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弱音を吐いてくれたとき

髪を切ったので彼に見てほしく、近所のコーヒーチェーン店へ呼んだ。
すぐに来てくれて髪型も褒めてくれて嬉しい、満足。

それからいつものように、いろんな話題でいろんな議論を交わした。

話していると、彼がどんどん暗くなっていく。
珍しく弱音を吐いていた。(本人は弱音と思っていないかもだけど。)
お酒を飲むとたまにこうなることがあるけど、今日はコーヒーしか飲んでいなかった。

私も彼もこの春大学3年になる。
私は就きたい職業は思いつかないものの、そろそろ就活かな…と考えている。
彼は大学院に進学するのか、就活するのか、詳しくは知らない。
それでも将来に抱く不安はふたりとも持っていた。

彼に何があったのか知らないし(昨日まで1泊2日で金沢旅行に一緒に行っていた)、将来のことをどう考えているかはわからないけど、シラフでこんなになよなよしている彼をわたしは初めて見た。

彼だけに関わらず、弱音を聞いたとき、私は少し戸惑ってしまう。
弱音を"吐かれた"、とも言えるし、弱音を"吐いてくれた"、とも言える。

多くの人がそうだと思っているのだけど、弱音や愚痴は聞いていて楽しくない。
友達の不幸自慢ほど不快な話題をわたしは聞いたことがない。
幸せな楽しい話をしようよ。

でも、そんな重ったるい話をしてくれるということは、それだけ親しくなった、信頼してくれているということかな、とも受け取れる。
そう考えると嬉しいのだけれども…。

誰かに何かを相談するとき、具体的なアドバイスを求めますか?
わたしは求めたり求めなかったりするのですが…(取扱い難しい奴)
ひとが相談するのはアドバイスが欲しいからではなく共感してほしいから、という話はよく聞くと思う。
(参考:https://www.ttcbn.net/bodynmental/mental/85263)

でも、いざ相談される側になったとき、アドバイスよりも共感が大事なんて考えてられない(私だけ?)。
私は自分の意見をはっきりと言いたい性格なので、相談を受けて思うことがあったら躊躇なく言ってしまう。
きっとそれで相手を傷つけたこともあると思う。

今日もそんなかんじだった。
「○○なんだよね…」『じゃあこうすればいいじゃん』
「でも△△で…」『それならこうすればよくない?』
と相手の状況を考えずに"私ならこうする"論をひたすら叩きつけてしまったな、と反省。

そして後から振り返ると、「そもそも彼が言ってたこと、ちゃんと理解できていなかったかも」とさえ思う。

相談を受けるってむずかしい。弱音を聞くってむずかしい。
自分がする側でもそうだけど、共感し慰めるべきなのか、具体的なアドバイスをするべきなのか、一概には言えない。
これこそ、時と場合による。

帰宅後、どうしても彼のことが気になって、こっそり差し入れをしに行った。
少しのお酒とお菓子、今まで私にとびっきりの元気をくれた宝物たち。

今日わたしが提案したアドバイスたちは一切彼の役には立たないと思うけど、言葉とか具体策じゃなくて、モノで気持ちを共有できないかな、と挑戦してみた日。

みんなに素敵な未来がおとずれますように。

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