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人生で1番頑張ったことは何ですか。

冬の日曜日朝8時。静かな街に鳥のさえずりがいつもより少し大きく聞こえる。犬の散歩をするおばあちゃんに挨拶をし、いつものカフェでカプチーノを頼み、先週から読みかけの本の続きを開いていた。カプチーノをマスターが持ってきたタイミングでスマホに明かりがついた。それは私の友人からのあるメッセージだった。

『何かを頑張って取り組んだが、それが報われず辛い時、どう立ち直ったら良いか』とあった。
私はその質問を見て、スマホの画面を閉じ、ゆっくり背もたれに腰を預けた。カプチーノを一息飲むとその質問を頭の中で幾度か唱えた。
メッセージを見てすぐに返した方が良いのはわかったが、この質問にはすぐに答えることはできなかった。

立ち直るというキーワードに引っかかったからだ。私の経験上、立ち直るなんてきっと無理だと思った。立ち直ってすぐに前を向き、次に進もうって考えられる人はなかなかいないと思う。

目標に向かって一生懸命努力し、頑張ったという経験は、人生にどれくらいあるだろうか。
この問いを見たひとは、そのような経験があるだろうか。

私にはたしかに、たしかにあった。

高校時代、大して勉強しなかったが、どうしても行きたい志望校があり、浪人をして、その大学を2度受験した。浪人期は高校時代を取り返すべく、がむしゃらに365日ずっと勉強した。当時は周りが見えていなかったと思う。
だが、たかが1年程度一生懸命勉強しても、人の学力なんぞあまり変わらない。
結局、目標の志望校へは届かなかった。

しばらく立ち直れなかった私は、併願で合格した大学に進んでも、抜け殻のように過ごす日々。
立ち直るなんて、前を向くなんて、当時の私には到底できなかった。それでも時間が経てば、その環境に馴染み、次の目標ができ、立ち直ったように見える。でもそれは『見える』だけで、心の中にはずっと何かが残ったまま、消えることはない。

一生懸命頑張ったと、がむしゃらに目標に向かって努力をした、そんな人ほどきっとずっと心の中の傷が消えることはない。
それは頑張ったという証であり、それがあるから今の自分があると、そう思える自信の象徴でもあるからだ。

私は無理に立ち直らなくても良いと思う。
辛いなら、その辛さを誤魔化して生きなくても良いと思う。辛いなら辛い、泣きたいなら泣く、感情のまま生きればいい。それが人間だ。

でも一つ伝えたいことがある。
今人生における岐路、頑張り時、受験などに差し掛かるひと。これが失敗すれば人生終わりだと、かなりの圧力がかかってる人に向けて伝えたい。
そして、これからそういう選択を迫られる方にも伝えたい。

人生で失敗しちゃだめ、なんてことはひとつもない。私も受験期に、『この大学に入れなかったら人生終わり』と浪人期も含めてずっと思っていた。本気で行きたかったし、周りから浪人して落ちたって思われたくないだとか、両親を失望させたくないとか、色んなプレッシャーがあった。
当時の自分は本当に必死で生きていたからこそ、周りが見えていなかっただけかもしれない。
でもそれくらい必死で一生懸命で真っ直ぐだったからこそ、本気でぶつかったからこそ、悔しくて、失敗した自分を責めたし、本当に死にたいと思った、そして神様を恨んだ。
そんな自分が今、当時を振り返って、思うことは、
実は失敗した方が、人は次に進むときに、そこで学んだたくさんのことを活かすことができる。
だから成功もしやすい。
あまり失敗していない人ほど、躓いた時に、なかなか立ち直れないし、どうしていいかわからなくなる。
だから、失敗は早期にたくさんすべきだし、その方がきっと頑張り方を知っているから、いろんなことに挑戦しやすい。

そんなことを考えながら、少し冷めたカプチーノを飲み、友人へ一言。『今度飲み行こう、新しく家の近くにおでん屋さんできたから』
本の続きへ戻ったら、スマホの明かりがまた灯った。『美味しいところじゃないと嫌だからね』

おわり。


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