私もいつか自分の人生で「たりなさ」を肯定したい。

たりないふたりが解散した。
12年間の漫才の集大成であり、2人の生き様芸人の40年の爆発のようでもあった。
人生をぶつけられると、こちらもまだ短い人生を思い返してしまった。余韻の最中何も手につかない1日の隙間時間にずっと見ていたTwitterの感想も、ほとんど人生を語っていた。
思い返すと、これまでで一番影響を受けた(これからも受けるだろうけど)のはたりないふたりだった。
当時中学1年の頃に、不毛な議論を聞いていたのがきっかけで「たりないふたり」を見て、若林さんの魅力にハマり、オードリーのオールナイトニッポンも聴くようになってから、12年間、ずっとずっと二人のたりなさにどこか共感しながら、そして圧倒的に憧れながら、生きてきた。

私の最大のコンプレックスは、友達がいないこと。中学や高校の頃は今よりもずっとそれが劣等感だった。
そんな日々を、水曜日と土曜日を心のお守りにして生きてきた。

今回のライブを見て、強烈に肯定してくれるふたりの優しさに触れながら、まだ、自分には友達がいないということが湧き出したりしていた。
山里さんと若林さんの、お互いに尊敬し合いながら、劣等感も感じながら、お互いの存在に影響を受けてきた関係性。
若林さんはたぶん、山里さんのワードセンスや瞬発力だけじゃなく、曲げずに一本の槍で戦い続けるスタイルにも憧れていて、
山里さんはたぶん、若林さんのセンスにも人間としての成長にも周りからの評価にも嫉妬し、憧れていて、
そんな二人に深く感銘を受けたcreepynutsがいて、creepunutsにとってたりないふたりはルーツで、たりないふたりにとっても、受け継がれていることが、存在の肯定で、
そんな相互の関係が、それぞれの生きてきた意味そのものを肯定できる関係性が、とてもとても羨ましい。

こんなに心が動いたライブを見た後に、言い合える友達がいないことに、そういう友達ができない自分のたりなさに、やっぱり凹んでしまったりする。
でも、そういう部分があるからこそ、こんなにも素晴らしいライブに出会えたんだと思うし、こんなにも心が動かされたんだと思うと、なんとか、生きていける気もする。

今日もまた、最寄駅が隣の同期の女の子とエレベーターが一緒になった時に、「あ、今日友達と予定あるの忘れてた!」とわざとらしく言われたけど、帰りの電車でたりないふたりのアーカイブを見たら、なんとか正気で帰ってこられた。

たりないふたりに影響を受けた明日のたりないふたりが今日もラジオをしてくれる。
明日もまた、帰りの電車でたりないふたりに救われて帰ってくる。夜には不毛な議論もある。

でもやっぱり、いつか自分の人生にも、劣等感にもみくちゃにされた日々を肯定できるような出来事や瞬間があると信じたい。

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