街で不思議な経験を何回かしているので、人によってはファンタジー作品に思えるかもしれません。

ですが、ごちうさは決して非現実的な物語ではなく、例えば妹が自分の知らない一面を持っているとか、楽しい会話が自分をよそに盛り上がるといったような、現実の寂しさを描く作品です。

中でも特に驚いたのは、上に挙げた5人全員の学校と職場がバラバラなことでした。普通、日常系といったら同じ学校に通うのが当たり前。同じクラス、同じ部活の交流を描くのが日常系であり、主要メンバー全員の生活が重ならない日常系なんて、私の中ではありえませんでした。

にもかかわらず、ココア達の通う学校は3つに分かれています。さらには職場も3つ以上あって、ラビットハウスにフルール・ド・ラパン、和風喫茶の甘兎庵と、彼女らのバイト先は様々。学校や職場だけでなく、年齢や価値観、趣味嗜好さえも、ココア達はバラバラです。バラバラだから会話もどこか微妙にズレて、噛み合わない。それどころか、時にすれ違いや、ケンカにまで発展してしまいます。

しかし不思議と、最後にはちゃんと丸く収まっているんです。雨降って地固まるとばかりに、そこから新しい関係性が芽生えてくることもあります。それは奇跡でも何でもなく、全員がバラバラだからこそ、困った時には違う角度からフォローし合えるという、それだけのことでした。例えば原作2巻7話は、チノが初めて友人に嫉妬を感じてしまうお話です。そんなチノの話を聞く千夜、そしてチノに共感を示す青山先生の姿があります。また、原作3巻では、頼れる先輩・リゼの隣で、マヤが進学に関する悩みを打ち明けます。

他にも挙げればキリがないほどに、ココア達の間にはこうした助け合いの精神が当たり前にあって、それが人と人との縁を繋いでいる。趣味も価値観も全く違うのに、そんな人たちが互いを受け入れ、一つの街で共存している世界のあり方に、私は震えました。

なんてずるい漫画なんだ、と思わずにはいられません。だって、こんな風に人と仲良くできたら、最高じゃないですか。誰だってみんなが平和に暮らせる世界がいいに決まっている。けれど、それは私たちが諦めてきた夢です。価値観が一つ違うだけで、人はたやすく分断されてしまうのだということを、私たちは身をもって知っています。届かない理想や、ありもしない虚像を追い続けるのは苦しいから、誰もがそれを、見えない場所に置き去りにしながら生きていく。なのに、彼女達はまるで正解を自ら体現するように、どんな違いも乗り越えてしまう。ずるいのはそれだけじゃありません。そもそも、ごちうさは「かわいさだけを、ブレンドしました」と謳う作品です。そこに含まれる成分は全て、可愛さだけであるはずです。それなのに、ごちうさは全然、可愛いだけの作品じゃない。すれ違う会話や、人間関係がうまくいかないもどかしさに、自分自身の経験を重ねてしまうことは何度もあります。一つの作品に、Koi先生は一体どれだけの魅力を詰め込むのか。「かわいさだけを、ブレンドしました」なんて、大嘘じゃないですか。ずる過ぎる。こんな作品が世の中にあるなんて想像もしなかった。

ごちうさがよく「癒し」と言われるのは、こうした作品世界の優しさに、少なからず私達が共感しているからだと思います。ですが、私はただココア達の絆だけに癒やされるのではありません。イラストの華やかさだけに夢中になっているわけでもありません。ある時はその可愛さに、ある時は異国情緒あふれる木組みの街の景色に、ある時はズレた掛け合いに、ある時は既存の常識をひっくり返すような奇想天外さに、私はいつも癒やされています。

それはさながら、宝箱です。奇しくもごちうさには、「宝箱のジェットコースター」という曲があります。作詞担当の畑亜貴氏曰く、この歌はアニメシリーズ2期の裏OP的な位置付けで、彼女自身も気に入っている楽曲の一つなのだとか。

「宝箱のジェットコースター」というタイトルを初めて知ったとき、私はこのタイトルこそが、ごちうさに相応しいと思いました。

世の中には多くの作品があります。ごちうさよりもクオリティの高い漫画は山ほどあるでしょう。同じきららの作品にしたって、「ひだまりスケッチ」や「けいおん!」が、日常系というジャンルの一時代を築いてきたのは、紛れもない事実です。

それでも、やっぱりごちうさが好き。

木組みの街に住むココア達の会話が、表情が、仕草が、心が、ドラマが、大好き。

この世に漫画は数あれど、表紙を見た瞬間に思わず目を奪われてしまう作品はわずかです。アニメの公式フォロワー数は40万の大台を超え、原作の方は10年の長い連載期間を経てもなお、多くのファンから愛され続けている「ご注文はうさぎですか?」。

ごちうさは「読む」というより、「開ける」漫画だと私は思います。なぜなら、それは私にとってのごちうさが、宝箱だから。開けてみるまで分からない。その箱を開けてみて初めて、中に詰まった宝物の輝きを知る。そんな作品だから。

「ごちうさは人生」とよく言われます。ですが、人生は人によって解釈が分かれる言葉だと思います。だから、私自身の手で、私なりの感謝を込めて、この賛辞に一つだけ言葉を付け足したい。

ごちうさは、人生の宝箱だ。改めて今、そう思います。私にはごちうさが宝箱に見える。

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