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「好きなこと」の見つけ方と「情熱」を持ち続ける方法


4月11日は創立記念日、FiNCも創業してから丸7年が経ちました。7周年という機会に合わせて、これまでの軌跡をたどりながら、タイトルの内容について触れていきたいと思います。

17歳からトレーナーとしてのキャリアをスタートし、10年間修行を積ませてもらった後にFiNCを創業しました。それから早7年。ここまでの日々は、ほんの一瞬のようにも、はたまた長く険しい道のりだったようにも思います。ただ、振り返ると本当に多くの記憶がよみがえってきます。これほど変化に満ちた7年は後にも先にも経験できないのではないかと思うほどです。それほど濃密な期間でした。

FiNCも最初はたった5坪の小さなインキュベーション施設の片隅でスタートしました。

創業当時を振り返ると、会社設立のために必要な銀行口座も作れなければ、クレジットカードすら作れない、社員の雇用契約書もなければ、就業規則や給料明細すらもない。当然のように請求書や見積書も諸々の契約書から封筒やFAXの送付状まで、何から何まで作成しなければいけませんでした。

狭いオフィスで休みもなくて、床で寝ている人を起こすところから1日が始まり、朝から晩まで休みなく働いてくれて…当時の平均年収は今の半分以下、それでも誰も愚痴をこぼさず、今はもう時代の流れもあって許されないでしょうが、皆がいつもいつも徹夜をしてくれていました。最初の1年は社員の給料日には僕が銀行に並んでひとり一人振り込んでいたのですが、気づけば振り込み手続きをする両手を自然と胸の前で重ねていました。

普通の企業だったら当たり前にあるものが当時の僕らには当たり前ではなくて。起業してからというもの、じれったくなるような非効率な仕事ばかりでしたし、「生産性」のかけらもありませんでした。多くの人の代償や支援を借りながら挑戦をさせてもらっている僕には休みなんて挟む余地はなく、朝も夜も週末も全て仕事に費やしました。会社も常に生死をさまよう経営環境だったからまさに皆が命がけで。

大きな企業との大きな仕事が内諾しても、しばらくすると帝⚪︎データバンクから連絡があって。同社の担当者と面談する度に内諾した仕事を失いました。何回、立ち消えになっただろう。。。
(まぁ確かに怪しい会社に見えたよなぁー。気持ちもわかる涙)

当時の僕らには想い以外のものは何もなくて、

・大きな信用を得るには大きな実績が必要で、
・大きな実績を上げるには大きな資金が必要で、
・大きな資金を得るには素晴らしいプロダクトが必要で、
・素晴らしいプロダクトを作るには素晴らしい仲間が必要で

急成長を求められるベンチャー・スタートアップにおける、大きなテーマやビジョンを掲げての起業は、それぞれが複雑に関係する目の前のパラドクスを短時間で越えていかなければいけない作業の連続だということを当時の僕はまだ理解できていませんでした。


人生を変えた出会い

物心ついてからの夢は体育の先生になることでした。ですが、その夢を母や学校の先生に伝えたことは一度もありません。理由は僕には家庭の事情から進学という道がなかったからです。現代には稀に見る貧乏な家庭で育ったのもあり、月2、3万程度の高校の学費なら働けば自分でも払えるけれど、大学となれば話しは変わって。奨学金を取ろうにも母は消費者金融で多額の借金を背負っていたので個人保証力もなく、身内を頼るにも、今は亡き、一度しか会ったことのない父は孤児院生まれで親族がいなくて、母もワケあって親戚がいない特殊な事情もあって誰も相談できる人がいませんでした。

そうした中で就職が既定路線なのですが、提示される仕事と言えば、スーパー、工場、力仕事系ばかり。全て尊い仕事ですが、当時の僕にはそう思えるほどの度量もなく、ただ悶々としていました。その中でたまたま出会ったのがトレーナーという仕事でした。「残りの在学期間で丁稚奉公で技術を磨けば、トレーナーとして働かせてあげられるかもしれない」スポーツやカラダを動かすことは好きだったし、唯一、得意と言えることだったからそれに賭けることに。

よくトレーナーになった理由を聞かれるのですが、上記の通り高尚なものは全くなくて、半ば消去法的になんとなくはじめたのがこの仕事でした。

このトレーナーという仕事との出会いが僕の人生のすべてを変えてくれました。

ですが、とにかく最初は仕事が辛かったです..僕の常識が乏しかったこともあり、人間関係に苦労しました。できないことがあまりに多すぎて、自分の存在価値を見出すことが難しくて。

最初は他の優秀なトレーナーの先輩達に技術面で勝てるところが何一つ見つかりませんでした。その中で自分にできることは何かを必死になって考えた結果、せめて僕は「お客様の悩みやお客様の成果にお客様以上に本気になろう」それだけは絶対にこだわろうと決めました。

いつしか必要とされ、褒められ、お客様の役に立っている感覚を得られるようになっていきました。

人に感謝されることが少なかった僕にとって、お客様からの涙ながらの「ありがとう」の言葉には毎度、心を大きく揺らされました。


起業のきっかけ

起業する3年前、大型のフィットネスクラブの支配人をしてた頃です。僕の至らなさによって働く場所を奪ってしまった多くの仲間。23名の従業員と、40名を超えるトレーナーやインストラクター達全員です。

※当時の仲間達の写真

今までの人生の中で、今でも最も辛かった日です。リストラを通達する仲間達の表情が絶望に変わっていく。想像以上に身を削られる思いでした。

少しでも悲しみを和らげたいと考え、社員や会員の方々の次の行き場所を確保するために競合会社を8社巡りました。取引先にはこちらから出向いて謝罪をしました。当時の僕の年齢が24歳だったというのもあってか、明らかに馬鹿にした嘲笑を浮かべる人も少なくありませんでした。

けれど、何よりの救いだったのが毎日クラブの受付に立っている中でお客様から寄せられる罵声がいつからか変化してきたことでした。

「あなたは本当に頑張ってくれた」
「あなたがあやまる必要なんてないんだよ、胸をはりなさい」
「本当に良いクラブだった。またいつか戻ってきてね」
「私達はみんなあなたを応援しているから」

※お客様から頂いた手紙の一部

それまでの人生において「出世したい」、「偉くなりたい」、「力を持ちたい」なんてと思ったことは一度もありません。けれど、自分が小さいままでは現実は変えられない、弱くて結果の出せないリーダーでは誰も救うことはできないのだということを悟りました。

詳しくは後述しますが、その後、本体の経営を担うことになりました。設立20年、従業員は100名余りの中堅企業。当時の僕には分不相応な役割と給料も得ていたし、会社には気の知れた仲間たちばかりでした。経営危機を皆で乗り越えた会社はとても居心地が良く、その成果を話題にしていただき、20代の半ばになる頃には、自分が身を置く業界で最も知られる人間の一人になっていました。全国から僕の元を訪ねてくれる人が増え、業界で影響力のある多くの経営者の先輩たちに可愛がってもらえるようになりました。この頃から僕なんかに期待を寄せてくれ、ヘルスケア・フィットネス業界の未来を託してくれる人が少しずつ増えていきました。

この頃は、昔は劣等感の塊だった自分へのコンプレックスも少なくなり、また有ろう事か3年前に自分の無力さゆえにリストラを宣告しなければいけなかった仲間や奪ってしまったお客様の居場所に対しての贖罪の意識が薄れていってる時でした。

そんな中で東日本大震災が起きました。

いても立ってもいられなくて、現地でNGOの活動に参加しました。まだ傷跡深い3月下旬の東北。その時期のパーキングエリアはガスマスクした自衛官がぞろぞろ。こちらは快適ガードさわやかマスク1枚(涙)。

現地に着くと至る所に家族が行方不明で涙する被災者の姿を目にしました。

僕には親戚がいなかったのもあり、物心ついてから人の死に直接触れることはありませんでした。ですが、現地の方に案内してもらった「閖上の丘」と呼ばれる町民の多くを津波がさらった丘の上に立ち、人の死を初めて近くに感じたことで人生は有限であることを理解しました。

悲しみにくれる被災者を横目に、何かをしてあげたくても、あまりに無力で何もできない自分。戻ってからも何かできることがないかと思い、インターネットでサイトを作って募金活動をしました。

必死で活動して集めたお金は300万円になりました。

そんな矢先に「孫さんが100億円の寄付」というニュースが流れました。

300万円と100億円。その差は1/3333。「金額の多寡ではない」と何人もの人に諭されながらも、初めて人としての器の差を定量で突きつけられた気がしたのです。

これらのきっかけは、3年前のあの日、 どうしても向き合いたくない目の前の現実を前に、それを受け入れざるを得ない無力な自分に強い嫌悪感を覚えた当時を思い出すには十分でした。

ぬるま湯に浸かって安寧とした日々を送っていた自分にスイッチが入り、そこから1年後の2012年4月11日、僕が生まれてからちょうど10000日目の日に起業を決意しました。

好きなこと/志の見つけ方

腰や膝を痛めて日常生活を送るのが困難な方、深すぎる体型へのコンプレックスによって自分のココロにまで影響が及んでしまってる方、東日本大震災によって悲しみにくれる被災者の方々。

脳裏に焼きついて離れないそうした境遇に置かれている方たちと一生懸命向き合っていたら課題が見えてきました。考えて、考えて、考え続けるにつれ、課題に対する仮説の解像度が高まって行きました。ヘルスケアについては17歳から数えて10年間身を置く中で、お客様が認識している課題はもちろん、お客様が認識できていないけれど、そこに明確に存在する課題は見えている自負はありました。

この仕事に出会うまでの僕は、本当に何も持っていない空っぽの人間でした。人に嫉妬したり、非行に走ったり、時に人を傷つけたり、真っ当な生き方とは程遠いものでした。最初から志があったわけでも、この仕事が好きだからはじめたわけでもありません。

ただがむしゃらに目の前の仕事やお客様に向き合っていたら得意になって、得意になると必要とされることが増えて、必要とされるようになったらどんどん好きになって、いつしか一目置かれる存在になり、自分の身の丈以上の評価と期待が寄せられるようになっていきました。

僕なんかのことを社会の課題を解決する存在だと、何かを成し遂げるであろう人物だと信じてくれた人の期待に応えたいという想いが次第に強くなっていきました。

いつしかそれが好きなことを超えて、志や使命に変わっていきました。

大人はよく、若者に下記のようなアドバイスをします。

「目標を持ちなさい」
「ビジョンを持ちなさい」
「好きなことを仕事にしなさい」

少なくとも僕がこれまで出会った多くの人達は、目標や夢、好きなことを持っていないことに悩み苦しんでいる印象があります。

拙い経験ではありますが、最初からそれらを明確に持っている人を僕は知りません。僕が思うのは、

目の前のことに全力で取り組んだご褒美として、本当に心から好きだと思えるものが見つかり、結果として人生をかけるだけの価値あるものを見つけられるのではないかと思っています。


「重圧と葛藤」

想いが高まるにつれて、課題に向き合う本気度や成長速度が増し、それによってさらに多くの方が期待を寄せてくれるようになります。支えてくれる人がさらに増えていきます。

弱かった僕は、日増しに高まる期待の総量に比例にして、少しずつ自分の感情を優先して生きるのが難しくなっていきました。ココロが休まる時は少なくなっていったのです。

仕事以外で自分のココロを落ち着かせるのに必要なのは、会社が掲げるゴールや会社の成長に繋がる新しい知識や知恵を得て、成長する自分を感じられる時間を作ること。具体的にはスマートフォンや人、著書から得る情報に触れている時。一時は常に強迫観念のようなものに駆られていて、自分の成長以外のことに時間を使っていると、ものすごい罪悪感に苛まれ続ける期間もありました。

掲げるVISIONや志、これまで語ってきたこともすべて本心です。不条理に苦しみ喘ぐ人を救いたいし、社会の課題を解決したい。心からそう思っています。

けれど、ふと家で一人になると、

「なぜ一生懸命おれは働いてるのだろう」
「ここまでの歩みは本当に自分の意志なのか?」
「誰かの期待に応えるため?」
「そもそもおれはそんな器じゃない」
「なんでこんな人生になったんだろう」

そんな弱気な自分が顔を出すことがありました。弱い自分を情けなく思って追い出そうと一生懸命になるもう一人の強い自分。

このあたりから、「自分」と「FiNCのCEO」という二つの人格を客観的に認識できるようになりました。

失われていく自分が自分であるという感覚。自分はいったい誰の人生を生きてるのだろうかと考えることもありました。


情熱を持ち続けるために

昨年の今頃、ずっとお会いしたいと思っていた塩沼亮潤大阿闍と初めてゆっくり話す機会に恵まれました。僕が消化できずにいる葛藤の渦中にいる時にFiNCの社外取締役で恩師の御立尚資さんがセットしてくれました。

塩沼亮潤さんは、険しさを極める山中を1日48km、1000日間歩き続ける「千日回峰行」や 断食、 断水、不眠、不臥、これを9日間、堂にこもりお経を唱え続ける「四無行」といった1300年に2人しか成し遂げていない命がけの苦行を満行した方です。

僕がお会いしたかった最大の理由は、千日もの間、過酷な道を往復し続ける日々における心境や、9日もの間、食べることも水を取ることも寝ることも許されずにひたすらお経を唱えている間、何を支えに、何を感じて、何を考えていたのか、です。

そこで心に強く残ったのが、「情熱を持ち続けることができれば必ず道は開ける」という言葉です。

ベンチャーの世界も、事業を初めた時には誰もが熱くてピュアな想いがあります。ですが、これを長きに渡り持ち続けるのはそんなに容易なことではありません。長く会社をやっていれば、事業がうまくいかない時もあります。人間関係に摩擦が生じる時もあります。家庭内で不協和音が起きている時もあれば、体調が優れない日々が続く時もあります。その中で、仕事をする意味を見失ってしまう時もあります。

塩沼亮潤さんも「情熱を持ち続けることの難しさ」についても話してくれました。

僕には尊敬する友人にクラシルの堀江裕介さんやサッカー選手の本田圭佑さんがいます。二人は20代の前半でそれぞれの世界において最も活躍した存在になった人です。

二人に共通してるのは、まさにこの情熱の総量がとても大きく、そしてその情熱が決して下火にならず、いつまでも燃やし続けていることです。さらに深く二人の共通項を探せば、

①大きな目標や大きな夢を進んで公言する勇気と、
②自分が不足しているものを認識しそれを埋めるための努力が継続でき、
③周囲の期待を引き寄せる愛嬌や人柄であることです、

※ちょうどこの記事を書いている時に、堀江くんから連絡がきました笑。日曜日の夕方。45分ほど電話でああでもないこうでもないと議論しました。

僕は神棚に手を合わせることが習慣になっています(特定の宗教を信仰してはいませんが)。前職の創業者であり会長が毎日、会社に飾ってある神棚に手を合わせる姿を見ていた影響かもしれません。僕はその姿をカッコ悪いと思っていたし、まさか自分が毎朝手を合わせる日が来るとは思いもしませんでした。

その会長が昨年の今頃、亡くなりました。会長との一番の記憶。それはやはり閉鎖させてしまったクラブの関することです。損失額は5億を優に超えていたのですが、僕はただの一度も責められることはありませんでした。責任を取る意味でも閉鎖後は会社を辞めるつもりでした。けれど、会長やその親族から戦犯でもある僕に対して、本体の再建を懇願されたのです。リーマンショックと競争環境の悪化の影響で業績がガタガタになっていました。長く身を置いていたけど、あんなに弱気な姿を見たのは初めてでした。この時ばかりは内側からふつふつと湧き上がるものを感じました。絶対に再建すると覚悟を決めました。

自分が今の仕事と向き合う理由は「社会や周囲の期待や困っている誰かの支えになるために生きたいから」であり。それは誰かのためでもなければ、誰かの期待に応えるためでもなく、自分のためにそれをしたいのだということを気づかせてくれました。

そしてそれを自分一人ではなく「仲間と共に」です。世界中の人に後ろ指を指されても、一番近くの誰かが信じてくれれば、それだけで人間は頑張れたりします。自分の仲間も同じような境遇で自分以上に頑張っていると思えれば、それが葛藤を超えていく原動力になります。

一言で言えば、

「仲間とともに社会や誰かのために向き合う」

これこそが最も情熱を持ち続けるうえで必要なことだと僕は思っています。

もちろん世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな山の登り方があるのかもしれません。ですが、少なくとも僕の周りの偉大な方達は、自分の中心からは離れたところに情熱を抱き、その情熱を燃やし続けている人が多いです。

僕の人生は節目節目で大切なものを大切な人達が教えてくれます。

僕の人生は実力が5%、残りの95%は運や縁です。僕はそれらにとても恵まれました。これまでお世話になった方々が今の恵まれた環境を作ってくれました。それをいつか大きな形で返さなければいけないと強く思っています。

そして、これほどまでに恵まれているのですから、小さな達成で満足していてはバチが当たるなと。それは僕の役割じゃない。まだ世界でどこも成し遂げられていないヘルスケアプラットフォームを作り、世界中のココロとカラダの健康を引っ張っていくリーディングカンパニーになりたいと思っています。

丸7年を迎えた今、多くの方々のご支援のお陰でとても大きな手応えを感じるところまできています。

我々が挑む領域は乗り越えなくてはいけない困難があまりにも多いです。ただ、一つ言えることは、これまでも多くの逆境を乗り越えてきました。昨日まで頑張れたことが、この先がんばれないはずがない。

恵まれた環境にいること、人生の大切な時をかけるに値する価値ある課題を与えてもらったことに感謝してこれからも頑張っていきたいと思っています。僕たちでしか救えなかった人を一人でも多く増やすために。


最後に : ベンチャーに関わる全ての人へ

昨年の今頃は大変でした。僕にとってはかけがえのない大切な人も去っていきました。それは、献身的に近くで支えてくれた人であったり、創業期から一緒に会社を作ってくれたメンバーや役員であったり。2017年12月〜2018年4月だけで30名くらいやめました。この時期に毎週のように深夜のファミレスで夢を語らいあった友も帰らぬ人となりました。大切な人の大切な人も昨年の創業日である4月11日に失いました。これによって僕は大きな決意を固めました。

最近は起業家のココロとカラダの問題が取りざたされることが増えました。日増しにベンチャー起業家を取り巻く世界は優しくなってきてると感じます。

ただ、何も起業家だけが特別ではありません。起業家を支える人も苦しみを抱えてることがほとんどです。(僕もこれまで何人、辛い思いをさせててしまっただろう)

創業メンバーや組織のNO2だって苦しい、マネージャーや新入社員だってそう、当事者意識をもって急成長や大変革を支えてくれている人たちであれば、それぞれのステージでそれぞれの悩みがあります。最初は社長ばかりが大変だと思っていました。ですが、決してそうじゃないんです。FiNCを創業してから今日に至るまでの期間でそれを理解しました。

これまでに、

もう疲れたと思った人やもうやめようかなと思った人、
怒りでふるえた日や悲しみにくれた日もあった人、
壁にぶつかった時や大きな失敗をした時もあった人

思ったよりも大変で、思ったよりも楽しいことばかりじゃなくて、仕事を投げ出すことができたらどんなにいいか、辛い時に辛いと言えたらどんなに楽か、自分の無力さやできることの少なさにココロを痛めた人も少なくないと思います。

けれど、「もう疲れた」と感じたのはそれだけ頑張ったからであり、もう止めようかなと悩んだのはまだどこかであきらめていなかったからです。

怒りでふるえたのは それだけ本気だったからであり、悲しみにくれたのはそれほどまでに真剣だったからです。

「壁にぶつかった」のは 懸命に前に進もうとしていたからであり、大きな失敗ができたのも月並みですが挑戦していたからに他なりません。

私たちは、良いことがあると永遠に続いてほしいと願い、悪い出来事があると一生続くような気になってしまう生き物です。

ですが、出会いは別れの始まりであるように、夢の大きさと不安や挫折の大きさは比例します。大切な夢、大切な人であればあるほど、その辛さは何倍にもなります。人の感情も自然環境と同じように絶妙なバランスのうえに成り立っています。

重要なのは、

①これらの真理を踏まえた上で世の中を捉えること
②失ってしまったものだけを見るのではなく自分がそれによって得たものや今持っているものに目を向けること、
③そもそも全てが思い通りになるようでは人としての成長はないこと

めっちゃくちゃとーっても難しいですが、頑張って頑張ってどうにかなんとか懸命に考え抜いてよっしゃー理解してやるぞー、と努めた上で不都合な事象に向き合えば、一喜一憂することなく心が安定した状態になれる、、、そんな気がしています。(なかなか僕も悟りの境地にたどり着けていませんが…)

「どうしておれが」
「なぜ私だけ」
「羨ましいな」
「ああしたいし、こうしたい」

そういった多様な感情が浮かぶのもわかりますし、

「怒ったり」
「喜んだり」
「悲しかったり」
「楽しかったり」

感情が浮き沈むことだって決して悪いことじゃありません。

泣きたくなったら泣けばいいし、辛くなったら周囲に頼ればいい、笑うのが疲れたら無理して笑わなくていい、自己嫌悪に陥ったり、人間関係に傷つく弱さがあったり、迷いがあるのはしょうがないことです。

何度も何度も繰り返し繰り返し、苦しみ、悩み、傷つき、涙を流すほどにココロは強く成長するのだと思います。どうあがいてもこの道は成長するために避けては通れないのではないでしょうか。

もう一つ僕が伝えたかったのは、「起業」という選択ができた人の多くは、努力の結果によって得たというよりも類い稀な機会による環境要因の方が圧倒的に大きいと考えています。自身を振り返っても、周囲の起業家を見てもそのように感じます。

起業家でなくても、新しい未来を創る素晴らしいベンチャー企業に関われているのであれば、それは環境が恵まれていた可能性が高いのではないでしょうか。

僕たちのように、たまたま恵まれた環境に身を置き、多くの機会と多くのものを与えられた人間が、一つのゴールに向かって、多くの時間と、多くのエネルギーをかければ、きっと今から考えられないような未来を作れる、僕はそう信じています。 

だからこそ僕たちが歩む日々は、たとえ苦しくとも、それは挑戦なんかじゃなくて、義務ではないかとさえ思うのです。

各々の環境がまだまだ課題だらけなのは想像に難くありません。足りない部分もたくさんあるでしょう。ですが、苦しい時を乗り越えた時に得た学び、本当に大切なものに気づかせてくれた葛藤、落ち込んだ時に励ましてくれた先輩、泣いてる時に隣で一緒に泣いてくれた仲間、浮き沈みのない人生ではなく、辛いのも半端ない、楽しいのも半端ない、そんな日々をベンチャー・スタートアップでともに送れたらいいですね。


「ベンチャー企業に関わる全ての人へ」と書きながら、自分に言い聞かせてるような感情で書き綴ったなぁ…人生で一番、長文を書いたかもしれません。最後までお読みくださり、ありがとうございました。


追伸:
今後、起業家向けのコミュニティーの運営をしようと今、準備をしています。事業がめちゃくちゃ忙しかったのもありこの手の依頼は今までは断っていましたが、起業家と触れ合うことを通じて自分も学びと情熱を得られること、主催でもある大切な友人から僕とクラシル堀江さん等に依頼を受けたことともあって今回引き受けることにしました。コミュニティーにすることでその知恵や経験を記録していき、後続の若手経営者がすでに我々がぶつかってきた壁を避けられるようにしたいと思っています。

(一方で、主催者の開催意図から自身を客観的に顧みると、多くの起業家にアドバイスを送るにあたってはまだまだ経験も実績も程遠い人間である認識もあります。その点についてはこれから一生をかけて然る可き存在になりなさいという叱咤激励をいただいたものと考えて、皆から刺激と情熱をもらいながら成長を続けていきたいと思っています)



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