必要なのはいつも勇気

どこどこの学校とかどこどこの会社とか、
どこどこの所属っていうのは安心する。

特別でありたい気持ちと、みんなと同じでありたい気持ちが併存する。

どこにも属さずに世に放たれて、ひとりの人間として自由に生きていけると言われたら、底なしの開放感と共に地面からふわふわ浮いているような絶望感、不安感が押し寄せることは想像に難くない。

自由がないようで苦しいということは、守られているということでもある。

私はこういう人間だ、という枠組みが欲しくなるのも同じなのではないかと思う。MBTIが流行るのも、自分という人間をなんらかの型に当てはめたい気持ちがあるからだと思う。自分のMBTIがわかって自分あるあるを読むと、どこか安心した気持ちが湧いてくる。

選べるようで選べない道、勝手に決まることも多いけれど、その一歩進んでしまった道が肌に合わなかった場合も苦しい。道を変えることは莫大なエネルギーが必要である。

選んでいるのか選べないのか、他者に選ばれているのか?
私が選びたいという強い気持ちを持って選ぶこと、私は選べるのだという強い気持ちを持つこと。諦めないこと。

必要なものはいつも勇気
足りないものはいつも勇気

アイデンティティなんか要らないと言いたい。

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