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エンドレスヒールⅡ-3.11 #38あさみの場合

2011年3月末頃

原発注意メールを出したことによって、安否確認も兼ねて出したため、たくさんの友人から無事のメールが届いた。
状況は様々で、避難所にいる人もいるし、命を失いかけた人もいた。
それでも 次々と 無事の返信があると、やはり嬉しかった。

日々の暮らしは、一週間後に電気・電話が通じて、水も出るようになった。
最後はガス。
N市のガス局が被害を受けたので、ガスは当分無理と思われた。

相変わらず、ガソリンスタンドは毎日行列。
何時間も並んでも、結局ガソリンを入れられなかった、との話もあり、浅海は職場に復帰するまでガソリン温存を考え、あまり出かけなかった。

コンビニは全滅。全く開いていなかった。
わずかにスーパーマーケットだけが、朝から並んで昼前には列を区切られて後ろの方には残念ながら帰っていただき、やっと中に入ると、せいぜい5品くらいしか手に入らんし、という状態が続いていた。

浅海は一週間、夜も一人で過ごしたが、考えてみると家族の多い人は大変だったと思う。
毎日、家族が食べる食品の調達に追われていた。
ガソリンがなくなり、自転車で買い出しに出ている人もいた。

スーパーに並んで話を聞くと、かなり遠い所から来て並んで、買い出しをしていく人たちも、たくさんいた。

原発注意メールを兼ねた。安否確認メールを出してから一週間近く過ぎた。
なかなか返事が無い人もいる。
いろいろいそがしいのであろうが、心配ではあった。

そこで、返信の無かった友人に、もう一度メールをしてみた。
内容は しごく簡単。

心配していること。
無事なら返事がほしい、ということを明記した。

やがて、10人余りの人たちが、返事を寄こしてくれた。

2011年7月8日(金)
続く⇒終了

エンドレスヒールⅡ-3.11 #38あさみの場合

「エンドレスヒールⅡあさみの場合」ここまでとなります。
これ以上、書けなくなってしまったのです。

「Ⅰ 和美の場合は、福祉の仕事を続けることにした主人公」
「Ⅱ あさみの場合は、福祉の仕事を辞めたが、他の職場で稀有な体験をし、さらにボランティア等で、実際の被災地に足を運ぶ主人公。そして、原発注意メールによる大きな打撃など・・・」
と、同じような震災体験をしても違う選択をした話を書こうと思ったのだと思います。

実際、#36 のあとがきにあるように、注意メールでは30%の友人を失いました。その内容も様々です。
また、いくつかのボランティア、肉体労働もありましたし、傾聴ボランティアもしました。
いろいろな場所に行きました。
結果、とてもとても、書けなくなったのだと思います。

当時のそのまま、某ブログより転記しました。
今も、いや、もう今は、当時の気持ちで書けません。
未完は残念ですが、当時、必ずしも報道の中にあった激しい描写の中にいなかった人間も、いろいろあったのだと思います。

そして、たぶん、
私と同じように、今も

「生きていて申し訳ない」「助かって申し訳ない」
と思う気持ちを持っている方も、いるのだと思います。

避難所にいらした方々、ご家族や友人知人を、家を、故郷を失った方々、このような状況の話を書いていたことを、お詫び申し上げます。


前回 エンドレスヒールⅡ #37は こちらから
https://note.com/mizukiasuka/n/n7c514b7e46e4


②エンドレスヒールⅡ あさみの場合 最初からはこちらから
https://note.com/mizukiasuka/n/n799a32079029

①エンドレスヒールⅠ 和美の場合
& エンドレスヒールⅡあさみの場合 を最初から、まとめて読めるマガジンは、こちらから
https://note.com/mizukiasuka/m/m3589ceb09921

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