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ここにいるということ

昨日、田辺の某先輩カップルから誕生日プレゼントを頂きました。

開けるとアクセサリーを置いたり掛けたりする木が出てきて、こういうの欲しかった〜と思いました。ヘアオイルも入っていました。うわーふたつも!と思っていたらもうひとつ入っているよ〜と言われ、可愛いイヤリングも見つけました。娘へのプレゼントの量だね、と3人で笑いました。

田辺は今でこそメンバーが集まりましたが、同志社大学が文系学部のキャンパス移動をしてからはピンチの時代が続いていました。同志社と同女を合わせても練習メンバーが集まらない、同期も殆どいない、そんな中でモチベを保ち、忙しくても一生懸命かるたの練習を続けることはどれほど難しいことでしょう。「大山札を2字で取る先輩」は持ち前の明るさと行動力で田辺を育て、「田辺専属ドライバー」の先輩はそんな中練習をし続けて下さいました。

私は関西でかるたをしたい、という目標だけで大学を決めました。もう1年かるたを休むのは無理だ、という理由だけで私立を受験しました。第1志望の大学への憧れが大きすぎて受験を決めた時は私大の募集が殆ど終わっていたため、とても適当に学部を選びました。京田辺市の立地やかるたの環境は、入学してから知りました。

この時この先輩方と「社会人で日本一練習をしている」保育士さん、同期のみんなが居なかったとしたら。こんな辺鄙な土地に閉じ込められて私は今何をしていたんだろうと思います。みんなで練習環境を整えて強くなる方法を模索し、ゲストをたくさん呼ぶために作戦を立てたり練習会を開いたりして、みずきち練に100人以上が集まったりもしました。100人の練習会をみんなでやりくりしていく経験は何にも替え難いものです。関西連盟も、もし私が田辺に居なかったら入ることにはなっていなかったと確信しています。

私はここにいるべくしてここにいます。もしあの時ああしていたら知らなかった人達、居られなかった場所、無かった責任。何も比べることは出来ないけれど、与えられた場所で一生懸命に過ごすことは何かをもたらすと、私は偉大な先輩方に背中で示されました。

今では人も増え、熱心な後輩もいます。田辺を守ってくれた先輩方はあと半年で卒業してしまいますが、この暖かさと熱さを私たちは忘れないでいたいです。

練習に来たい人は気軽に連絡下さい!

あなたも田辺ファミリー!

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