優先順位みたいだなって思った

昨日初めてスマホから書いた。スマホで長い文章なんて書けないと思い込んでいたんだけれど、意外と1500字ぐらいなら苦に思う瞬間も特に無く書けた。
フリック入力とタップによる変換の選択ミスの多さから耐えられないだろうというのが思い込みの理由だ。
フリックになってからもう10年以上経つとのだろうけど、精度が一向に上がらない。物理的にテンキーがあった時よりミスが多い。
狙う的自体のサイズはそんなに変わってないように感じてるけど、意外とスマホのキーパッドの方が1つのサイズは小さいんだろうか。
点を打つ動きから線を描く動きに変わったのも個人的には大きい気がする。

駅のホームドアの設置工事が始まった。
都心はもうほとんど設置されてるものが遂に郊外辺縁にやってきたのだ。
設置されて稼働してしまえばさほど気にならないのだが、設置途中の状態が苦手だ。
特に、ホームの片側にだけ設置されている状態が。

工事にも段取りがあって、両側に一気に出来ないとか色々あるのだろう。上り側にだけついている。
どちらにしてもまだドアの開閉部は稼働しておらず、壁の部分が立っているだけなので途中であることは火を見るより明らかだ。

でも見た目には片側には壁があって、反対側は崖になっているように見える。
場所は駅のホームなので、両側とも縁に向かって人が並んでいる。
命に優先順位があるみたいだな、といつも思う。
人が盤上に満ちてるせいで実際に落ちることはほとんど無くても落ちるイメージが浮かぶので、そうすると壁の方から人が押されて落ちていくように見える。

人がたくさんいる中で片側だけ守るビジュアルになってるのでそう見えるだけで、実際は上りの利用者だけ守る意図のある工事ではないことは分かっている。
でも今大地震が起きたら下りの人だけ線路に落下するよなぁとか思いながら眺めている。
本当に大地震が来たら、そんなこと言ってる場合ではない被害が起きるだろうし、本当に壁がない方だけ人が落ちるかなんて知らないけど。

あともうひとつ発見なのだけど、ホームドアの設置途中で壁だけが立っている状態。
これを正面から見るとホームドアが開いているように感じる。
ホームドアが一般的な設置物になって、見慣れたのもあるのだろう。設置当初の工事のときには感じたことが無かった。
開いているとどう思うかって、進んでいいように見えるのだ。ホームに立って内側から見ると壁ではなく、入り口が開いているように、そこから出るように誘われているように感じる。
昔はドアに見えなかったものがドア、出ていくもしくは入るための場所に見えるようになるのは不思議だなと思う。
ホームドアを文化って言うのかはわからないけど、文化が変化することによって認知が変わるんだなと思った。

誘われて出たら死んじゃうけどね。

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