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社員の死

社員のお通夜が終わった。電車に1時間以上揺られてここまで来た。今、帰りの電車に揺られながらこのnoteを書いてる。

社員の死は人生初めての体験だ。創業から7年、初めてこの向き合いたくない現実と向き合わなければいけなくなった。

登山中の心臓発作で帰らぬ人となった。

とてもFiNCや仲間を大切にしてくれる誰からも愛される人だった。本当にいつもどんな時でも明るくて、目を閉じると生前の笑顔ばかりが浮かんでくる。

「FiNCを作ってくれて本当にありがとうございます」
「この会社で働けて私はとても幸せです」
「素晴らしい仲間に囲まれて、毎日楽しいです」

8月から室長への昇格をお願いしたところ、それをとても喜んでくれた。ご家族にも意気揚々とそれを話してくれたそうで。

昨日の朝、緊急で全社員を集めて、大切な仲間を失ってしまったことを伝えた。社内が一瞬で悲しみで包まれた。多くの人が涙を流した。改めて失った存在の大きさがわかった。故人がいかに慕われていたかをよく理解した。

故人の最後の日を聞くと、「お気にいりのFiNCの白いポロシャツを着て元気に出かけていった」そうだ。

通夜の会場に飾ってあったポロシャツを見た時は、胸に込み上げてくるものがあった。

僕は、創業してからずっと、FiNCでしか救えなかった人を、他の会社やサービスでは救えなかった人を一人でも多く、という想いを掲げてきた。これが僕の生きる最大の意味だ。ただ、身近の人すら救えなかった。

FiNCや僕がどんな存在になってたら彼を救えたのだろうか。

ローンチしたFiNC BANDに心電図モニターを搭載する意思決定をあの時下していれば救えたのだろうか。リアルタイム非侵襲血液検査システムに投資をしていれば良かったのだろうか。もっと自社の健康経営を推進するアクションを講じていれば何かが変わったのだろうか。

今、一人でそんな事ばかりを考えている。

僕は生きるということは出逢うことだと思ってる。出逢えばいつか別れがくる。だから、生きれば生きるほど、出逢えば出逢うほど失うものも増えていく。

そうした意味では、人生は悲しみで満たされているのかもしれない。

仲間の死は、残された人たちに深い悲しみを与えるものでしかないのだろうか。いや、それは違う。違うに決まっている。

大切な人を失った時。
すべての人に訪れる別れ。

たとえどれだけ悲しくても、人はまた、いつか歩き出すもの。

僕たちも週が明けたら、見た目はいつもと変わらない日々がはじまる。けれど、僕はそこに目に見えない新たな力が備わっているのだと、今回の別れは残された僕たちに大きな意味を与えてくれるものだと信じているし、そういう気概で生きると決めている。

だから「別れ」は、それを経験してきた人たちに深い悲しみを与えるだけのものではない。

人の死は、いつ訪れるか本当に分からない。

改めて、今回の一件を受けて、世の中の多くの人の一生に一度のかけがえのない人生を健やかに送るサポートをしたい、大切な人にはいつまでも元気でいてほしい、という想いを強くした。死んでほしくない。

皆、適度な運動を心がけてほしい。せめて大またで手を振ってたくさん歩いてほしい。食事はバランスよく食べてほしい。過度な塩分は控えてほしい。検診にも行ってほしい。身体を大切にしてほしい。人生は一度きりだから。

心よりご冥福をお祈りいたします。


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