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3度ぶっ壊れかけた話

私は昔から「悩みが無さそうで良いよね!」と周りに言われる事が多いです。

実際、超悩んでそうなドンヨリした空気を醸し出してるより能天気で楽しそうな私の方が縁起良くて最高でしょ!と思いながら生きているので「悩みが無さそう」と言われる事には内心喜んでいます

が、そんな悩みが無さそうな私ですが過去に3度ほど病みすぎてぶっ壊れかけた事があります。
あんまりこう言う話するの好きじゃないしな〜と思いつつ、どうしたってこの辺の経験もブランドの根底に繋がってきてしまうので触れてみようかと。
長いのですっごく暇で何もやる事ない!って時に読んでくださいませ。

1度目:20歳の時・外因的に色々重なって病んだ

今までの人生で一番修羅場だったのここだったのでは?と自分でも思い返すくらい色々重なっていたタイミングでした。
全部12月〜1月の間に起きた事なのですが、

  • 就職先が会社を畳むという理由で内定取り消し

  • 消息不明だった父が遺体で見つかったと警察から連絡

  • 祖父が亡くなっていた&葬式は終了済みなので線香だけでも上げに帰れ!と急に言われる

あと2ヶ月後には卒業して社会人だ!とワクワクしながら卒業制作で慌ただしくしている最中に上記が全部起きたのでだいぶ慌てた覚えがあります。

職場ベースで次の引越し先を考えていたのでその予定も白紙に戻り。

両親が離婚済みだったため父の件の手続きは血縁者の私がやる事になる、というのも初めて知り。
(無理なので母に代理人やってもらいましたが)

祖父については大往生だったらしいので別に良いのですが、そもそも亡くなった話・葬式があった話を後で知ると言う…。

近しい身内の死を同時に知らされたのも衝撃でしたが、双方の人生の終わり方が両極端
(片や一人で死んで遺体発見・もう片方はキャパ200人のホール&でっかい花祭壇でセレモニーパーティー)それも衝撃。

兎にも角にも当時の私としては
『全イベント一気に来るなよ!!!』
でしかなかったのでした。
せめてあと3ヶ月早いか分散してくれ…。

とは言えそこまで大病み!みたいなことは無く。
自分でコントロールできない部分で色々起こったので大変だったんだな、と今は思えます。

当時仕方なく一瞬だけ福岡に帰ったときの写真。
これっきり福岡に行ってないや~。

2度目:24歳の時考えすぎ&やりたい事多すぎで病んだ

この時期の病みは色々と複合的すぎて私にもよく分からないのです。

24歳の時に『30歳までの6年間どう過ごすのか』みたいな事を漠然と考えてしまい、やりたい事がたくさんあるのに今の生活を続けていたら多分全ては叶えられない!と考え出して謎に焦り出したり。

人生は一度しかないのに、今世ではきっとエベレストに登れないし月に上陸も出来ない!火星にも行けない!!
バリバリキャリアウーマンの私も母親をやる私も両方の人生を見てみたいのに1つしか人生が選べないだなんて!!!!

世界も人生の選択肢も、全バージョンを今世だけで見るのは無理すぎて人生が足りない!!!と変な病み方をしていたり…。

あとはまだこの時代(2015〜2016年)って微妙に昔の空気が残っていたので、
『いつかは素敵な家庭を築けるよ😊
『慌てなくても素敵な良い人が現れて結婚できるもんだよ😊
と悪気なく当時の上司に言われる環境にもかなりフラストレーションが溜まっていたり。

そもそも私の恋人が男って決められるのもダルい(当時のパートナーは女性だった)。
子供を産む前提で話されるのもダルい。
結婚願望がマジで無いと話しても「いつか良い人できるから大丈夫だよ😊」と頓珍漢な事を言われてダルい。

でも皆んな悪気があるわけではなく本当に親切で言ってるんだもんな〜というのも分かるので、こんな事に腹立ててる私が異常なのか…と悩んだりしていました。

と、同時に母からは私の職場の環境やお給料面の少なさに苦言を呈したり、
「メーカーで仕様書書きの仕事なんてデザイナーじゃない、裏方やるために東京行ったんかいな」
云々と色々言われ始めたのもこの時期でして。

  • 仕事が大好きだし育てて貰えて本当に感謝しているのに関係ない部分でフラストレーションが溜まる自分

  • 母に『お前は職場に利用されているだけだ!』と言われ、私を育ててくれた会社になんて事言うんだ!!!と激怒する自分

  • 見えている世界の狭さや、広い世界を見るには圧倒的に足りない(と当時感じていた)人生の残り時間に漠然と不安を感じる自分

あちこちから入ってくる言葉や色んな感情が入り乱れた結果、何だかよく分からなくなりパンクしてしまったのがこの時期でした。
精神的に一番キツかったのはここだったかも。

ただ本当に、当時関わってくれたどの人も悪気は無いんだよね。
どいつもこいつも愛がデカすぎて受け止めきれなかったっす!!


ちなみにこのタイミングでちゃんと心療内科にもかかったのですが、心療内科マジで難しい!!!

  • 徐々に変な気功サロンに勧誘してこようとする先生

  • 人と人の触れ合いが大切だと言いながらセクハラしてくる永田町のハゲ

↑こんな先生にぶち当たってしまったので、病院って安全じゃないんかい!!とブチギレすぎて病んでるどころではなくなったのでした。

別に病んでる時や鬱である時にその事を表に出しても良いと思うんです。ただこの世には
「鬱・病んでる=判断力弱ってて金になる😍
という考えの人間もまぁ多いと感じたのでなんかなぁ…って感じです。

弱ってる時は余計な事考えずに療養してほしい反面、ほーーーーんと変な奴いっぱい寄ってくるのでお気を付けて!
病んでるタイミングで占いとかハマるなよ!!!
しいたけ占いで我慢して!!

療養期間に当時の上司に勧められて行った蝶温室にて。

3度目:27歳の時・シンプルに過労&モンスター化しかけて失望


3度目は残業120〜150時間を1年半続けたらシンプルに身体がおかしくなったというだけの話です。
残業120時間〜になってくると、

  • 家に帰ったら「シャワー・食事・睡眠」の3択から1つしか選べない

  • トイレで瞬きしたと思ったらそのまま2時間気絶していた

  • よく分からない場所に吹き出物多発&口角炎でずっと口が裂けてる

  • 死なない程度に大怪我できそうな方法が無いかを真剣に考え出す

…みたいな事がありました。

特に4つ目、あまりに疲れすぎて死にたくはないけれど合法的に寝たいな~と真剣に考えた時に

『電車に接触して死なない程度に四肢が無くなれば担架と病院のベッドの上で寝れるじゃん!!』

と本気で頭をよぎり(これはアカン)となって仕事を辞める決意を固めたのでした。
ちなみに当時の忙しさからして、階段から落ちて骨を折るだけじゃ不十分だと感じての上記の考えでした。
松葉杖や車椅子という現代の神器がある以上、複雑骨折したくらいじゃさっさと会社に来いって言われそうだしな~と。


あとは自分がモンスター化しそうな予兆がして危険を感じたのもあります。

仕事自体はやりがいがあり会社もめちゃくちゃ楽しかったんです。
今の基準だとパワハラに近い言動の営業マン&男性上司が多く、割と似たような属性持ちだった私はその辺をラクだと感じていました。
(向こうが暴言で来る分こちらも言葉を選ばず刺しに行ける&全力キ〇ガイムーブ出来るのでめっちゃ楽しかった)

ただこれってやってる事も言ってる事も幼稚園児と変わんない、いや幼稚園児と犬の方が我々より賢いぞ…。
と気付き、早くこの環境から逃れなきゃ、これを楽で良いと感じる人間になってはいけないと自分にかなりの危機感を覚えたのでした。

ちなみにですがパワハラってする方はめっちゃ楽です
人に暴言や高圧的な態度で指導するのって馬鹿でも出来るムーブであり、脳味噌を使わないので消費カロリーも少ないです。
暴言で人を操るので言語能力が劣っていても大丈夫!

ネックは相手の耐用年数がちょっと短くなるところ。

人を大切にしない・入れ替わりの激しい会社に居ると人=部品みたいな感覚になってくるので、当時は『この部品は耐用年数どんくらいかな~?』という感覚でしか人を見れなくなっていました
新しい人に丁寧に教えたって数か月後には辞めてるっしょ?じゃあ名前も覚えなくていいや。
みたいな。

でもこの辺は何を言ってもただの言い訳だなぁ。
私は周りの環境によっては人を人として見做さず機械のパーツとして扱うような人間だったらしい、と自分にガッカリしたのもこのタイミングでした。

当時は深夜か早朝に人のいない公園を徘徊しがち。
人のいる場所が本当にダメだった時期。

それらを得ての現在の私

そんな訳で極端な身内の死に様を見て良い人生ってなに?と思ったり、
1回の人生で選べる道はたった数個でしかないことに勝手に凹んだり。

人って死ぬ気がなくてもこうしてあっさり線路に落ちれるのか、と気付いてゾッとしたり、
悲劇のヒロイン面しているけど私はいつでも加害者になれる、と気付いてガッカリしたり。

自分のやりがちな悪い癖や、どこまでが自分の『限界』なのかという限界値を知れたと言う意味では学びになったのかもしれません。

おかげでヤバい!と思ったら全力で休めるようになりましたし、何でもかんでも率直に言い過ぎないようになりました。
(※未だに言葉が強いと言われるがこれでも数年前よりはだいぶ角が取れているのです…)


人の一生ってたった80~90年くらい。
この人生が終わったら別にその後は何もない。
こうやって悩んだり考えたりしても、心を動かされても何かに美しいと感じても別に死んだらどこにも持って行けない。

それなのに何で『良い人生』について考えてしまうのか?
なぜ持って行けもしない美しい物を欲しがるのか?
どうせ最後はみんな死ぬのに何で人に対して感情というものが発生するのか?
…みたいなことを毎日グルグル考えながら生きてきた20代でした。

32歳になった私の今の考え方としては、

  • そうやって考えて生まれた物が自然と『カルチャー』として残っていく、その過程に居られるのは素直に楽しい

  • 過去の人々が無意識に作ってきたカルチャーを楽しく咀嚼して私も生きているのでなんか人生ってそういうもん

  • 終わりがあるから今を美しいと感じられている

みたいなふわっとした感じになっています。
まあ人生の有り方にしっかりした結論なんて出すもんじゃないですしね。


MIZUNA embroideryというブランドのコンセプトに上記の文言を掲げています。
サラッと書いていますがこのBLOGの全部をめっちゃ凝縮&圧縮して限界まで圧の少ない言葉にしたのがこの文言だったりします。

今までの人生に起きた素敵な物もしんどい事も、匂いも情景も全部Tattooにして身体に刻めば死に際まで一緒に持って行けそうなのにね(一緒に燃やして貰えるし)と思ったり。
でも正直、身体の皮膚の表面積に刻むんじゃ面積が絶対的に足りないな~とも思うし。

輪廻転生を信じている人にはあまり響かないとは思いますが、私は今世が最初で最後だと思って生きています。
あと50数年後には灰になっている予定なので、灰になっていない今のうちに感じれる五感は全部使い切りたいと思っている所存。

…だからこそ私が生まれる前の十二単だとかモガだとかのカルチャーを体感した先祖達に嫉妬するし、私の死後に生まれる美しい服や音楽を絶対に味わえないという事実にも嫉妬するんですが。笑

そんなこと言っても仕方がないので、未来の人間に『あの時代に生まれていたかった…!!』と歯ぎしりさせられる時代に皆でしようぜ~!というのが今の人生や物作りへのモチベーションだったりします。

終わり!


あとがき


個人的にこういう過去の話をして
「共感しました、やっぱり皆悩みがあるんですね…!」
「よりデザイナーさんの人間性が好きになりました…!」
とか言われたが最後、
『この野郎ネガティヴな話にはすぐ共感しやがって!!!』
となっちゃうタイプだったので基本表でこういう話はしませんでした。
ネガティヴを舐め合う集いみたいになるのが私は本当に大嫌い。

「悩み無さそうで羨ましい〜」と言われながら生きていけるのが本望。
本質や舞台裏の顔なんて私だけが知っていればそれで良いし貴方に見せる筋合いも無し。

と、ずっと上記のスタンスでしたが、今やっているMIZUNA embroideryという活動が私の人生の流れに沿って出来ている以上過去のアレコレも無視できない部分になってきたので触れてみた次第です。
こんな話、急にXやインスタで言われても困るしね!!

こういう経験があっての今ですし、すべて勉強になったので無駄なことは無かったと思っています。
それでも今の10代~20代の子たちはこんな思いせず、健やかに楽しく生きてくれ!!と願ってやまないのも本心です。

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