朗読劇「少年探偵団〜化人幻戯〜」を観劇した

今回は、江戸川乱歩著作の朗読劇第2弾「少年探偵団」を観劇して参りました。
第1弾は、「怪人二十面相」という作品でした。

観劇の感想を深掘りする前に、
「2月の朗読劇行っててよかった!!!!!!!!!!!!」というのが、今回全体通して感じたことである、
というのを記しておきます。

土屋李央さんが出演される朗読劇の観劇は、

昨年11月の「カラフル」
12月の「世界から猫が消えたなら」
今年2月の「怪人二十面相」
3月の「美術室に置き去りにされた天使」
4月の「春とみどり」
5月の「若きウェルテルの悩み」
8月の「いつか、眠りにつく日」

に続き、8回目でした。(結構観てるな?!)

朗読劇は、1人一役ではないことが多い、というところが本当に注目ポイント、
生のお芝居が観られるというのが、現場へ足を運ぶ理由
となっていて、
特に、土屋さんのお芝居は、【全役ちゃんと目の前に具現化している】ところがとても魅力的なので、私は可能な限り足を運んで観劇しようと心に誓っています。

年齢観やそのキャラクターの特徴など、細かいところまでお芝居に違いがある、
かつ、それをノータイムで切り替えられる、というところが、お芝居に惹き込まれるポイントだと思います。

あまりにも多彩すぎる。

「カラフル」という劇を観てから、「多彩」という言葉をお芝居に使うようになりましたが、
本当にその言葉の通り。
いろいろな役をいろいろな色を出してお芝居をされているので、「多彩」という言葉がしっくりきます。

2月の「怪人二十面相」では、観劇史上初の「少年キャラ」の役を演じる、ということで、
土屋さんのかっこいい、凛々しい声は番組のコーナー等で聴いたことはあったものの、
お芝居、となるとどのような感じになるのだろう、ととても楽しみにしていました。

結果的に、「こ、小林くんだ!!!!!!!」という感想に落ち着くのですが、
その時はまだ、女性キャラとどの部分を変えて、少年らしさを現しているのか、捉えきれていませんでした。

それを捉えられたのが今回の「少年探偵団」です。
ここでやっと先日の世界線に戻ってくるのですが、話の流れのまま、「少年キャラを如何にして表現しているのか」というところの感想を記していきます。

大前提、土屋さんの声の高低の幅が広い、というところで、少年キャラになった時の声の低さとかは感じやすい部分だと思います。

しかし、まだ演じ分けのポイントは、あるように感じました。
それは、【音の切り方】(文末の切り方)なのでは?と推測します。

少年役の時、セリフ最後の言葉をスパンッと音を切って言っているように聴こえたのが今回の公演でした。
凛々しい声質に語尾の区切れの良さが合わさることで、まさに【少年】を演じきっていらしたのが、本当に役はの入り込み方が尋常でないなと感じました。

今回は少年の中でも演じ分けがありました。
・2月怪人二十面相時点での小林くん
・今回の世界線の小林くん
・ポケット小僧
の3人でしょうか。

・2月時点での小林くん
これは主に回想シーンで出てきます。
今回の時空では、この小林くんが青年となり、戦争等大変な時期を経て、庄司武彦となっております。
2月時点の小林くんは、本当に少年探偵団のリーダーで推理が大好き、みんなを守るために全力で事件に立ち向かう、そんなカッコいい、凛々しいキャラクターです。
2月の朗読劇を現地で観た身からすると、
違うキャラの演じ分けを一つのお芝居でするのもその時点ですごいけど、
「2月の1回きりのキャラをまた呼び戻してお芝居するの、すごすぎません!???」になったのです。
アニメゲームと違って、演じてる回数が少ない中で、あの小林芳雄少年、が目の前に現れて、本当に回想シーンを垣間見ているようでした。
それも、今回の時空での小林芳雄少年も演じているので、そこの演じ分けもちゃんとあって、
2月の公演と今回の公演、行けてよかったぁぁぁ、と感じました。
よりお芝居の違いとか、キャラクターの違いを感じました。

・今回の世界線の小林くん
この小林くんは、庄司に対してかなり嫌悪感を持っている、という印象をお芝居からひしひしと感じました。
かの有名な少年探偵団のリーダー、自分の前の小林芳雄。
そんな彼らのヒーローだったはずの人が、変わってしまった。
ましてや秘書として入った家の婦人に惹かれている。(とはいえそれほど由美子に魔性性があったというのも事実)
みんなが憧れた小林芳雄はどこへ行ったのだろう。
そういう嫌悪感というか、失望感というか、ある種呆れのような雰囲気を感じるお芝居でした。
かつての小林少年と比べると、かなり落ち着いている印象もあり、ここでの演じ分けもはっきり感じられました。

・ポケット小僧
きました!!!!!!!!!すごい大好きなキャラです。
いきなり登場してきた彼は、12歳の少年でした。
いい感じにフラフラしてそうな、短パン小僧!!!いい意味で子どもっぽい!
でもきちんと任務をこなす、そんなキャラクターだったと思います。
土屋さんの、お芝居のテンポや声質で、本当にこの少年のキャラクター性が体現されていました。
また、このシビアな話の流れで出てきた、雰囲気としては陽気な少年(境遇は全然明るくないけど)だったので、緩急にもインパクトにもつながり、とても好きなシーンでした。
鼻やほっぺたに絆創膏をつけているような、「へへっ」って言っていそうな、そんな少年像が容易に想像でき、雰囲気の演じ分けを目の当たりにしました。
声質は、「〜ですぜぃ」って言っている感じです。言語化難しいです。
伝わってください。江戸っ子みたいな?

と言ったところで、少年役についてはこのような形で一旦感想がまとまっております。

今あるパッと出力できる部分は、上記に出力したので、ここからは、台本とメモ・記憶を元に感想を記していきたいと思います。

・女給とマユミちゃん
まず最初は、この女の子二人について。
年齢の近い女の子二人。しかし、雰囲気や性格は全然違う。
この二人のお芝居の演じ分けも、とても印象的でした。
台本p28で女給が登場します。歳は16,17歳くらいの女の子、というところで、登場シーンから、「この時代の女の子って感じ」という感想を持ちました。
現代の16歳、17歳の女の子よりは大人びていて、話し方も「~だったわ」というような、おしとやかなものでした。
やはり、台本の言葉だけでない、時代の雰囲気等が浮かび上がってきて、ものすごく女給の女の子のキャラクター像が感じられました。

マユミちゃんは、台本p43で登場します。
マユミちゃんは14歳?かな、でして、女給とはまた打って変わり、THE年頃の女の子!でした。
簡単な言葉で表現してしまうのなら「ツン」の部分が遺憾なく発揮されていたキャラクターでした。この点では、第2の小林少年と同じような感情だったのかもしれません。
台本p55にもあるように、庄司と名乗る第1の小林君は、少年探偵団のみんなの憧れなのです。マユミもその一人で、今の小林君に飽き飽きしながらも、心の中ではちゃんと小林君に憧れがあり、戻ってほしいという気持ちがある。
という側面がありながら、
「あら、ごめんなさい」というセリフには、なんの悪びれもない、「フンっ」という効果音が付きそうな、シビアなストーリーに、ポップさとまではいかないけれど、一瞬緩むような、緩急がつくシーンだったと感じました。
それくらい、マユミちゃんのキャラクターが、ちゃんとその場の感情に基づいて動いているという、14歳等身大の少女を感じることが出来ました。
それはそうと、マユミちゃんのことを私は、名前として初見では無かったのですが、これがまたどこで出会ったのか覚えていなくて。
少年探偵団の小説最初を読んだときだったのかもしれないので、マユミちゃんのキャラクター像を深く知るためにも、引き続き作品を読んでいきたいと感じました。

・由美子と文代
この物語で一番の重要人物となった由美子。そして明智探偵の妻文代。

まだ私自身、明智文代が明智探偵と結婚する前のお話が描かれている「魔術師」を読んでいないので、前回の朗読劇共に文代の発する言葉の意味を深く考察することが出来ていないのが現実です。
正直早く読みたい。江戸川乱歩が人生で必須科目になるなんて、図書館で「え、なんこれ」っていって少年探偵団シリーズを1作目で断念した小学生の私は思っても見なかった。すごい。
少し触れた感じ、小学生向けの作品はひらがなが多く、少し読みにくい印象をこの年齢になると感じるものですね。逆に昔あんなに眠くなっていた漢字ばかりの本、化人幻戯なんかは今となっては読みやすい本になりました。
こういう点では大人になって良かったなと思います。

というのは置いておきましょう。

文代さんについて、
実際には殺されてしまっていて、明智とのシーンも実際にいたわけでは無かったのでは?という解釈が多くあります。
ですが、ここまで落ち着いた大人の女性のお芝居を観て、「世界から猫が消えたなら」の朗読劇が頭をよぎります。
衰弱した、弱ったようなこの年代の女性役のお芝居、あまりにもリアルすぎて飲み込まれる。という感想が大きかったです。
上記の別の朗読劇ではお母さん役としてのお芝居を観ていたのでこの年代の女性のお芝居の、落ち着きとかそういうお芝居がとても丁寧で、繊細なものだと改めて感じました。
あまりにも丁寧表現過ぎる、土屋さんのお芝居。

台本p16「やっと戦争が終わったんですもの。これからは男も女も、みんな平等な時代になるわ。」というセリフ。
この前には、生き物は平等とか虫も人間と同じ、とかそういう話しをしています。でもこの次の瞬間、カマキリに最大の嫌悪感を見せる由美子。
最後のシーンでは、カマキリは「メスがオスを飲み込んでしまう」という描写があります。
由美子が平等と謳う世界では、由美子が可愛いと思ったものに対する殺しの概念があったりカマキリの上記のような概念があるわけです。
平等平和な世界になったはずなのに、自分と同じことをしているカマキリへの「同族嫌悪」という表現を見たとき、「ああぁなるほどな」と感じました。
自分と共感できる人と仲良くなることはある事象ですが、こういった独特な感性の部分が何かと似ている、同じとわかったとき、嫌というほど鏡写しを見ている感覚になって嫌になる感情は、確かにあるなと思いました。
由美子が自分のやったことを「悪」と感じていたかはわからないし、何なら感じていないとも思うのですが、
だとしても、自分と同じことをやってるカマキリを見たら、まるで自分を客観視している気分になって、気持ち悪くなる、というか自分がカマキリなのではないか、とある種同化するような感覚になりそうなのではとも思います。
なので、このストーリーで現れるこの表現は、今回のは生々しいので内容は置いておいて、人間誰でも察知しうる感覚なのかなと。
この「嫌悪」を表現する土屋さんのお芝居は、かなり印象に残りました。
驚く演技、拒絶する演技、心からの叫びだったように思えます。
息を吸う音だったり、悲鳴だったり叫び声だったり、その次に出る震え声との緩急にとても圧倒されました。
「あ、本当に拒絶してる」というのが一目でわかる。ただ大声を出しているわけではないというのが当たり前のように心臓に入ってくる。

台本p71あたりから始まる、由美子との防空壕でのシーンについて。
まずは、お芝居の表情とストーリー解釈について。

p72「愛には、ふたつ種類があるの。ひとつは肉体的で<一瞬>のもの。もうひとつは精神的で、<永遠>のもの。<一瞬>が<永遠>を破壊することが出来ない。」

この言葉ですが、ある歌の詞を見返した時に、「なるほどな」と感じました。
家入レオさん「恍惚」という楽曲です。
私は、この由美子のお芝居をする土屋さんの表情をみて、こう、うっとりというか、明智に向ける目だったり態度だったりが、本当にわかるお芝居だなと感じていました。
それをその時はなんとなく、というか覚えた言葉を使いたかったというのもあるのですが、「恍惚」な表情、と表現しました。
それは、のちに歌詞を見ることで、「あってたのでは?」というところにたどり着きます。

気になった方には見ていただきたいのですが、世界がスローモーションという内容の歌詞があります。
恋、愛には、世界をスローモーションにする魔性の力がある。その関係が終わるまでは永遠だが、関係が終われば一瞬の事だったと後に思い返すという理解でしょうか。
恍惚という言葉は、そういう、愛に捧げている間の自分の周りに流れる時間のスローモーションさにある、心を奪われた時の感情を表現するものなのでは?!と思いました。
本来恍惚な感情は一瞬で終わってしまうが、永遠に続いて欲しい、そういう時間であり感情である。
その点では、このお話の表現がしっくりくるわけです。
狂乱シーンを切り抜けた、明智と対面した由美子のお芝居が、まさにこの「恍惚」という表現に詰まっていて、表情にも表れていて、由美子という人物に飲み込まれました。

最後に狂乱した由美子について語っていきます。
台本p72「~見せたわよねェ?」のところから、私は顎を開けたまま、目の球を丸くして、土屋さんのお芝居の緩急と豹変に驚きつつ、今まで観たことのなかったタイプのお芝居で、新鮮な気持ちでした。
正直このお芝居、もっと見たい。
表現が上手くできないんだけど、土屋さんのこの手のお芝居、初手の印象は、「スピード感がため気味、いい意味で煽られる」でした。
本当に上手。お芝居が多彩過ぎる。
「嬉しいんでしょう?」の部分もすごかったですよね。表情までもが刺さる。いい意味で犯人役過ぎるお芝居で、すごい聴いていて心地よかったです。
「大勢、殺した?」の部分に関しては、声の絞り方と、にやりという表情が絶妙で、目が落ちるくらい見開いてみてしまいました。

「嘘おっしゃい!」は、声を絞ったところから、最高潮に声を出すお芝居だったので、そこもまた緩急の付き方が絶妙で、好きでした。
欲しい答えだけお前はくれればいいんだ、というのがひしひし伝わってくるシーンでした。(お前=庄司)
「天国へ行って、~謝りたい?」の部分の表情もやはりすごい絶妙でした。
そのあとに続く「聞こえなーい」の部分も心臓がえぐれました。
目のみ開き方もそうですし、顔の角度とかも、狂気が満ちていたと思います。
こういう表現を行ったり来たり間髪挟まず引き出せるのが、多彩すぎて、この部分、最後のラストスパート!と言わんばかりに土屋さんのお芝居を目の当たりにしました。

間髪挟まずに、といえば、最後には由美子から小林少年に切り替えるシーンもあります。
p77「もっと大きな声でッ!」と由美子が狂乱した後、庄司のセリフを挟んだ次には、「死んではいけません!!」と小林少年が叫んでいます。
このセリフを1人で演じられているのが、すごすぎて。
少年と女性の声をノータイムで切り替えられるのが、すごくて。
役に入り込んで、次の役に入り込んで。
間髪挟まずに役が入れ替わる、ちゃんと一人一人のキャラクターを演じられているということを改めて実感することが出来ました。

本当に土屋さんのお芝居が大好きだと実感しました。
ずっと好きだけれど、この物語通して、観たこと無かったお芝居の幅を目の当たりにして、もっともっと好きになりました。
早く次の朗読劇が観たいです。
X軸とY軸で感じていた土屋さんのお芝居が、Z軸という奥行き、雰囲気の表現の凄さを自分の中できちんと感じられたことがとても嬉しかったです。
土屋さんのお芝居の良さを感じる指標が増えたという意味でも、2.9月のこの作品を観られて良かったなと思います。

と言ったところで、私が口を大にして語りたかった、土屋さんのお芝居のお話についてはここで終わりにいたします。

怪人二十面相との繋がりもいくつか見つけました。
が、これはまた原作を読んだ後に、内容は内容でnoteにまとめたいと思います。いつになるのやら。気長に書こうと思います。

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