「人の不幸は蜜の味」この言葉を聞いてあなたはどう感じますか
人の不幸は蜜の味
この言葉を聞いて、あなたはどう感じますか?
私は、オメデタイ人間なので、人を信じたいので、本当に「人の不幸を望む人」なんていない、と思っていました。
きっと、人に恵まれていたんでしょうね。ありがたいことに、友達と呼べる人がいたし、支えてもらっていたからです。
だから、ほんとうは弱い人間なのに、たくさんの友人の支えのおかげで、様々な事由があっても、生きてこれたのです。
また、私は結果がどうあれ、自分の選んだことは「後悔しない」と決めていました。
人生は選択で、たとえその選択がミスであって、辛い目にあっても、それは自分で決めたのだから、受け止めて生きる、と思っていたのです。
ところが、人生は、自分が決めたことではなく、突然に襲ってくるものもあります。
自分がもっとも大切にしていたけれど、自分の人生ではないもの、それを突然失った時、私は、それを認めることができませんでした。
だから、認めてないから、涙も出ないし、起こっていないことと思いたいから、顔をそむけるし、さらに人前では、元気で前向きのように演じてしまっていました。
ほんとうは、弱いからこそ認めたくない。
認めたくないからこそ、明るいふりをする。頑張ってしまう。
泣かない。
もう、がんじがらめで、出口のないところに閉じ込められていたのに。
ほんとうに親しい友人、心があたたかい人たちは、その事実にふれず、見守ってくれました。友人たちには、感謝しかありません。
でも、私が明るく前向きなふりをしていることを(おそらく)大変なことがあったのに「悲しんでいない」「おかしい」と思う人もいました。
つまり、自分の思ったように私が悲しんでいないことを、責めたのです。
たとえば(ほとんど直後の話)
「そんなに前向きになっても、一生、癒されることなんか、ないんだから」(言われなくてもわかってます)
「七年間も寝込んだ人もいるのに、よく‥‥‥」
(寝込めるなら寝込みたい。信じてないから寝込めない。だってこれは現実じゃないもの!!(当時の私の叫び)
上記、ほんの一例ですが、人間というのはどこまでも残酷になれるんだと、思いました。
さらに、そういう時にやってくるのが、〇〇会とか、何かの自然食品とかの勧誘・宣伝です。
そういう方々は、困ったことに「自分はいいことをしている」「自分は人を救おうとしている」と信じ込んでいることです。
私は、基本、誰が何を信じていても良い、という考え方をしています。
それを信じて、その人が明るく前向きに幸せに生きていけるなら、良いのではないか。
誰がどんな考え方でも、自由だし、それぞれだと思っています。
(法律にふれるようなことはダメですよ)
でも、その方々には良いことでも、私にとっては必ずしも良いとは限りません。
人間はそれぞれで、いろいろな考え方をしている。それを認め合って生きているのだから。
でも、結果的に、何かあった人に近づいてくるのって、やはり
「人の不幸は蜜の味」そして
「人の弱みにつけこんで」
と、なりませんか。
そう、これもいろいろ考え方がありますよね。
悲しいですね。自分の信じていることを良かれと思って話しても、傷つく人も、いるんですよ。
友人・知人は、かなり整理されました。それでも、今でも、寄り添ってくれる友人はいます。
ほんとうに、感謝しかありません。
何か大きなことが起こると、良きにつけ悪しきにつけ、人の本質が見える時があります。
残念ですが、それはある意味、本物を見極めることにもなるのです。
時間薬
と言いますが、時がゆっくりと動いて過ぎるのを待つ間に、本物だけが残ります。
その寄り添ってくれる愛に感謝しつつ、どうもまだ逝けないみたいなんで、精進・努力する日々です。
ほんとうに、ありがとうございますm(__)m
本日も、お読みくださりありがとうございましたm(__)m
「人の不幸は蜜の味」この言葉を聞いてあなたはどう感じますか
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