映画「ウォッチメン」の感想を書き殴ります

このままだと気が狂うから、見た直後深夜3時の勢いを冷まさないまま書きます。乱文になります。すみません。

あらすじとか書かないけどおそらくガンガンにネタバレを含みます。


あれの一般的な感想がどんなもんかとかわかりませんが、
あれ、オジマンディアスに共感する人、ロールシャッハに共感する人、コメディアンに共感する人、それぞれいると思うんですよ。
もしかしたらDr.マンハッタンに共感する人もいるかもしれない。

私はロールシャッハに共感するし、ロールシャッハの言うこととやることを「正しい」「筋が通っている」として信じることでしかきっとこの先が生きていけないんですよ。


要するに超絶ざっくり言えば、この世は不条理で、人類は愚かで、
犯罪は起こり続ける、殺人は起こり続ける、戦争は起こり続ける。
全人類がまるっきり幸福になる方法なんて存在しない。
この世は不条理で、なにもかも道理の通りには進んでいかない。
ということを私たちは知ってるんですよね。知らない人もいるかもしれないけど。
いつ頃どうやって知ったのか忘れたけど私は知っているつもりでいます。

でもそれでもそれを知ってしまった上でも、
意味のない人生をそれぞれ何か道筋を立てて、自分なりの意味を、道理を見出して、進んでいかないといけないんですよね。
途中で諦めちゃう人もいっぱいいるし、私はそれも仕方ないと割と思っているんですけど、私はそれでも生きていこうという気持ちでいます。

で、道理の通らない世界で道理を通そうとすると絶対気が狂うんですよ。
「このままだと気が狂うからなんとかして悟りを開かないと」って毎晩考えて泣いてた中学時代を思い出しましたこの映画で。
正気を保って日々を生きていくためには、
何かを捨てないといけない。例えば他人の命だったり、
自分の道理を通すために他人の道理を否定していかないといけない。

その「それぞれが生きていくための道理のぶつかり合い」の物語だなと、
映画「ウォッチメン」はそういう物語なのかなと思ったんですよね。


不条理と対面し、ある意味で諦め、自らを「20世紀のパロディ」とし自らが不条理な存在となること、全てを「ジョーク」に帰すことにしたコメディアン。

不条理を前に「最適解」を論理的に編み出し、平和のために「征服」を目指し、数十億の人類を救うため数百億を犠牲にすることを選んだオジマンディアス。

不条理を前にしても絶対に受け入れず、自分の信じる「真実」と「正義」を貫き、妥協を許さず、貫き通すためには神にも逆らうロールシャッハ。

不条理を完全に理解し、また自分は不条理から外れることができてしまったため、一度は人類を見捨てようとしたDr.マンハッタン。

不条理を前にしてもそれに向き合わず、目の前の性欲とかで「終わりなどない心配」からしばしば目をそらして気を晴らしながら、
自分の人生と、自分にとって大切な人の幸せのみを願う、というダニエルとローリーの姿勢も、
ある意味「道理を持たない」という道理なのかもしれない。


私はダニエルとローリーの姿勢を非難しないし、
実際大量虐殺も神に逆らうこともする覚悟のないただの人間として、最終的にとっている態度は彼らと同じだし、
超人でもスーパーヒーローでもない我々にできることは結局それしかないのだと思う。

ただ自分はそういう姿勢に甘んじる中でも何かしら、自分の中だけで通っている「道理」を見出して持っておかないと立っていられなくて、
その自分なりの道理の構造はたぶんロールシャッハの姿勢に一番近いのだろうと思った。
不遇な境遇の中から生まれた哲学にしか共感できないのも貧しいと思うけど、私はもうそういう育ち方しかできなかったし、
貧しいなりに正しくあろうとして導き出した答えが、他の誰かを導いたり人の命を救ったりもすると信じているので、私はたぶん一生このままだし、
生きるために、この道理を貫くためなら人の道理を否定することも辞さないと思う。直接対決するかは別としてですけど。

で、私にとってのそういう譲れない道理が、
他の誰かにとってのオジマンディアス的なものだったり、コメディアン的なものだったり、Dr.マンハッタン的なものだったりするとも思う。
「許しもしないが、非難もしない、だが理解する。」


ただやっぱり、非難はしないが、理解もできないのが、
(ローリーは単なるヒロインというか「神と人類の橋渡し(のための生贄)」的な役割であるとして、)ダニエルの態度で、
こいつ場面場面、困っている人が見えたら助ける、虐殺は止めに行く、大事な友人が殺されたら(それが本人が道理を通すために望んだことだとしても)泣き叫ぶ、結果的に問題を解決したことを認めはするが理解は示さない、
こいつマジでなんなんですか!?何も考えてないのか!?

でも本当に何も考えていないのかもしれない。
この世は不条理だということ自体認識していないかもしれない。
私はオジマンディアス的な独裁者、コメディアン的な道化、Dr.マンハッタン的な聖人、よりもこういう「何も考えてない人」が一番怖い。
でもなんというか、理解できないから怖いだけで、非難はできない。

で、なんでそんな意味のない主張のないつまんねー登場人物がこの物語にいるのかって、
本当に勝手な想像だけどこの世のほとんどの人からしたらダニエルが一番共感できるキャラクターなのかもしれない。
誰にとっても共感できるキャラクターが1人もいないと、ただの狂人の殴り合いにしか見えない、物語というエンターテイメントとして成立しないから、
ってことなのかもしれない。マジで勝手な考察なんですけど。


つまりその私にとって一番怖い「何も考えてない人」がこの世のほとんどってことで、いやそれもある程度知っていたことだけど、それ含めてきっとこの世の不条理だけど、
そんなもんもう誰が何やったってたぶんいつか世界滅ぶし、
「例え世界が滅びようと妥協はしない」と言い切ってしまうロールシャッハのことしかやっぱり私は信じられないです。おわり。


という深まったことをガーッと考えてしまう力のある、
なんというかそれこそ妥協のない、全力でショッキングなものを見せるぞという意思を感じる映画で、
ところどころ演出的に「…?」みたいな場面はあったけど良い映画だなと思いました。すごく面白かったです。

オジマンディアスに殴られて床に転がるロールシャッハが妙にかわいくて好き。


あとめっちゃ余談ですが、私はそういう「共感できる、人生において柱にできる象徴的人物」としてフィンセント・ファン・ゴッホがいるんですけど、
「赤毛の鷲鼻の痩せこけた白人」って何か「病的精神を背負うもの」としてシンボル性があったりするんですかね…
「背負ってる赤毛の白人」の情報があったらぜひ教えてください。

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