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生い立ちパズル⑥ piece:精密検査


わたしは、エンパス体質で HSS型HSPという性質、憑依体質etc…、きっと他にも持ってるんだろうけど 今はどうでもいいです。
知ると 「へぇ」と思うけど 自分のことは 自分が一番よく知っているし、まだまだ未知数。死ぬまで伸び代しかないと思っています。

それに 子供時代と 現在と 少しずつ その性質も変化していて、とてもうまく付き合えるようになった気がします。
むしろ、うまく「使えてる」。

だけど こうして 何かに当てはまるところがあると 人によっては、安心材料にもなるのかも知れない。

わたしは どうしても 『当てはまる』ことを苦手とし、打ち破りたくなる性質も持ち併せていたということなんだろうな。

当時は そういう精神的なものとか 性質的なものに 名前がなかったので わたしのことを 周りの大人も どう扱っていいかわからなかったんだ、と思います。

 ここまでの記事で わたしが祖父母の家に預けられた後の、父の話を書いてませんが、父は 金銭面で 助けてくれていました。
祖母に毎月 まとまったお金を持ってきていたようです。
それを持ってきていたのは いつの間にかいた、後の義母になる人ですが。

時に 父の家に呼ばれて 遊びに行くこともあったけど 相変わらず 父にも慣れなくて 毎回 わたしは緊張していました。
それに、その頃は 義母となる女性もいたので 遊びに行ってもカチンコチンです。

その話は また順を追って書きたいです。


まず、その体調のことで、誰がどう話して そうなったのかはわからないけど わたしは 小学四年生の頃だったか、2、3週間ほどの精密検査入院をします。
脳波なども調べられました。たくさんの線を頭につけられて 怖かった印象あります。
いろんな検査を受けました。
 広い特別個室で またひとりです。

同じ病棟に入院していた若いお兄さんが 読んだ後の少年漫画を持ってきてくれたりして、暇な時間を潰してました。時々 話し相手にもなってくれて可愛がってくれました。


それで、です。
この時 とても寂しい経験をします。
よく学校で クラスの子が入院したりすると、クラスメイトが寄せ書きや手紙を書いて送る、という光景がありますよね。

もともと、しょっ中 学校を休んではいましたが、長い入院だし、少し期待してたんですね、わたし。そういうものが届くことを。

ところが、後で知るのですが 祖母はなんでも隠したがる人だったので わたしが入院していたことも 学校には伝えてなかったようなのです。

もちろん、クラスメイトからの憧れの手紙や寄せ書きは届きません。

今日は届くかな、一日が終わりかけると 明日かな、と期待したり。
日が過ぎるほどに、なんで 先生も友達も誰もお見舞いに来ないんだろう…と 不安な思いになったり。

学校に伝えてないことなど 知らなかったので わたしは みんなから見えてないんだ、とか思うようにもなりました。

結構 これはこれで、寂しい経験になったし、更なる孤独感を抱くようになります。

こうして振り返ると、
抱いた孤独も 子供の頃だと 周りの大人のそれぞれの行動言動により 知らないところで 子供なりの思いの中 多少の希望を持ったり、願望を抱いたり、表に出す機会もなく 絶望になっていったりするんですね。
誰が悪いわけでもない。
そういう流れの中にいただけなんです。


人見知りで 大人しめな印象だったはずなのに、不思議と いろんな友達と遊んだ記憶があります。
純粋に単純に好奇心旺盛で あちこち遊びに顔出してます。だけど 鬼ごっこなどには 参加しない。何故か 鬼ごっこは怖かったんです。
だけど ドッジボールは大の得意で それは毎回 参加している。

 体育、図工、音楽、国語、理科は 好きでした。算数や社会は やはり休みが多いので ついていけなくなるんです。
今、大人になって 数学や物理に興味あります。頭がついていかないですけど。

生まれ持った性質を活かせるか、殺してしまうか、子供にとって 育つ環境は大きく左右される原因になる、と思います。

でも、いくらでも また 望めば 良くない環境も いい教材として、踏み台にすることもできます。
 生きてる間 諦めるのはもったいないです。得ることしかないです。


そして、精密検査の結果は『異常なし』でした。





                                                  𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭

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