日記 3.14

昨日散々泣いたからか、最終日当日はなんだか落ち着いてた。
最後の日は笑って、なんかそう思っていた。
やれること、やりたかったこと、やってあげたかったこと全部やろうと思った。
お弁当には、丁寧にノリで短くメッセージを書いた。母からの気持ちだった。

バスは安定の先生をお待たせしちゃったけど、声をかけて写真を一緒にとってもらった。
先生が思わず嬉しいっ言って下さって、こちらまで嬉しかった。
そして今までの感謝を込めて、今日も1日よろしくお願いしますと伝えた。
バスを力一杯見送った。
わたしの両手は、こうして息子に精一杯手を振るためにあったのかもしれないとさえ思えた。
最後は、走った。
そしてA地点で止まって、バスを待った。
息子に以前、恥ずかしいからママ来なくていいよーと言われた場所。
2回も手を振るママなんてきっといないと思う。でも最後はママがやりたかったんだ。
信号待ちでバスが顔を出し、わたしを発見した運転手さんがビックリして、後方に座ってた息子と先生になにかを伝えているのが見えた。
息子と先生に、もう一度大きく手を振った。

3年間、こんな風に息子を見送ってきた。
ママと離れたくなくてバスの前でぐずってた日、
乗る直前でトイレに行きたくなって先生に謝ってバスを見送った日、
バスが来るまでお隣さんのプランタに来たアゲハの卵を一緒に観察した日、
じーじも一緒に3人で待った日、
ママの気まぐれで朝のお散歩をしてからバスを迎えた日、
帰りは泣きながらバスから降りて来た日、
コマ大会のメダルをかけてニコニコで降りて来た日etc. 数えきれないほどの、息子との日常の風景があった。
お姉ちゃんから数えると、6年間。
それが明日から無くなることがまだ、信じられない。
自分が思ってる以上に大切だった部分に、ぽっかり穴が空いてしまうような気がして、まだ直視できない自分がいるのが分かる。
大丈夫だよね、きっとなるようになるよね。
またゆっくり考えよう。
わたしも今日という日を大切に過ごそう。

そして、またいつもの場所に立って息子を出迎えよう。

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