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雑音屋のお話

人は忘れられないエピソードをいくつか
持っていると思う。
なぜ忘れられないのか、
何にココロの琴線が触れたのか
それはわからない。
でも、忘れられないお話がある。

今日は、そんなエピソードの中の
「雑音屋」のお話。

雑味の味わい

思い出したきっかけは、こちらのVoicy。
雑味のお話。

雑味について、特に甘みと塩気は普段から意識している。

たまに小豆を煮てあんこをつくることがある。その時は沖縄の濃厚な黒糖を必ず用意する。白砂糖じゃダメなのだ。黒糖のコクが苦手な方もいるかもしれないが、ただ甘いだけじゃない、ミネラルやいろいろと混ざっている成分の雑味が、あんこをを深〜い味わいにしてくれる。

塩分が不足している時、純粋な食塩NaClではしょっぱくなるだけで美味しくならないことがある。そんな時、ナンプラーやいしるのような魚醤だったり、アンチョビだったり、塩昆布だったり、昔ながらの塩分濃度がメチャクチャ高い梅干しだったり、こんな名脇役がとってもいい味を生んでくれる。NaCl以外の成分が不純物と呼ばれることもあるが、不要なものではない。いや、不可欠だ。こんな成分たちが、それぞれの味わいで、お料理を豊かなものにしてくれるのだから。

ちなみに。こちらのレシピブック、たまたま近所の本屋さんで新刊発売日に遭遇。料理の基本のような本とは違って、面倒くさい素材や手順はないのに、とっても映える、気分を上げるには最高のオススメ本です。

雑音屋のお話

佐々木さんもVoicyで音楽にも触れられているが、ここで話題が音楽に移る。

私は都立の普通高校出身なのだが、その音楽の授業でのこと。その音楽の先生、公立の普通高校ではかなりレアだと思うのだが、音楽の授業でベートーベンの交響曲第九の合唱を取り上げる。正確には、ベートーベンの第九とモーツァルトのレクイエムを2年生の課題曲として1年半取り組ませる。今年の2年生が第九なら、来年の2年生はレクイエム、といった具合で、私たちは第九の年だった。

授業の最初で生徒は楽譜を買って来るように言われる。第九の歌詞はドイツ語。普通高校生の私たちはドイツ語なんて全く知らない。なので、最初の作業は楽譜のドイツ語の歌詞にカタカナをふることだった。「お〜フロインデ!」

私は中学3年までピアノを習っていたこともあって、ある程度楽譜が読めた。だからなんとか着いていけた。しかし学校の音楽の授業以外で音符なんて見ることもない生徒たちが、ソプラノ、アルト、テノール、バスのパートに分かれて、ピアノの伴奏で第九を歌うなんて本気か?と思った。案の定。メロディが進むにつれてほとんどの生徒が脱落。。私も必死だったが、とても貴重な体験だった。忘れることのできない授業だ。

話を雑音屋に戻します。

そんな授業中の、ちょっと息抜きめいた雑談だった。先生がこんな話をしてくれた。

音大生時代、オーケストラの練習をしていたときのこと。みんな必死にやっているなか、ひとりで何か不可解ことをしている人がいたそうだ。彼が奏でている音は、みんなが見ている楽譜とは全く違っていた。厳密に言えばまちがっていた。ただ、不思議なことに、その「違う」音がオーケストラの演奏に調和して、絶妙なバランスを保ち、オーケストラの音に深みを与えたのだそうだ。

名付けて「雑音屋」。楽譜にはない音を出す。しかし下手クソとは違う。彼がやることは誰にも真似できないのだ。先生が言った。「ヤツはある意味、天才だ。放っておけ。やりたいようにやらせろ。」

そんなこともあるんだ。。。高校生だった私には、とても謎めいた、そして妙にココロに響いた、というか引っかかったエピソードだった。そして、今でも忘れずにいる。

雑音は人生の奥義かも!?

楽器の場合、まずは基礎的なテクニックから始まる。アンサンブルやオーケストラは、たくさんの人がいろいな楽器で、楽譜と指揮者の指示に従って音を出す。エラーは全体の調和を壊すから、テクニックを磨き、表現力を磨き、全体で一つの音のアートを創造することを目指す。

私は音楽の専門家でも音響に詳しいわけでもない。なので正しい知識は持ち合わせていない。これからは、あくまでも素人の仮説ということで。

例えば、すべての楽器のチューニングが完璧で全員がノーミスの演奏だったとして、それが最高のアートになるのだろうか。同じメロディーを複数の楽器が奏でているとき、その音量が欲しいだけなら、音の大きな楽器1台に置き換えることができそうだ。が、しかし、そうではないと思う。音量と音の厚みは違うと思うからだ。で、テクニックが卓越した演奏がアートになるときに、雑音屋の存在が効いて来るような気がするのだ。

書きながら「守破離」という言葉を思い出した。破って離れていく演奏には、スーパーテクニシャンの一糸乱れぬ演奏だけでない何かが、きっとある。『場』の力を借りて、神がかり的な表現が降りてくることもあるかもしれない。そんなパフォーマンスに、洗練された、小気味いい雑音の妙がまぶされたら。。。と考えるだけでワクワクしてこないだろうか。

雑味・雑音で豊かな人生を!

何を排除し、何を残して、人生を楽しんでいくか、その選択は個人次第。純粋であることは美しい、場合が多い。でもそれだけでは、きっと豊かにはなりにくいんじゃないだろうか。ゆったりと構えて、いろいろ試しながら、その雑多な味わいを楽しめる人になりたいと思う。

ちなみに、こちら、ビーツのリゾット。自宅で作って友人宅に持ち込んだら大評判でした♡

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