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生粋の九州ガールがボスニアのトリコになった話#1

今回は、2022年7月末に行ったボスニアヘルツェゴビナ周辺国への旅行を振り返りたいと思います。コロナ禍以降のここら辺の国の情報が少なかったので、参考になれば幸いです。

4泊5日の旅行でボスニアヘルツェゴビィナ・モンテネグロ・クロアチアを訪れました。大まかな日程は以下のとおりです。
1日目 コペンハーゲン⇒サラエボ サラエボ泊
2日目 サラエボ⇒モスタル モスタル泊
3日目 モスタル⇒コトル コトル泊
4日目 コトル⇒ドブロブニク ドブロブニク ドブロブニク泊
5日目 ドブロブニク⇒コペンハーゲン

この記事では1日目を振り返っていきたいと思います。

1日目
友人とはモスタルで合流する予定だったので、サラエボ滞在は1人旅でした。
すでにヨーロッパを10か国近くを旅行したことがあったため、旅行自体はだいぶ慣れていましたが、東欧に行くのは初めてだったのでワクワク・ドキドキしていたのを覚えています。
飛行機は、Wizz-airを利用しました。出国手続きを済ませ、いよいよ搭乗です。

サラエボ空港についてからは、入国手続きを済ませ、空港にある両替所(?)でユーロを兌換マルク(ボスニアヘルツェゴビナの通貨)にしてもらいました。
空港から中心地へ行くバスを見つけられなかったので、タクシーを利用しました。これが怖かった!海外でタクシーに乗るのは初めてだったので、ぼったくられないかとにかく心配でした。。。

結果的に空港を出てすぐにあるタクシー乗り場に並んでいるタクシーを利用しました。こんな感じのタクシーです。と、示したかったのですが、どれだけ探してもタクシーの写真が見つかりませんでした(笑)
おそらく黒の車でした。

数年前にサラエボを訪れた方が書かれた旅行記に「タクシーに乗ったらメートル制で課金されるように伝えること!」と書かれていましたが、
私が乗ったタクシーはメートル制を採用しておらず、場所によって事前に値段が決められているシステムでした。

タクシーの値段表

とりあえずサラエボの中心の鳩広場に行きたいと伝え、無事に出発しました。まあ予想通り運転が荒い。。。後部座席に乗っているにも関わらず非常に怖かったです。

向かっている途中はタクシーのおじさんにサラエボのことを軽く教えてもらいました。(今回訪れた国では英語が通じました)

[タクシーのおじさんから教えてもらったこと]
・この国では、ユーロと兌換マルク、2つの通貨が共存していること。
 (1ユーロ=2マルクで計算される)
・スーパーの買い物や飲食代はマルクが使われるとのこと。
・タクシーやホテル代はユーロで対応できるとのこと。
・政府がタクシー料金を決めている。

そうこうしているうちに、中心地につきました。空港の近くの民家はやや廃れている感じもしましたが、中心地に近づくにつれて高いビルや見られました。25分くらいでした。日本円で2000円くらいを請求され、プラスで荷物代として400円くらいがかかったと思います。

荷物をタクシーから降ろし、タクシーのおじさんに別れを告げ、ついにサラエボ観光が始まりました。
目の前では路面電車のレールの上を自動車が走り、あっちではクラクションが鳴る、というように混とんとした非ヨーロッパの独特な雰囲気が感じられワクワクしたのを覚えています。

とりあえずホテルに荷物を置こうとしたものの、ホテルが見つからない!
グーグルマップを見ながらうろうろしていると、家の表を掃除していたおじさんが「道に迷ったの?!」と案内してくれました。人が温かいと聞いたことはあったけれど、こういうところなんだろうな。一人旅は人の優しさがしみる。。。

ほっこりした気分で鳩広場から徒歩1分くらいのところにある宿にとりあえず荷物を置き、やっと観光開始!

サラエボのシンボルのような鳩広場

おなかがすいていたので、名物と聞いたソーセージとピタパンのセットを食べました。400円くらいでおなか一杯になれるという物価の安さはありがたかったです。ピタパン、すごくおいしかったです。こんな感じ。

ピタパンとソーセージ

そのあとは、小売店が立ち並ぶ通りをうろうろし、GALERIJA 11/07/95という資料館に行きました。この資料館では、主に1995年のボスニアヘルツェゴビナ紛争に関する写真が展示されています。
日本語での音声案内もあり、背景知識がなくとも紛争について知ることができました。
「大虐殺が行われて、その後虐殺を行った側が隠蔽しようとしたせいで遺体の保存状態が悪く、身元を特定するのがとても難しい。」といった生々しい話に衝撃を受けたり悲惨な出来事を防げなかったことに対する怒りを感じたりと心が痛みました。

街中の建物には銃弾の跡が見られました

資料館を見終わった後は、WW1のきっかけであるサラエボ事件のあったラテン橋に行きました。(見た目はフツーの橋でした、、)

1995年の紛争にサラエボ事件、これだけ聞くと、鬱々としたイメージを抱くかもしれませんが、そういうわけではありませんでした。
治安自体も最低限気を付けていれば大丈夫でしたし、なにか街全体からエネルギーを感じました。クラクションの音とかそういう物理的なものも含め、もっと生命力というか人間臭さというか発展途上で独自の世界観があることにとても引き込まれたし、過ごしていてワクワクしました。

だんだん文章が長くなってきたのでここからは写真で残りのサラエボ観光を伝えられたらなと思います。

晩御飯に食べたミートパイ。sacというお店のもので、とてもおすすめです。
グラムで売ってくれます。
異世界に迷い込んだかのような雰囲気がありました。
絨毯柄のポーチ。どのお土産屋さんにも同じようなものが売られています。
値段をちゃんと比較して、高い値段で買わされないようにしてください。(経験者より)

約半日のサラエボ観光でしたが、もう少し長めに滞在したかったなと思っています。また、今回は徒歩で移動していたので、次行ったときは路面電車を利用したいなと思いました。
みなさんも機会があれば、ぜひサラエボを訪れてみてください:)

それではまた!

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