見出し画像

「映像研には手を出すな!」の話


ずーっと評判を聞いて気にはなっていた、
漫画「映像研には手を出すな!」を今更ながら読みました。
大童澄瞳(おおわらすみと)作、「月刊!スピリッツ」にて連載中、単行本は現在3巻まで出ています。
以下、感想というか、これがもうめちゃくちゃ良かったので、語ります。

結局はただひたすら「映像研はいいぞ!」というだけの話をするnoteになりますが、
愛の分だけ文字数を重ねたい、好きに理由はないと言っても好きの理由を語りたい、そういった姿勢で書いていきます。7000文字強!




0,あらすじ

「自分の考えた最強の世界」を作り上げることを夢見て、設定画を描き、アニメ制作に憧れていた主人公、浅草氏
そんな彼女が高校に入学し出会ったのは、
カリスマ読者モデルであり、俳優の両親を持つお嬢様でありながら、アニメーターを志す同級生、水崎氏
浅草氏の高校以前からの仲で、金勘定が得意で口達者な同級生、金森氏を言い出しっぺに、
3人は部活「映像研」を立ち上げ、共同でアニメ制作に打ち込む高校生活をスタートさせる。


あらすじとしてはこんな感じ。
「監督」ポジションの浅草氏、「アニメーター」ポジションの水崎氏、「マネージャー」ポジションの金森氏、それぞれの目線や考え方を通して、
高校を舞台にアニメ制作の現場が描かれる物語です。

浅草氏のどこまでも広がる空想の世界(本編には時折、浅草氏が描いたであろう「設定画」が見開きブチ抜きで挟まれる)、
水崎氏の「アニメ」ではなく「アニメーション」を描くことへのこだわり、
金森氏のお金に対する姿勢や信念(金森氏の発言は度々”名言”としてSNS上で話題になる)、
など、創作をするにあたっての共感できる話、ハッとさせられる話、勇気をもらえる話、に満ちており、
創作をする人、人の創作を見る人、創作が好きな全ての人が読んで面白い漫画だと思います。


特に私が胸を打たれた点や場面について、以下はより個人的な感覚で書きます。
ネタバレと言うかわかりませんが、本編のセリフの引用など挟みますので、
まっさらな状態で読みたいという方はここまでで止めておくのをおすすめします。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1,私達はなぜ創作をするのか

2巻14話、ロボットと怪獣が戦うアニメを作ることになった映像研。
作画作業をする水崎氏は「ここのチェーンソーの動きが思い通りに描けない」と苦悩している。
それを見た金森氏に「問題のない動きに見えますが、そんな細かいところにこれ以上こだわる必要があるんですか?」と聞かれた時の、水崎氏の発言。

「チェーンソーの振動が観たくて、死にかかってる人がいるかもしれない。」
「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。」
「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」「動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。」


私は絵を描いている人間ですが、ここのセリフが本当に好きで、
「なぜこだわりを捨てずに貫き通すのか」ひいては「なぜ私は絵を描くのか」の答えとして、自分の中でスパッとはまったような、自分の中に軸が通ったような感覚があり、この場面でめちゃくちゃ泣きました。

なぜ私達は自分のこだわりを込めた創作をして、それを発表し続けるのか。
趣味だからとか、承認欲求とかそんな話ではなく、
こだわったものを作ってないと生きていられない、生き延びるために作っている。自分で自分を救うために。
そして、自分と同じこだわりを持つ人が、そうやって作られたものが見たくて死にかかっているかもしれないから発表する。
これは生命活動であり、人命救助活動でもある。
「"私が生きる"ってことは、こういうものをひたすら作るってことなんだって。」

全ての創作者がそうなのかはわかりませんが、
少なくとも私と、水崎氏(おそらく浅草氏も)、そしてこの漫画の作者である大童先生にとってはそうなのだろうと思います。



2,こだわりを人に伝えるには

3巻22話、浅草氏が「演出」について覚醒する場面も大好きです。

新作にむけて、浅草氏は兵器がUFOを撃ち落とすシーンを練っている。
「光線の見えない砲を撃つ兵器」を描きたいというこだわりがあるが、「作品を見るのは一般人ですよ。光線が無きゃ何が起きてるのかわからん」と指摘され、苦悶した末の浅草氏。

「あの時、機内を狭く暗く描いたのは、空の明るさと、広さを、見せたかったからじゃないか。」
「今までの、ありとあらゆることは演出だった!」
「ワシの世界は、演出によって最強化する。であるならば!私はまだ考えなくてはいけないのだ‼︎演出を!」

「光線が出ない砲を描くことはワシにとって大事なことなんだ!」
「光線や砲弾が出ない違和感?そこじゃない‼︎"いいかお前ら‼︎これは光線が出ない指向性エネルギー兵器なのだ‼︎"というメッセージをシーンに込めて伝えることが重要なのだ‼︎」

この気づきを経て、浅草氏は「薬莢が出る」「砲の先端からの煙」などの「光線は出ずとも発砲したことがわかるカット」、
そして3巻からの新メンバー、百目鬼(どうめき)氏による「音」の演出を入れることで、こだわりを貫くことに成功する。

こだわりを持った作品を作っても、人に見てもらうためには、内容を理解し受け入れてもらわなくちゃいけません。
そのためにするべきことは、人に伝わりづらいこだわりを諦めて排除していくのではなく、
そのこだわりを持たない人にもわかるように「演出」すること。
「こだわりで生き延びる」ためにも。

この話もアニメ・映像に限らず、全ての創作活動、表現活動に言えることだと思います。
例えば今この文章を書くとき、改行・段変え・太字などを用いて読みやすくするのも、演出と言えます。

個人的にはこういったことは以前から割と意識していたことで、
(自分の中の語彙では「脳内言語から一般的言語への"翻訳"」と呼んでいる)
共感できる話でもあるし、「光線の出ない兵器」は例えとして良くて面白いなぁと思います。



3,人物描写、キャラ萌え

これもきっと大童先生の「こだわり」ですが、
この漫画は登場人物それぞれの外見・性格・仕草・表情・振る舞いなどについて、「キャラクターの解像度」がとても高いのも特徴です。

物語の流れには直接関わらない部分ですが、ある程度読み込んでいくと、
「浅草氏は不安になるとすかさずうさぎのぬいぐるみを抱いているな」とか、
「水崎氏は高いところにすぐ登りたがるな」とか、
「金森氏はしばしば指の関節を鳴らす癖があるんだな」とか、
細かい描写が大量にあって、とにかく読めば読むほど出てくる。

私が好きなのは2巻13話、大雨に降られ3人で銭湯に行く話で、
「1人だけ湿気で髪がボサボサになっている金森氏」とか
「水気をはらうのに犬みたいに全身ブルブルする浅草氏」とか
「まとめて留めた髪がピーンと上に立っている水崎氏」とか
「ジャージのジッパーを上まで閉める金森氏」とか、
特にそういった描写がたくさん見られる回です。

おそらくですが、「雨に降られる」「銭湯に行く」「ジャージを着る(普段と違う格好をする)」などの、
何か"イベント"に対してどんな振る舞いをするか、どんな姿を見せるか、という面から「キャラクターを描く」こと、をとても意識的にやっている作家さんなのだと思います。

またこの銭湯回は、当然ながら風呂場で服を脱いだ3人のシーンも出てくるんですが、
女子高生のお風呂シーンなのに全然エッチじゃないというか、裸にフォーカスして描かれていない。かといって変に隠しもしない、裸が特別な価値のあるものとして扱われていない。

だからこのキャラクター達の価値・アイデンティティは「女子高生」というところにあるのではなく、
「風呂屋で金払って湯を節約するなんざ贅沢だ!」と言ってお湯をぶっ掛けたり、その水の動きが見たくて「もう一回!」と繰り返したり、ぶっ掛けられ続けて「いい加減に、しやがれ!」と叫んだりする、ところにある。

キャラクター達の性別が違っても成立する物語だし、かといってこの性別と彼女らのアイデンティティに矛盾するところもない。(こんな女子高生いねーよという意見には、全然いるよと言いたい)
ということが如実に確認できる回でもあります。

そういった細やかな表現が積み重なることで、陳腐な言い方になるけど「キャラクターが"生きている"ように感じられる」のが、この漫画の魅力のひとつだと思います。


ここからはまた個人的な話になりますが、
私はオタクと言えども特に「キャラ萌え」のオタクで、
物語を楽しむのも好きだけど、その登場人物の「人柄」や「癖」や「外見の特徴」をどこまでも掘り下げるのが趣味というか、性癖というか、生きがいなんですね。

だから基本的には俳優とかアイドルとか、いわゆる「ナマモノ」のオタクでいた時期が長くて、
(生きている人間は「その人がそこにいる」だけで膨大な情報量を含むので)
二次元のキャラクター・人物に深くのめり込んだことというのが実はあまりない気がする。
というのも私は読み手として、実在の人間と同じくらいのキャラクターの詳細・過去・容姿についての情報など「深み」みたいなものを求めるので、
正直作り手としては「そこまで考えてない…」という、温度差が生まれがちだから。

例えば私は二次元でデザインされたキャラクターの「髪質」を妄想するのが好きで、「この人の髪は触ったらどんな感触なんだろう」みたいなことをよく考えるんですが、
そんなことまで考えて作られてるキャラクターはそう多くないわけです。
妄想するのは自由なので勝手にやるけど、作り手との温度差というか、
掘っても水が出てこないところにオアシスを幻視してるみたいな状態でずっと生き長らえている感じです。

その状態で、「1人だけ湿気で髪がボサボサの金森氏」「まとめて留めた髪がピーンと立ってる水崎氏」を見たときの私の衝撃が、おわかりいただけるだろうか…。

この描写があることで、
「浅草氏はクセがなく柔らかい、まとまりが強い、つやつやつるつるした黒髪」
「水崎氏はまっすぐで硬め、結ぶと重力に逆らう、赤めの茶髪(染めているかもしれない)」
「金森氏は柔らかく細い猫っ毛、結んでも重力に従ってストーンと落ちる、色素が薄く地毛が黄色寄りの茶髪」
、なのかな………みたいな勝手な髪質妄想に「そうかもね」というアンサーをもらえたというか、
幻視かと思ってたら本当に水が湧いてきてビックリしたみたいな感覚なんですね。

髪の話を異様にしちゃったけど外見要素に限らず、人柄を表すような描写についてもです。
モジモジ話す時の浅草氏が髪の毛を顔の前でいじる仕草の子供っぽさとか、
人の服装や髪型の変化にいち早く気がつく水崎氏とか、
スパッツが見えるのも構わずスカートをたくし上げる金森氏とか…。
無限に、無限にあります。


つまり私自身がまさに「チェーンソーの振動が観たくて死にかかってる人」だったということなんですよ。

だから私はこの漫画に救われたし、私はここにいます、届いていますと叫びたいし、
叫ぶために今この文章を書いています。

これが言いたかっただけの章でした。



4,金森氏

この章は本当にオチのない、個人的感情の吐露なので最悪飛ばしてください。

キャラクターが"生きている"かのような人物描写に凝った漫画があれば、登場人物に恋慕にも等しい感情が生まれてしまったオタクが現れることもある。


金森氏、身長180cm前後、長身をさらに強調するようなロングヘアと丈の長いスカート、脚が長くてキレイ、目つき悪く、表情もいかつい、目と肌と髪の色素が薄い、そばかす、額にメガネ、敬語で話すが暴力的、相手を詭弁で巻くのも正論で叩き潰すのもお手の物、手も足もすぐ出る、運動神経が良い、牛乳好き、映像研のマネジメント・経理・交渉担当のインテリヤクザ女子高生。

金森氏のことは皆好きでしょという話はわかる。私は元々そういう「こんなん嫌いな人いないでしょ」という人気キャラを好きになる傾向があります。
「オーシャンズ11」のブラピが好きだし、「マグニフィセントセブン」のイ・ビョンホンが好きです。

正直例えアイドルの追っかけをしてても「ガチ恋」ってしたことないし、する人の気持ちもあまりわからないし、二次元の架空の人格なら尚更わからなかったんですが、
金森氏に対して、なんとなく「隣に立ちたい」みたいな気持ちを抱くようになったんですね。

絵を描く人間として、金森氏みたいな人が隣にいてサポートしてくれたらな、という気持ちもあるけど、
それ以上になんか、普通に人間として何か堪らないものがある。容姿から振る舞いから何からカッコよすぎる。

私はバケモノ級に背の高い人が大好きで、隣に立ってあのデカさを噛み締めてみたいし、
ラーメン屋の座敷で隣に座って脚が長ぇ〜〜って思いたいし、髪をまとめて眼鏡で留める様にドキドキしたい。
(2巻11話の金森氏が本当に大好き)
なんだこの感情は…もうほとんど恋じゃん…と気づいてから何かがおかしくなってしまった。

これまであまり女性のキャラクターに入れ込んだことというのがなくて、
自分の男性贔屓というか、男性であるという事実のある人しか好きになれないのだろうかみたいな悲しさがずっとあり、
だから金森氏を本気でカッコいいと思えたことが嬉しい。
金森氏はなんというか「男性的」だから好き、カッコいい、という感じでもなく、いわゆる「カッコいい女」という型とも別で、
本人自体の背格好と人柄の魅力という感じがあって、だから女性であることが大事というわけでもない。
あの見た目と人格のまんまであれば性別が違っても好きでいられるだろうという謎の確信がある、
しかし金森氏はそもそも実在しないので………

もうなんの話だこれ
とにかく金森氏はこういう人間が現れるくらい魅力的なキャラクターだし、ずっと読んでいくと浅草氏も水崎氏もどんどん好きになっていきます。
そういうパワーのある(そういうパワー"も"ある)漫画だと思います。



5,チームアップの神話

ここで締めるのは最悪だなと思ったのでもう一つ。

私はずっと昔から、
「複数人が得意分野を持ちより、苦手なところを補い合いながら、ひとつの目的に向かって団結する」
という物語が好きというか、
ある種の「神話」として信じ、信仰している節があります。

小学生の頃に読んだ「ぼくらの七日間戦争」に始まり、
映画「オーシャンズ11」シリーズ、「ガーディアンズオブギャラクシー」、小説「陽気なギャングが地球を回す」など…。
「映像研には手を出すな!」もそれに並ぶ、「チームアップの物語」であると言えます。

大童先生のTwitterでも言及がありましたが、
映像研の3人は能力が全員、得意分野に対してかなり「特化型」で、逆にそれ以外のことはどちらかというと苦手という描写があります。

浅草氏は自身の想像を広げる力、それを裏付ける知識、設定画を描く画力などは卓越したものがありますが、人と会話することは苦手です。
金森氏は経営の才能があり、巧みな話術で相手を誘導できたり、また事務手続きなども難なく行っているようですが、子供の頃から算数が苦手であったという描写があります。
水崎氏は観察力が高く、ものの動きを見て覚え、踊りや演技でも発揮でき、そしてアニメーターとしての力量を見せていきますが、それ以外の分野はどうなのか、苦手分野についてのはっきりした描写は本編にはまだありません。

少なくとも浅草氏・金森氏のあの感じは、現実世界でなら「発達障害」またはそれっぽい、と言われていても不思議ではない能力の偏りだと感じます。

しかし、金森氏はスマホの電卓などを駆使して会計処理をこなしていますし、
浅草氏がうまく話せない場では金森氏か水崎氏が喋ればよい。
そうやって自分の苦手分野を補える環境であれば、障害は障害と呼ばれず、問題はなくなる。
水崎氏にも何か苦手なことがあっても、映像研でそれをやらずに済んでいるため、何もないように見えているのかもしれません。

私はそういった関係をこの上なく美しいと思うし、
何か「生きづらさ」のある人間が幸せになれる道のひとつだと思うし、
まためったにない稀有な出会いだとも思う。
でも信じていたいから、私にとってこれは「崇拝」の対象である「神話」なんです。


苦手分野を補う、そして、得意分野を尊重し合い、ひとつの目標を共有する。

偏りがあって苦手なことがある人間でも、誰かと「共生関係」を持って「仲間」になれば、何かを成し遂げられる。

浅草氏一人でも、水崎氏一人でも、金森氏一人でも、「アニメを作る」「部として成立させ、お金にして、認められる」ことはおそらく不可能ですが、
3人でならできる。

"最強の世界"を描くこともまた。

そういった物語だと私は解釈しています。



以上です。思う存分ただ語っただけの文章ですが、
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


漫画「映像研には手を出すな!」
ここで3話まで試し読みできるそうなので、気になった方はぜひ。
https://bigcomicbros.net/comic/eizoken/

単行本は3巻まで発売中、4巻は5月発売だそう。
1巻→ https://www.amazon.co.jp/dp/B01N11SMHQ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?