見出し画像

エンドレスヒール#58 -3.11

3月15日(火)震災5日目

職場から戻る帰りに、スーパーに並んでみた。
夫が毎日会社泊りで、家には夕方ちょっと顔を出すだけだ。
食事も会社の非常食、さらに中心部は震災2日目から電気がついたため、寒さに震えることもない。

夜6時に日が暮れて、ロウソク一本で12時過ぎまでノートに書き続けている和美の分、一人分。
食べ物も水も、和美の分だけあれば良かった。
さらに、独りで仕事も待機のため、ガソリンも使わず、ただただ 家にいるだけだった。

スーパーは、長い列の後ろの方だったが、和美より3人くらい後ろで、今日はお終いとなった。
まだ午前10時頃だったと思う。
そこから約2時間、ゆっくりと列が進む中 待っていた。
前にいた年配の方は、毎日違う店に行って並んでいると話していた。
後ろの青年は、同じ区内だが車で30分以上かかる所からわざわざ来ていた。

家族が多いので、毎日開いているスーパーを探して並ぶのだそうだ。
もしも、3人の子供たちがいたら どうなっていただろう。
家族全員安否がわかるまで、もっと時間がかかっていたかもしれない。
働いているところ、大学のあるところ、様々な事情で出かけていれば電車に乗っていたかもしれない。

まだ、自分の両親の安否がわからない和美は、この時ほど三人とも関東に出して良かったと思ったことはなかった。
さらに、3人の大人の男性が家にいる生活を考えれば、きっと毎日買い出しに出なければなかっただろう。

やっと順番が来た。
スーパーの中に入ると、奥には入れず、店頭販売のように入り口から出口にかけて品物が並んでいた。
一番欲しい、バナナやパン、ヨーグルトなどは、朝のうちに売り切れていた。
そして、一つのブロックの何品か置いてあり「ここから一品」などど書かれていた。

自由に買い物出来るわけではなく、限定された品物から、さらに選ぶのでトータルで5個くらいしか買えなかった。
米も売っていたが、和美一人しか食べないし、電気もつかないし、ガスコンロも無いので買わなかった。
和美より必要な人がいるはずだ。

和美は その日 少し贅沢をした。
震災以来 寒くても灯油を節約のため使っていなかった反射式ストーブで、キャベツのキノコ炒めを作った。
震災後 お菓子や乾パンしか食べていなかった和美の、初めてのまともなオカズだった。

続く
2011年5月14日(日)

エンドレスヒール#58 -3.11

かあさん、僕が帰らなくても何も無かったかのように生きていってね

次回 エンドレスヒール#59 へ続く
https://note.com/mizukiasuka/n/n17e8233972a4

前回 エンドレスヒール#57 は こちらから
https://note.com/mizukiasuka/n/n1f2aa0010ec2

エンドレスヒールをまとめて読めるマガジンは、こちらから
https://note.com/mizukiasuka/m/m3589ceb09921

もしよろしければ、サポートしていただけると嬉しいです。いつも最後までお読みいただき、ありがとうございますm(__)m(*^_^*)