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生きたあかし・・たくさん描いた・・ 『追悼 野見山暁治展』回想


 野見山暁治先生(以下、先生)の訃報が届いたのが昨年の6月22日・・
未だに糸島で絵を描き続けているように思え・・思いは溢れてくるものの、なかなか文字にすることが難しく、気が付くと桜の季節を過ぎ、新緑の季節を迎え、とうとう梅雨入り、そして1周忌を迎えていました。
これを機に、野見山先生が糸島で描く姿を思い浮かべながら、
12月9日(土)~24日(日)まで開催いたしました【追悼 野見山暁治展】を振り返り、綴ってみたいと思います。
この会期では糸島のアトリエ(タイトル写真)に残されたサインのない作品をメインに1950年代以降から2020年代の晩年の作品まで油彩、水彩、版画などバリエーション豊かに展示をいたしました。その中でも最後まで描くことをやめなかった様が見えるのがアトリエに残された作品たちです。

アトリエに残されたサインのない作品たち

色鮮やかに描かれた作品は先生の帰りを待ち望んでいたことでしょう・・
『無題』6作(リビングに4作、お茶室に2作)を展示、光を燦燦と浴び、更に生き生きと私たちに語り掛けてくれました。


無題 2023年
無題 2023年
無題 2023年

これらの作品には肉眼では見えない・・目を閉じると全身で感じる何か・・鼓動や血潮・・自身を取り巻く空気、風、におい・・『生きる』ということが画面いっぱいに色や形で表現されているように思えます。

無題 2023年 
無題 2023年

床の間・・私たちにとっても特別な場所・・
いつからか、この場所に先生の作品を展示することが多くなりました。
先生の著書(『人はどこまでいけるか』(以下☆)より)にこの場所のことが書かれています。

「日本の床の間は、壁ひとつ引っこませて違う色にして周りと隔離している。その奥にいい絵があれば、そこはまるっきり違う宇宙になる。」


無題 2023年

このピンクが印象的な作品は他の作品とは少し違う感じがしませんか?!
何か具体的なものを描いているように思えるような・・
お客様からもこの作品は「お魚?」「象?」・・など様々な声が聞かれ、その中でもとても印象的だったのが「桜」・・桜の木を下から覗いた絵・・という声でした。昨年書かれた日記の中にそう思わせるエピソードが書かれてありましたので紹介いたします。

〚2023年〛3月20日
 昼からお手伝いさんに手を引かれて、すぐ近く、桜の具合を見に出かける。ほんの僅か、道を歩くだけで疲れる。
 上野のさくらはまだだろう。藝大の新しい学期、いつも花びらを浴びながら通った。教室で絵を描くのを止めて、モデル共々、桜の下に寝転んだ。若いというのは、それだけで春が溢れていた。

藝大で教鞭をとられていた頃の思い出でしょうか?!・・
まさに春爛漫、若さ溢れる楽し気な雰囲気が伝わってきます。

みぞえ画廊の桜(2024年4月)


この日記は会期と同時に出版された著書『最期のアトリエ日記』(以下、日記)からの抜粋です。亡くなる直前、6月4日までを記され日記には「老い」「カラダの変化」「死」「湧き出る思い」・・がユーモアたっぷりに書かれています。

日記のほかに『のこす言葉 野見山暁治 ひとはどこまでいけるか』(☆)でも先生の頭の中を覗き込むことが出来、作品と一緒に楽しんでいただくのにお薦めです。

「ぼくの絵は、何を描いているのかさっぱりわからないと言われる。自分でもわからない(笑)。好きで描いているかたちや色、画面の表情に、ぼくがもっている感情が表れていて、それにたまたま共感し、共鳴する人がいるんでしょう。」
サラッと書かれたこの言葉・・素敵です。

残された多くの作品たち

この会期では先生の画業の歴史(1959年代以降~2023年まで)を辿る展示もいたしました。

『見たような風景』2021年 油彩

玄関フロアには2020年以降に描かれた油彩作品を展示。
100歳を前に「表現したいものが確立てきた」と話されたそう・・
100歳でまだまだ新たなことにチャレンジされていることに驚かされたのはもちろんのこと、成長され、それを確立されようとしていることには頭が下がるばかり・・
鮮やかな色、ユニークな形、流れるような筆跡は心の心のままに描いたのでしょう・・・瞬く間に私たちを包み込んでしまいます。

『今からのはなし』 2022年 油彩
『からっぽ』2022年、『とても眠れない』2021年
お茶室に展示された『思い出せない』2022年

この中でも『とても眠れない』は私たちに話題と笑いをくれました。
寝たいのに眠れない夜・・ありませんか?!・・まさにこんな風・・もやもやと頭をめぐる何か・・

『とても眠れない』2021年 油彩

和室には1950年以降の1990年代までを年を追って展示しました。
生まれ育った炭鉱の様子が描かれた作品からパリ時代、藝大で教鞭をとられていた頃の作品、描くことに専念してからの作品まで具象から抽象表現に変わっていく様子が見られました。

左から『炭鉱の一隅』1951年頃、『小樽の崖の景色』1952年頃、『巴里の街』1955年、
『丘』1961年、『根』1964年


無題
左から『いつもの通り』1979年、『月あかり』1981年、『莅』1982年、
『見知らぬ風景』1982年、『にぎやかな季節』1991年


『独りボッチの象』1975年

この部屋では先生との思い出話をしてくださる方が多くいらっしゃいました。
この『独りぼっちの象』の話も・・確か・・ゴミ(紙を丸めた様子)から発想されたとか?!・・これが本当でもおかしくない・・先生らしい!と思ってしまったことを思い出し、この作品を見るたび笑みがこぼれます。
藝大の生徒だったという方々からも在学中、卒業後の交友関係のとても楽しいお話を伺うことが出来ました。

その中でも作品を観ながらお互いに涙しながら思い出話をたくさんしてくださった野見山クラス最後の生徒さんという女性・・
印象深かったエピソードは『飲み会』のお話、先生は誘うと「飲み代は割り勘だぞ」と言っていつも誘いにのってくださったそうです。
”割り勘”?!・・一見・・ん??と思うようなことかもしれませんが、これも野見山先生流だったそうです。先生と生徒の関係を越えたフラットなお付き合いの秘訣かもしれませんね。お陰で誘いやすく、いつも楽しい会で遅くまで飲んで食べて楽しい語らいだったそうです。
この作品はもしかして・・

『終電まで』 シルクスクリーン *常設展展示作品

サラッと描かれた水彩画や版画作品は独特な線で描かれ、とても心地よく、チャーミングでカッコイイ作品ばかりです。

『海の近く』『風のある日』水彩
奥に見える男性は先生と親交のある望月菊磨先生(彫刻家)
左から水彩画『パリの古い家』『どうなってるの』『また会うでしょう』『着替える』

パリの建物の作品は多く残されています。特別な感じがなく、裏路地から見上げた構図が先生らしい作品です。

『パリの古い家』 1980年 水彩

『どうなってるの』『また会うでしょう』のようにタイトルがユニークなのも先生独特です。
なぜ?・・と思わせるタイトルは私たちに笑みをもたらし、ついつい作品を前にアレコレと話が弾んでしまったことを思い出します。

『どうなってるの』 水彩



人物を描いた作品も多く見られ、少しアンニュイな感じがとても魅力的・・

『着替える』 2000年 水彩

著書の挿絵、絵本などの作品も版画で楽しんでいただきました。

エッチング『旅の途中』『毛ムクジャーラ』

2つの試み

作品展示だけではなく、イベントを通じ先生の魅力に迫ってみました。

【season1】トークイベント 『私が見た野見山暁治』
 
ゲストスピーカー:宮津大輔氏(アートコレクター、横浜美術大学教授)
  ’94年以来、企業に勤めながら収集したコレクションや、アーティストと 
  共同で建設した自宅が、国内外で広く紹介される。国内外での展覧会の
  企画・開催、多くの著書も執筆され、魅力あふれる人物です。

熱く語ってくださった宮津氏


宮津氏によるトークイベントでは先生がこの世に生を授かってからの歴史的背景、美術史を絡め、野見山作品の面白さを紐解いていただきました。
学術的に捉えたお話はまさに目から鱗、日本におけるこの100年は戦争を境に激動の100年を過ごしてきたと言えるでしょう。そんな中でも、芸術に対する価値観は経済と共に変化を見せる中、芸術家の揺るぎない姿勢をも感じることが出来る時代と言えるのではないでしょうか。日本の美術界には欠かせない人物なのを改めて感じることが出来たイベントでした。
トークイベントの内容は改めてご紹介したいと思います。
宮津氏が糸島のアトリエへ訪れた日のことが日記に綴られています。

〚2023年〛4月5日
 美術評論家の宮津氏、みぞえ画廊の主と共に来訪。
 画家を目指した動機、あるいは決意。よく尋ねられる。しかしぼくはただ、ぼんやりと絵を描いているうちにこの年になった。
しかし、それで生きてこれたのは、本当に恵まれた境涯だったといえる。そう言って謝るばかり。

もし・・この場に先生がいらしたら、どんな風だったのでしょう?・・
照れくさそうに笑みを浮かべるのか?!・・
日記には何とつぶやくのだう??・・
そんなことを想像するだけで懐かしく、楽しくなります。

『これでいい』2022年
宮津氏がアトリエで一目ぼれし、購入された作品
お菓子か何かの木箱の蓋にかかれた作品です。

【season2】参加型イベント
 先生の誕生日12月17日に『野見山暁治の思い出を語る会』と称し、集まった方々で先生の思い出を語り合いましょう!という企画でした。

先生とご縁のある嘉穂(福岡県飯塚市)の同窓生(大先輩と後輩の関係)、武蔵野美術大学の生徒さん、東京藝大の生徒さんなど・・野見山先生という共通点はあるもののそれぞれは面識のない方々、最初はぎこちない雰囲気(冷汗)でしたが、一つ思い出話が出るとあちこちで思い出話に花が咲く状況に・・終始笑いがだえなく、閉会が惜しくなるような賑やかな会となりました。

ついついお話に夢中になってしまい、写真を撮り忘れてしまったので、2つほど思い出話をご紹介・・

嘉穂(飯塚市)の高校の同窓という方から・・
同窓会で制作した記念品に「ボタ山」の絵を描いてくださったとのこと。
予算の都合でクリアファイルくらいしか作れないだろうと、とても申し訳ないと思っていたところ、別の同窓生が格安でTシャツを作ってくれることになったとのこと・・先生も愛用しアトリエでそのTシャツを着て絵を描かれていたそうです。
どんなボタ山だったのでしょう??
先生の残されたボタ山が描かれ作品から想像してみませんか。

『ぼくが生まれた頃』
『昔むかし』

藝大の生徒さんで絵本作家になられた”あきびんごさん”・・
いつも楽しく先生との思い出話をしてくださいます。
今回も絵本作家になったきっかけのお話・・
『ケムクジャーラ』を制作するお手伝いをしていた時、「絵本作家になるといいよ・・」と先生から言われたその一言だったそう・・
その通り素直に絵本作家になり、今に至っているそうです。

『毛ムクジャーラ』エッチング
会期後、あきびんごさんから送られてきた絵本
大人も楽しめる絵本です。

足跡を辿り・・

飯塚市総合体育館 『明日の空』

飯塚市総合体育館 2023年7月訪問

故郷、福岡県飯塚市に新築された総合体育館に小学生と共に制作した作品『明日の空』があります。市内の小学生に「自分の夢」をテーマに絵を募集、1098枚から選ばれた40作品をもとに先生が粘土で造形、色鮮やかに仕上げられたそれらは先生の構想のもとレイアウトされ完成しました。
100歳超えて初の作陶・・これもまた驚きでした。
最後?!の作品ともいえる作品は子供たちの夢に乗って先生も楽しまれた様が思い浮かびます。

無言館

会期とは時期を逸した今年の2月、スタッフ9名で長野にある『無言館』を訪問、雪で覆われた建物はその佇まいだけでも何か語り掛けるようでした。
建物の中に入るとひんやりとした空気の中、戦没画学生の作品や手紙、写真などが沢山展示され、そこからは「生きたい」と思う若者たちの強い思いを感じずにはいられませんでした。
スタッフそれぞれ思いは重く、しばらく言葉を発することができないほど・・
先生が作品収集に情熱を注いだ意味、戦争という出来事が心の奥底にあり、「戦争は色のない世界・・色を描きたい」と語られ、数多くの色鮮やかな作品を生み出した意味を改めて感じる日となりました。

2024年2月7日 無言館前 

『これから世に出ようとする学生の絵は、自分も含めてどこかやましいところがあります。「いい絵」を描こうとする、賞をもらえそうな描き方をする。でも、彼らの絵はそうじゃないんです。死を目の前に、その日、その日をみつめている絵なんです。ぼくも出征するとき、生きて帰れるとは思いもしなかった。画家が死期を知ったとき、何を描くのか。その答えがここにある、日常をこれほど愛しいものとしてみつめている。人はこんなにも安逸を、平和を願っているものかと、見ていると切なくなってくる。』(☆より)

・・・生きて
・・生きて
・・生きて・・・
描くことで「生きる」喜びや悲しみ、楽しいことや苦しいこと、日常にあるささやかな出来事の素晴らしさ伝えてくれました。
それは、まさに生きた証・・キャンバスいっぱいに色鮮やかに描かれた作品には永遠にいのちが宿り、永久に残ることでしょう。
野見山先生・・・この世に姿がなくとも作品を目の前にすると先生はいつもそこにいます・・

また会う日まで・・


『また会うでしょう』

野見山暁治版画展 開催

2024年7月6日(土)~7月21日(日)
みぞえ画廊 東京店
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。

STAFF A


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