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生い立ちパズル 特別編:義父

祖母の葬儀が終わり、
祖父のことが気がかりではあったけど 子供たちのもとに帰ったその夜のことです。

深夜でした。
家の電話が鳴ります。

義父でした。
また 母と喧嘩をして、母は 家を飛び出したようです。


 義父とは あれから 特に 距離感は変わらず、わたしは 結婚して 顔を合わす機会も減りました。
(もともと そんなに会うことはなかったんですけど)

子供を連れて 遊びに行った際に 会っても 表面的には 何もなかったように付き合っていました。


 義父と母は 大きな一軒家を建てています。
敷地内に 義父の両親も住んでいました。
母は その両親たちと折り合いがよくなかったようです。

それよりも わたしが感じたことは
義父は いくつになっても 独り立ちできない魂のままだ、ということでした。

義父の両親もよくない。

きっと ちゃんと見ていない。


それを 明らかに確信したのが この夜の出来事でした。

義父は お酒を大量飲んでいて
電話の向こうで とても荒れてる様子。
母を隠してるだろう、と わたしに言います。
隠してるわけない、と言ったところで わかってくれるはずもありません。

可愛げのない駄々っ子のような人です。

 義父の家とわたしの家は
 離れています。
車で 2時間ほど かかるところでした。


「みぞが隠しとる!ぜったい隠してる!」

「もう  夜中だよ? いい加減にしてくれない?」

と 電話切ろうと思ったら
今から 祖父の家に行くと言うのです。

は? 非常識過ぎない?

「おじいちゃんのところ行っても 母はいないよ。」
と言っても 言うこと聞くような義父ではありません。


祖父が心配でした。


慌てて 車に乗り込んで
深夜 車を走らせ 祖父母の家に行きました。
1時間かけて 着くと
偶然にも ちょうど 義父も着いたところで 駐車場で 鉢合わせしました。

驚いたのは 酔っぱらいの義父を連れてきたのが 義父の母親だったことです。
(その頃 義父の父親は 亡くなっていました)

え、なんで?
普通 止めるでしょ?

 思ったまま 口に出ていました。
本当に驚いたんです。


 義父の、両親との関係性は 知らないけど 
なんだか すべて見えた気がします。


車を降りて
義父に 今日は帰ってくれないか、とお願いしてみたけど 酔っているせいもあるのか よくわかりませんが 母がいなくなったことに対して ずっと 怒鳴っています。


祖父もわたしも 本当に知らないのに。



母も、毎回 こうなることがわかっていて どうして 何度も何度も繰り返すのでしょう。
祖父やわたしに 来るのはわかっているのに。

だんだん腹が立ってきたわたしは
「わかった、じゃあ、わたしが行くから おっさんは静かにしていてほしい。おじいちゃん巻き込みたくないから。」
と 先に わたしが 祖父を呼びます。


祖父が出てきたので 何故ここにいるかを
説明しました。


義父と、 止めることもせず 後ろからついてくる義父の母親もいました。

夜中の1時過ぎています。
大声で 玄関前で 叫びます。


母を出せ、と。
居場所を教えろ、と。

 
どんなに 落ち着いて説明してもわかってくれず、ただただ叫ぶ義父。
何もせず 見ているだけの義父の母親。

そのうち 放っておくと 暴力も振るうかもしれない雰囲気です。

 近所にも 迷惑かけるし、
祖父と 警察呼ぼうか、という話になりました。


その前に 義父に 
「悪いけど 帰ってくれないし、話にもならないし、 言うこと聞いてくれないなら 警察呼ぶよ?」
と 話しました。


「おまえ 父親を警察に突き出すのか!」
と 義父は ますます、エスカレートです。


父親…。
だれが?です。

おとなしく、滅多に怒らない祖父も
「もう警察呼んでくれ」
と 言いました。


大きく 深いため息をついて
仕方がなく 深夜に 警察に電話しました。
すぐに来てくれました。

 二人の警察の方が 来てくださったけど
すぐには 止まりませんでした。
暫く なだめて 
義父の母親にも
連れて帰るように、と 話してくださって
ようやく 帰りました。



 暫くは また後戻りしてこないかと
心配だったので
 祖父といっしょにいました。

疲れました、本当に。


どうしたものかと 祖父と話したことを覚えています。


 たぶん その後、母から 電話をもらった気はするのですが そこらへんは 全く覚えていません。

自分のことになりますが、小さい子供が3人、
当時のわたしの旦那さんは 子育てにも何もかも非協力的でした。
本当に、いろんなことに 疲れ果てていましたが、まだ 怒りを原動力に動けるエネルギーが わたしにはありました。



そんなことがあっての翌日の夜です。

また 夜に電話が鳴ります。

義父です。

いつもの様子とは 少し違います。
聞くと、

また 母と喧嘩をして
母は いなくなっていました。
義父の子供たち3人も 母親も 誰も自分の話を聞いてくれない、と話しています。


… なんかおかしい。

「大丈夫?」
と聞くと

「みぞだけに繋がって みぞだけがいつも聞いてくれた…」

…。


「農薬飲んだ…。 もうすぐ死ぬ…。 もう………」
と言って 何も言わなくなりました。

そのまま ツーツー、と切れました。



胸が騒ぎます。


急いで その電話を切り、
遠い場所なので わたしが見に行っても 間に合わないと思い、119番に連絡をして
『自殺をした可能性があるので すぐに見回りに行ってもらえませんか。ここからじゃ間に合わないので。』 
と、お願いしました。

見回りをした後、連絡を下さるとのことで 連絡を待ち続けました。


午前3時頃だったと思います。
電話が鳴りました。
急いで 受話器を取ります。

救急隊員の方です。


「ご連絡があった通り、農薬を飲んでいました。今は 病院に搬送されています。」



重たく暗い闇のカーテンが
目の前に ガシャン、と 容赦なく下ろされた感じでした。
全身の力が入りません。

今は 息はあるけど 意識不明とのこと。



その後、何があったか よく覚えていないのですが
どう連絡取ったのか、母にも 誰かが知らせてくれたようです。
(親がいたので そこからかもしれません)

そして、どういう経緯で そうなったかは これも わからないけど わたしも 翌日 義父が運ばれた病院へ 母と向かっていました。

変わらず、意識はないようでした。
話によると、農薬を飲んでいるので 恐らく 助からないとのことでした。

わたしは義父には会いませんでした。


母がそう言ったわけでも
わたしが そう言ったわけでもないのですが、
会わずにいました。


その7日後、義父は亡くなりました。



義父の意識は戻らなかったと聞いているので、最期の声を聞いたのは わたしです。
今でも あの会話は 消えません。
普段 思い出すこともないけど
忘れることができません。


強く傷ついたかというと、
正直なところ わからないです。

よくわからないんです。


非常識なことをしたのは義父。
子供だったわたしに 散々 嫌がらせをしたのは義父。
義父に見かけが似た人を見るだけで 拒絶反応起こすくらいでした。

なのに、
わたしの もうひとつが 義父を
「悲しい人」
「寂しい人」
「抑えきれない溢れ出す駄々っ子のような感情で周りに迷惑かける人だけど たぶんそれを 自分も知っているのに どうすることもできずにいた人」
だと どこかで感じています。


優しくなくはないのに それができなくて、
それ以上に 人に愛されたい人だったのだろう、と思います。
愛を欲し過ぎている人。

足りなかったのだろうか。
それとも 過ぎていたのだろうか。
いろんなものが。


そして、
義父の葬式の日。

わたしは行かないつもりだったのですが
祖父も 体調が良くなくて
代わりに行ってくれないか、と
頼まれたので
祖父の代わりに 仕方なく、わたしが行くことにしました。

母と 弟ふたりと妹に 挨拶をし、
手伝いをしようとした時
義父の母親が来ました。

わたしの顔を見て
「謝りに来たん?」
と言います。
「謝りに来たんやろ?あんなことしたんやもんな」


何を言ってるのか…
言葉の意味がわからず、
ぼんやりしつつも

言葉の意味をなんとなく 理解しかけた後
え?と 振り返ったんです。

それを見て
母が言いました。
「我慢して。弟たちがおるから。」


めちゃくちゃ 悔しかったです。
泣きたくなりました。



わたしが 殺したかのように言うのは おかしいと思うんだけど…
そのきっかけになったのかもしれない、と思うと もう思考が停止です。
気づいていませんでした。

激しい悔しさと
小さい時から この世は わたしを何も救けてくれない、という この世の異常さに震えました。

恐怖じゃありません。

そんな世界をめくれずにいる自分にもです。

その頃は 主に
母に対しての強い恨みの方が 大きかったかもしれません。

母に 
「我慢して」
と言われたことが いちばん 頭に来たのです。
弟たちのことを気遣えるのに
わたしのことは 気遣えないのか、という
醜い感情もありました。


だけど そういう感情はもう、他人に向けるものではないことがわかりました。
いくら 親でも、関係ありません。


わたしは。

わたしは、
万が一、子供たちが この時のわたしのような立場になったなら
わたしは 必ず 守ります。


自分が変えていくんです。


こうして、
また 時の流れが大きく変わりました。


後で 母から 聞いたのですが
義父の遺書があったそうです。
詳しいことは知りませんが、
遺書の最後に 
『みぞには 本当ごめん』
と書かれていたそうです。


ゆっくり
何度も このことを考えました。
何年も何年も考えました。

義父を
許すとか許さないとかはよくわからないから 何にも言えないけど、 
魂を解放してあげたいと 心から思いました。

「おっさん、もういいよ。」
と それだけ 魂に送りました。


いろんな『苦しい』や『辛い』や『悲しい』が あります。
なかなか それらを
素直に 受け入れて 愛することは 難しかったけど
時間をかけて 愛せるようになりました。


こうしたことがあるからか
人間は 今も嫌いです。苦手です。
だけど 義父のように
いろいろと迷惑をかけられた人でも
義父というひとりの存在、魂は
嫌いになれません。

不器用に生きて
死んでいった魂を 抱きしめていきます。




 今回は長くなりました。
お付き合いくださってありがとうございました。






𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹













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